VTuberのガワと魂の入れ替わり劇場 ~月ノ美兎の批評的エンタテイメント~
月ノ美兎の配信「【癒し】私と一緒にお話しましょう♪【雑談】」。視聴者から「天才」の語が大量にツイートされていた。絶賛すぎてびっくりした。
VTuberの「ガワ」と「魂」の話を、百物語の土地伝説から流れるように、バーチャルに落とし込んでいる。
なにより、「バーチャル」に対する批評性の芯を持たせつつ、エンタメに昇華している。いやあ委員長すごいよ。
時期的にも、本当によく切り込んでネタにしたなと。メモも兼ねて日記書きます。
月ノ美兎の魂が入れ替わるまで
ことの発端は、にじさんじ本間ひまわりと行った、百物語企画。
視聴者やVTuberから集めた百の怪談を読み上げ、ろうそくを消していく。他のライバーのゲスト出演などもあり、怖くとも和やかに楽しめる内容。
ただ、配信中妙な出来事がいくつか起こり始める。
後半の46分20秒くらいから、月ノ美兎のチャンネルで配信しているにも関わらず、突然本間ひまわりのチャンネルで謎の配信がスタート(アーカイブは残っていません)。その後月ノ美兎は、怪談動画を流している最中にも関わらず、トイレのため一時退席。これには本間ひまわりも動揺。
百物語終了後、月ノ美兎と本間ひまわりは、にじさんじのバーチャルライバーを増やすために少女を縛って監禁し、魂を剥がそうとしていたことが判明。
儀式が終了後、月ノ美兎の声はいつもと別のものに。本間ひまわりが話しかけても、挙動不審なまま。
配信はそのまま、終了。
みなさん、おはようございます😃🌤
— 月ノ美兎🐰 (@MitoTsukino) 2019年9月4日
今日は待ちに待った配信日!
【22時から】放送開始です♫
お話いっぱいできたらいいな🌟
今日も仕事に学校、行ってらっしゃい🍀
↓ここでやります👍↓https://t.co/rf5IZ9kp8U
至って普通のツイートですが、それがおかしい。月ノ美兎は独特の、インターネットに精通したネタ寄りのツイートばっかりだったでしょう? こんなに真っ当な発言をするはずがない。
まだ、終わってない。委員長の魂、どこにいった?
それとは別に、無名(@otvunar)さん / TwitterというTwitterアカウントが開設され、何者かが助けを訴え始める。
インターネット慣れした文体で、誰もが「月ノ美兎だ」と信じた。これだけだったら、顔も声もわからないのに。
その後、月ノ美兎が普段から使っているnoteにアップされた日記で、さらに波紋は広がる。
普段は様々な落書きやサブカルチャーへの好奇心を書いているはずのnoteなのに、この日はまともな女子高生すぎる。
ということは、魂が治らないまま、別の魂がバーチャルな高校に通っているってこと?
いや待て、そもそもバーチャルな高校ってなんだ……? 今まで月ノ美兎が通っていたのは本当に高校なのか?
新たな配信が決定し、発表される。一体どっちの月ノ美兎なのか?……そもそも視聴者が見ていた「月ノ美兎」って、なんなんだろう。
魂・身体
謎を残したまま、配信が始まる。
「【癒し】私と一緒にお話しましょう♪【雑談】」というタイトルは、まず月ノ美兎の普段の配信ではつけないタイトル。
普段委員長がやるんなら「お前ら癒やされろ」くらいのタイトルでしょ?
左が「月ノ美兎の身体に、一般人女性の魂が入り込んだ状態」、右が「月ノ美兎の魂がどこぞのゾンビに定着してしまった状態」。
ここしばらくで、VTuberと魂の入れ替え問題が続いていたこともあり、多くの人が反応。
「魂」という表現は、今のVTuber界隈で使いやすい単語の一つ。
ざっくりいうと「声優」「演者」「アクター」「中の人」のこと。ただ、規定のキャラクターに自分を寄せて演じる「声優」ではないよ、というのは大前提。演者本人の素を活かし、アバターと一体化しているというのを強調するために「魂」と名付けた。そういう意味では、複数人スタッフでVTuberを運用している場合は、それらの人もひっくるめて「魂」と呼ぶことも。
「魂がアバターを衣装のように着ている」という認識。実質「演者」でも意味は間違ってないんだけど、知らない人の混乱を招くため、わかりやすく説明したための単語。
これを、百物語の「人間の魂」そのものに引っ掛けた。
ここで左の「一般人(月ノ美兎のガワ)」が「ゾンビ月ノ美兎」に質問をする。本人だったら自分のことがわかるのではないか?と。
最初はわかるはずもないような無茶な質問だったけれども、徐々に、知っていて当たり前のはずの質問に変化。「ゾンビ月ノ美兎」は身体から魂が剥離してしまっているため、「開始の挨拶」のような簡単すぎる質問に答えられなくなる。最後には、自分の名前すら忘れてしまう。
中でも「おるやんけ」という、デビュー初期、「OUTLAST」実況で月ノ美兎と視聴者の会話の盛り上がりの中で流行したセリフを忘れているシーンは、ちょっとゾクッとする。
あの時のこと、忘れたの?
記憶・設定
「ゾンビ月ノ美兎」は自らの魂の器を探すために放浪をはじめます。そこで見つけたのが。にじさんじライバーの顔イラストと、設定資料。
ここのチョイスがなかなか絶妙。例えば鈴谷アキは、公式では「周囲の人を騙すのが大好きで、あざとい。性格は腹黒い。しかし、可愛いから何でも許される。」というキャラクター付けの設定がなされていました。
実際は、非常にみんなに優しく気遣いができて、癒やしをあたえる存在。腹黒設定は微塵も残っていません。鈴谷アキ(の魂)の人柄の良さによって消滅した、「死に設定」として有名な部分です。
最近だと御伽原江良の外と内の違いは有名。デビューしたての時の、純清楚を目指していた状態を「江良ちゃん」、今の割り切り開き直りスタイルの大胆なスタイルを「ギバラ」と呼んだりすることも。
なんかこの絵面だけで笑えてしまうのがギバラのいいところ。
にじさんじのような企業VTuberの場合、大体が最初に設定付きアバターを準備して、オーディションを開催する(受かったあとにアバターを作ることもなくはない)。
ではライバーは、設定を遵守して最後まで守らなければいけないかというと、そんなことは、おそらくない。もちろん会社によるけども。
「ゾンビ月ノ美兎」は、貼られているライバーの写真に対して「キャラクター」という表現をしていて、ゾワッときた。
魂が入っていない状態なら、そのアバターはいくら見慣れた「月ノ美兎」であろうとも、「月ノ美兎」本人ではなくて、キャラクターなのだ。
VTuberは、設定を完璧に演じる義務がある「キャラクター」ではない。
魂やスタッフとアバターが、一番しっくりくる状態で、自由に自らを出しながら活動するのが、VTuber・バーチャルライバーの、今の主流。
月ノ美兎は、キャラをすぐさま崩壊させ、魂がはみ出した状態で、心赴くままに好きな活動をする、という今のVTuber思想を真っ先に行った人物の一人。
彼女がそれを忘れて、キャラクターを演じようとふらふらさまよう様子は、笑えつつもなかなか見ていて辛いものがある。
最後に見つけたのが、親友である樋口楓と、月ノ美兎の顔。ここで、樋口楓は絵の中から声をあげる。
「お前、みとちゃんじゃないやろ、お前だれや」
樋口楓は、キャラクター設定にある月ノ美兎の解説文を否定する。
「高校2年生。性格はツンデレだが根は真面目な学級委員。本人は頑張っているが少し空回り気味で、よく発言した後で言いすぎたかもと落ち込んだりする。」というのがにじさんじの公式設定。
しかし月ノ美兎は、学級委員という部分くらいしか今は遵守していない。。最近は特に、自らの表現手段であることを優先して、「月ノ美兎の設定」に囚われすぎないように活動している。ストリップや競馬に行ってレビューする、という「女子高生」設定を「バーチャルだから」でぶっちぎっているくらいだ。
樋口楓が月ノ美兎の魂を引き止めるために行ったのは、視聴者のコメント欄を参加させて、月ノ美兎との思い出、または月ノ美兎のイメージを形にすることだった。
忘却しかけている月ノ美兎の魂の記憶そのものは、アバター側に残っている。それよりも、視聴者との交流の記憶や、視聴者側が持ったイメージの方がより「月ノ美兎」である、という流れだ。
自我とは別の、自分と視聴者とのやり取りで生まれた「印象」が「VTuber」を作る、という表現を、リアルタイムで見せつけた。このコメントを強制参加させる見せ方は、すあだ氏のスタイルに近く、鈴木勝、出雲霞、ギルザレンⅢ世もよく使っている。
「雑草」とか「ムカデ」とか、最初期のワードがたくさん出てくる。月ノ美兎本人の意思より、そっちが尊重されて、VTuberらしさを取り戻していく。
考えてみたら別に「雑草」「ムカデ」は今の月ノ美兎とはあまり関係がない。そもそも「ムカデ人間」は見ただけで、好きとは一度も言っていない。
VTuberのイメージとは、そういう視聴者による曖昧なもので構成されているのが事実だと、思い知らされる。
「一般人(月ノ美兎のガワ)」の元に戻ってきた「ゾンビ月ノ美兎」。彼女は、ネット民が考える好き勝手な、根も葉もない噂を、一般人月ノ美兎にぶつける。
これは事前にゾンビ月ノ美兎がメールで募集していた「月ノ美兎に対する創作のキモい噂」からひっぱってきたもの。えげつないものがかなりたくさんあったが、「それでいい」のが月ノ美兎だ。
月ノ美兎は「ありえないようなひどい噂」すらも、自分の一部としてしまった。人に見られるあらゆることを、アイデンティティに変えてしまった。キモければキモいほど、リアル魂ではない、バーチャルな「月ノ美兎」の存在そのものに対する強固な支えになっていく。
彼女が「インターネットの子供」として、あらゆるものを吸収して膨れ上がるイメージのモンスターになっていく。
身体を取り戻した月ノ美兎、その姿は新たな「にじ3D」で自由に動き回るという、大幅グレードアップしたもの。
おそらく今回の配信は、この「にじ3Dお披露目」だったんだろう。
本人曰く、百物語終了後に思いついて急に作り始めたそうなので、元々考えていたものではないらしい。
バーチャルへの批評性ある構造
・VTuberの身体と魂の関係 入れ替わりの可能性
・本来のアバター設定と、本人の言動のズレ
・VTuberに対するネットの勝手な噂話、インターネット性、真偽と別の像
・本人とリスナーとの関係性とイメージが、バーチャルな実存を作っていること
VTuberへの批評性を、コミカルにまとめた配信だった。
ただ、批評をするために作っているわけじゃないんだろう。
そもそも、重要なはずの一般人女性の魂が戻る部分のディティールは、めちゃくちゃ雑。魂ひっぺがした行為の自業自得感も「委員長だからなあ」で済んでしまっている。
面白いことをやろうとした結果、彼女の思想性がドバドバでてきた、という感じに見える。
配信アドレスのソースコードを見ると「"にじさんじプロジェクト\",\"バーチャルライバー\",\"バーチャルユーチューバー\",\"月ノ美兎\",\"私が本物の月ノ美兎\",\"身体は渡さない」と、怨念のようなネタが仕込んである。
00年代のインターネットの遊びじゃないか!
これはこれで独立したエンターテインメントなので、余計なことを考えず楽しめる、茶番だ。
ただ、ゲーム部やキズナアイなどの「魂」と「アバター」の話が大きく話題になっている時期なだけに、色々考えてしまう。
「魂=VTuber」でも「アバター=VTuber」でもないなら、どれがバーチャルな存在なのか。これは現段階で最も悩まされている、一筋縄ではいかない問題。今回は月ノ美兎なりの思想の一部が漏れているように感じられる……けれども、それすらも受け手の勝手なイメージ。
ぼくが「月ノ美兎はネットやバーチャルについて色々考えていそう」というイメージを持っているから、勝手にこんなことを想像しているだけかもしれない。
興味深いのは、「周囲の視聴者のイメージが作り上げるバーチャル像」の流れ。
雑草を食べる委員長、というのは確かに初期の1発言であったけれども、エピソードの一つに過ぎない。けれどもファンの間では、委員長と雑草は切り離せないものになっている。
「月ノ美兎の魂」には重要ではないかもしれないけれども、「月ノ美兎」のアイデンティティとしては重要な役割をになっている。
最近にじさんじの面々も、商品キャラクター化されている。その際イラストに描かれているのは、「視聴者が抱くライバーのイメージ」だ。周囲からの見方が、仮想の姿を形成している。
魂の自我と、外部からの見え方によって、培われ組み立てられたバーチャルな命には、別の魂では置き換わることが出来ない。
月ノ美兎のアバターに記憶は残っていたが、それだけでは「視聴者のイメージ」が伴わず、「月ノ美兎」として実在できなかった、という展開はかなり考える点が大きい。
この考え方は、全てに当てはまるものではない。VTuberは魂の表現手法である、という思想の場合、表現の妨げになりかねない周囲のイメージは、ノイズになってしまう。それを受け入れるか払拭するかは、バーチャルへの向き合い方によって異なるはずだ。
月ノ美兎は、受け入れることで、今の存在になった。
顔よりも声よりも
今回の配信で、声すらなくても「月ノ美兎」はイメージで存在できるのが立証されたのは、大きな出来事。
「無名」のツイートと、noteの内容は、本来であれば声も姿もないのだから、誰か別の人が書いたかもしれないと疑っていいはずの文字列。なのに、そのツイートだけでほとんどの人間が「月ノ美兎だ!」と確信したし、noteでは「これは月ノ美兎じゃない!」と断定した。
文字列で、バーチャルな存在は作れる。
今回、月ノ美兎の身体を取り返すプロジェクトに視聴者が参加したことで、視聴者はバーチャルに干渉した。
配信中での、樋口楓の叱咤激励が印象的。
「クソ雑魚委員長!」
視聴者の中で当たり前になったこの呼名=レッテル。失礼な単語だ。でもこの言葉こそが、「VTuber月ノ美兎」の実在を形作る、重要な要素になっている。
たとえ本人が「クソ雑魚委員長」でなかったとしてもだ。
追記:委員長のネタバラシnoteが熱い。
「五人少女天国行」
「五人少女天国行」という映画を見ました。1992年作品。
タイトルのように、5人の女の子の自殺のお話です。99年の映画「ヴァージン・スーサイズ」を思い出すけど、テーマは多分似てない。
昔の中国(解放前なので大体60年代だと思う)、湖南省の田舎に住む女の子たち。
嫁入り前に死ねば、白い鳥になって天の花園に行き、幸せになるという伝説があった。
5人の少女は話を聞いて、一本の縄を使い、みんな首をつって自殺しよう、と笑顔で語り合うようになる。
序盤、少女が笑いながら草刈りをしつつ、自殺の計画を練る。女の子たち、めっちゃくちゃかわいいのですよ。村で担がれるくらいの美人から、まだまだ幼さの抜けない子まで。川が流れ崖が見える中国の田舎で、女の子たちがキャッキャしているだけで眼福なのに、そこでしているのが自殺の話だなんて。幻想的すぎて混乱する。
ただ、5人バラバラになると一転、各家庭の現実がどうしようもないくらい救いがない。
当時の中国は男性が何に置いても優位で、女性はそれを支えるもの、みたいな偏りが極端に高くて、男尊女卑極まる状態。
女性は相手を選ぶ権利もなく、周囲に嫁がされて当然。だから嫁ぐ時に、親元を離れることと嫁ぎ先に行くことを泣く風習があるらしい。
あるおばあちゃんの70歳の誕生日(貧しい村なので70まで長生きすることはそうそうないらしい)、しきたりで家では大きなお祝いを、近所の人を招きまくってするのだけれども、おばあちゃん本人は同席することは、しきたりで許されない。嫁いだ女は同席は許されないらしい。奥で食えと。
おばあちゃん、さめざめと泣く。長生きするんじゃなかったと。
他にも、妻を殺さんとばかりに殴りながら村人たちに嘲笑させる兄やら、子供を生む時にしきたりのせいで悲惨な目にあってしまう姉などが登場。
生きていて幸せになれるビジョンがゼロで、母親たちからも運命だから諦めなさいみたいに言われたら、そりゃ死ぬわ。序盤はなんて浮足立っているんだろうと不安にさせられる少女たち。死を選ぶ理由を突きつけられたら、とてもじゃないけど止められる気がしない。
出てくる男たちがまたへっぽこだったり胡散臭かったり、厄介だったり。ろくな男がいない。別に女性をあげて男をさげる描写なわけではなくて、男もまたしきたりに逆らえなくなってる。
題材が題材なだけに、少女に無理強いして押し倒すんじゃないか、とハラハラしたのですが、さすがにそれはなかったです一応。もし強姦されていようものなら、幻想すらなくなってしまう。
少女たちは男たちの面倒事はなるべく避けようとし続けます。その言い回しが特徴的。
「いやだ」「だめ」と言わない。今日は用があって、また今度、みたいな遠回りな言い方ばかり。
ここは翻訳の関係かもしれないのではっきりとはわからない。ただこの環境なら「いやだ」って言えないだろうなーというのがすごい伝わってくる。男に逆らえる感じしないもの。いや、別に奴隷的ではないんだけど、意思をぶつけてもどうにもならなさそう。
5人ともいい子で、別に家族のことは嫌いではないっぽいし(DV兄は除く)、どの場面でも一生懸命働いている。
ただ、意思表明することができず、選んだのが「5人一緒に死ぬ」という手法。原作のタイトルは「五個女子和一根縄」。長いけどインパクト絶大なタイトル。
「天国行」の日本語タイトルのセンスもとんがっていていい(行くかどうかわかんないのに)。
4人が悲惨な境遇の中、一人わりかし幸せな家庭で暮らしているのに、ふわっふわした感覚で混じって死ぬ子がいたのが、個人的にはきつかった。
こういう「一緒に死のうね」みたいなの、別に全員が追い詰められているとは限らないんだよ。お芝居にいくお金を手渡してくれるような母親の姿を思い出すと、もうやりきれない。この子がいるおかげで、少女たちが絶対的に正しいと言えなくなっている。
オンラインで配信してないようなので、見るとしたら中古DVDを探すしかなさそうだけど、中国の風習に興味がある人は見て損ないと思います。過去のしきたりで、誰一人幸せになってない。
中国少女が見たい人には絶賛オススメしたい。「不幸すぎる」というシチュエーションが強い絶望を生んだことで、彼女たちの純潔さが際立ち、美しくなっている。
問題提起的な部分は多いけど、それと同じくらい、少女よ美しくあれ、という念がこもっている。いい作品です。
たまごまごのVTuberヘビロテアーカイブ その1
佐藤ホームズさんのこれが面白かったんですよ。
基本的にぼくはMoguraVRで「今週のオススメ記事」は出しているんですが、それは「新作」「VTuber的に面白い試み」「話題作」「新人発掘」「技術」「歌・音楽」「資料」などがメインなので、「以前の名作」ってあんまり出せなかったりする。
ましてや「過去の動画で、好きで何度も見ているもの」ってなかなか語る機会がない。でもこういうのこそ、記録して残すべきだよなー、自分のブログでは……と思ったので、ホームズさんの許可を得て、ぼくもこの「VTuberヘビロテアーカイブ」やります。
というか、「#VTuberヘビロテアーカイブ」流行れ。みんなの「好きな動画」が知りたいし、たくさん集まったらそれ自体が貴重なものになりそう。
【Cover】富士葵、スーザンボイルと呼ばれて 夢やぶれて/Les Misérables
富士葵の歌動画は、「スパークル」でガツンとやられてからリストを再生して聞いているくらいにはヘビロテ。ただ「スーザンボイルと呼ばれて」は、VTuberのあり方を考える上で今も思いっきり影響受けています。
富士葵は最初の歌動画から多くの人の注目を集めていて、みんな「うまい」と認めている存在でした。この頃まだそんなに歌メインのVTuber多くなかった(ときのそらとかぜったい天使くるみちゃんくらい?)のもあるけど、聞いて即はまるくらい、理屈を超えた部分でうまい。
一部の人からつけられたあだ名が、スーザン・ボイル。「ブリテンズ・ゴット・タレント」で有名になった歌手。
これ半分くらい褒め言葉じゃないわけですよ。スーザン・ボイルは「見た目がぱっとしないおばちゃんだけどびっくりするほど歌がうまい」ということで世界で話題になった人物。これを富士葵に例えるということは、歌を褒めると同時に、案に「見た目がぱっとしない」というマイナスな言葉でもあった。ファンとしてはモヤモヤが溜まってしょうがなかった。
そこで出してきたのが、スーザン・ボイルがまさに「ブリテンズ・ゴット・タレント」で歌った、レ・ミゼラブルの「夢やぶれて」。
圧巻でした。一発でスーザン・ボイルのあだ名を、全てプラスにひっくり返しました。魂をこめて歌う人スーザン・ボイルと、魂をこめて歌う富士葵をシンクロさせてしまった。もう見た目がどうこうなんて、ここで言う人いない。「表現」の実力で、皆を納得させてしまった。
最高にかっこよかったなあ。富士葵もまだ伸びかけていたばかりの時期、いろいろ言われることがネガティブに進みかねなかったのを、実力一発で全部味方にした。
ブレスとか、音の抑揚とか、ものすごいばっちりなわけですよ。そこに、富士葵らしさが、感情の波が乗っていた。もう一流の表現者だった。
VTuber関連は、どうしても外部からネガティブな話題は出やすいもの。でも富士葵は、何もかも味方につけて、常にポジティブにやってきて、今成功している。
前向きな姿勢を持ち続けて、芯を見失わず、やり続ければ叶う、というスーザン・ボイル的な真実を突きつけてくれる動画。
ぴぐまりおん。の 糸巻おりは、初投稿のこれを聞いてゾクゾクした。やばいのがきたと思った。「here」の全部俺アレンジで、かなりいじっていて、元を知っているとまずそれだけで、多分びびる。
彼女の歌い方、ミュージカルとか舞台のそれなんですよ。腹の底から息をがっつり出していて、カーンと通る。声量がものすごい。声が聞いていて、頭の後ろまで突き抜ける。
ものすごすぎて、古いマイクだとどうやっても音割れしてしまい、2m離れて配信したことがあるくらい。
この歌い方はかなり珍しいと思う。音のとり方も含めて、歌うの好きだーとか、あらゆるものをぶつけてくる感覚が、めちゃくちゃ気持ちよくて仕方ない。
「歌うVTuber教えて」と言われたら、真っ先に教える内の1人。マイクを買い替えたそうで、新品だと音が割れず、すごい声量もしっかり捉えているようなので、今後の歌がとにかく楽しみ。「これから」のVTuberだと思うんだけど、今まであがっている歌動画も、全部いい。
長いのでこれフルで見てるわけではないんですが、癒やされたい時に頻繁に開きます。
にじさんじの「おにロリ」3組は性癖に刺さりすぎる。渋谷ハジメと勇気ちひろ、剣持刀也と森中花咲、伏見ガクと宇志海いちご(最近はベルモンド・バンデラスと宇志海いちごも最高によい)。
中でもちーハジは、「思春期に差し掛かってお兄さんに好意を寄せる少女」と「鈍いのかわざとなのか全スルーするお兄さん」という、ラブコメか!?という空気全開。
ちーちゃんは最初は10歳の魔法少女として登場しているけど、本来は18歳の高校生で、少女の姿にさせられている、という事実があったそうで。で、10歳モードでははちゃめちゃ元気な幼女という感じなんだけど、18歳になると敬語になって、落ち着いた距離感で話しかけてくる。
敬語でハジメくんに話しかけつつ、距離を縮めたいちーちゃんと、それをかわしつづけるハジメくんのトークは、かわいすぎて心臓がおかしくなる。多分ちーちゃんの気持ちは明確化しないんだろうなあ。それはそれで切ないな。
子供モードの時もいいんだよなあ。
ハジメくんはにじさんじ最初の唯一の男性(アキくんはアキくん)として、どう男性を、変に視聴者の嫉妬の対象にならないように立ち回りつつ、相手方のファンをも喜ばせるムーブを模索して、きちんと成功した開拓者的な人物。偉大。
ちなみに「でろちー」「ちーかざ」もよい。ちーちゃんが、信頼できる相手に対しては、わがまま放題辛辣殴りかかりな性格なのが、気持ちいいんだなあ。
とりあえず第一弾はこんな感じで、まだまだあるので続けます。