たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

師走の翁先生のオナホコラボマンガに、匠の技を見た。

久しぶりにエロマンガの話でも書きましょうかね。
 
 

今月の阿吽の、師走の翁先生の漫画がすごいのですよ。
41Pという妙に中途半端なページ数なんですが、これ非常に珍しいオナホールとのコラボレーションマンガ。
最近はエロ漫画家さんがオナホのパッケージ絵を描くコラボじわじわ増えてました。
・・・いや、そんなでもうないですね。そんな多くないです。出始めたばっかりです。
実質オナホでしょ、パッケージなんてどうでもいいじゃん、と言われたら、それはそうなんですが、そうじゃない。
そのパッケージを見て、たった一枚のそれを見て、色々なことを想像する、その想像力のスイッチだから非常に重要。
アダルトショップ行くと、アニメっぽいイラストのオナホ本当に増えました。その一枚が大事。
 
で、今回師走の翁先生も描いたわけですよ、パッケージを。これですね。夏前くらいに発売になったもの。
キャラの名前は和泉詩織音。ロリ体型のアイドルです、かわいい。
普通ならこれ一枚でいいわけですが、今回はコラボレーションで、この和泉詩織音を活き活きとマンガで描く、という珍しい企画が行われました。
エロマンガで40ページって言ったら、結構長い方ですが、阿吽は割とそうよね、ストーリーもがっちり、エロもねっとり。
 
こうなったら求められるのは「どこまで読んでいて気持ちいいか」の一点だけなわけです。
かわいさ、楽しさ、セックスのバリエーション。何もかもが「気持ちいい」の一点に結びつかないといけない。オナホールのためのエロマンガなのだから、理屈はどうでもいい。
で、読んで思ったわけですよ。
なんて気持ちいいマンガなんだこれはと。
 
もちろん抜き重視のエロマンガは、気持ちよさを常に追求し続けている作品ばかりですが、今回は師走の翁先生の、『ピスはめ!』とは違う意味での全力を見た気がしたんですよ。
和泉詩織音という少女がすごい。
通常であればヒロインには色々な人格があったり、作家の考える人間観がにじみ出たり、人間的な悩みや悲しみや喜びがあったりします。人間を描くならば。
けれども和泉詩織音というキャラクターはとことんまで「アイドル」なんです。
このアイドルは、偶像、の意味です。
アイドルを描き続けてきた師走の翁先生のこだわりがガツンと詰まっています。
そして、猛烈に強い童貞力あふれる作品になっている。
性の「夢」を押し固めるかのごとく詰め込んでいるので、完全に安心できます。心を開放しきれてしまう。
 
和泉詩織音が完全に都合のいいダッチワイフになっているわけじゃないのが、一つ目の絶妙なところ。
彼女もアイドルとして様々な活動をし、頑張っている様子が最初に、描かれます。
この「最初に」ってのがミソ。最初に出されたら、「そういうキャラなんだな」と飲み込めます。
作中で「実は」と言われるより楽ちん。
 
次に、和泉詩織音のビジュアルのかわいさ。これはパッケージだから当然ではありますね。
ツインテールでロリ体型、その割にリアルで生々しい肉感。
常に笑顔でいてくれる安心感。
現実的にはオフの時はアイドルではないはず、なんですが、ここがマンガの力。
オフで温泉に入っている時も、「最高にかわいいぼくのアイドル」を崩さない!
 
そうなんだよ、見たいものを、求めているものを、のしをつけてこのマンガは差し出してくれる。
混浴だと勘違いしたアイドルとふたりきりのお風呂。
水泳大会(懐かしのアイドル的!)でチラリと見えて大興奮した、あの小さなおっぱい。
いつも遠くからみんなに向かって見せていた、笑顔。
アイドルに「アイドル大好きだからいろんなアイドル見てるけど、詩織音は特別って言うか」とふたりきりで話せる瞬間。
大喜びしてくれる、大好きなアイドル。
一緒に好きなアイドルの話を、趣味の話としてできる幸せさ。(シャイニング娘。もちらっと)
優しい瞳で、微笑みながら握ってくれる全裸の彼女。
下手くそなタコチューを、舌で舐めるエロティックさ。
憧れの子の泊まっている部屋に行って、最高にかわいいアイドル衣装の彼女と笑顔でするセックス。
朝までつながっていられる幸せ。
そして、これで終わりではなく、これからも何かを予感させるような……彼女ではないけど普通の友だちとして、でもちょっと含ませながら弄ばれるような仕方で語りかけてくれるラスト。
 
師走の翁先生はいつもエロを描くと決めたらエロを、物語を描くと決めたら物語を、どこまでもこだわって、煮詰めて、がっちりと描く作家さんですが、今回のコラボマンガのエロの安心感といったら本当に恐れ入りました。
びっくりした、ではないんですよ。ある意味、抜き系エロマンガの王道中の王道なんです。
その王道を、持ちうる最大の力で描いたのが伝わるから、ものすごい気構えずに何度も読めるだけのものになってる。
 
これは友人が言っていた話なんですが、王道型エロマンガや抜き系エロマンガは、一見テンプレートに見えることがあるかもしれない、けれどそれは求められているものをどこまで技術の粋を使って創りあげていくか、という作業だと。
職人が漆塗りを丹念に作っていくかのごとく、求められているものを最高度の、ある意味童貞力100%の、ファンタジーとして提示するのは、技なのだと。
まさにそれ。無論巨乳好きの人には物足りないかもしれませんが、ぼくの求めていた安心感、アイドルという幻想、こんなエッチをしてみたいという妄想を脳の隅から隅まで満たす、描写とシチュエーションと作画だったんです。
いや、ぼくも性癖的なこだわりとか、ありますよ。それに100%マッチしているわけじゃないですよ。
でも安心して「永遠にこの時間が続けばいいのに」と思わせるだけの、いうなれば毛布というか羽根布団みたいな魅惑の空間を作って、それをオナホールとコラボレーションにした、ってのはすごい技術だなと。
 
内容的に言えば「ピスはめ!」や「シャイニング娘。」や、その他の短編の方が上です。間違いなく。キャラクターの心情描写や愛情の強さなども。
けどエロを提供する作家としての意地と技をこうも見せつけられたら、感服です。不安な要素を一ミリも入れてない。全てを「癒し」につぎ込んだ。
ああそうか。男がオナホールに求めているものは、癒しなんだ。
「そうだ!! 友達になろうよ」
この和泉詩織音のセリフ、本当にいいですよ。恋人じゃない、友達。うまいなあ。
 
ここしばらく「エロマンガ」のエロと物語と技術との兼ね合いが自分の中で整理できず、大好きで買ってはいても、どう読むべきか悩んでしまって、最終的に好きなのか嫌いなのか、という部分まで悩んでいたので、このマンガに出会えて、吹っ切れました。
ぼくは、エロマンガが、好きだ。
 
 
 
にしても、阿吽の世棄犬先生のマンガはどうなっちゃうんですか。
滑空先生の単行本もマジで出してください、お願いします。
 
「シャイニング娘。番外編」の一回の登場人数が異常すぎる件 - たまごまごごはん