たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

フェティッシュから始まる恋と、官能から始まる恋慕と。「妄想少年観測少女」

妄想少年観測少女 1 (電撃コミックス) 妄想少年観測少女 2 (電撃コミックス)

「人は内面で判断する」とは言いますし、実際そうなんですけれども、外見で判断するところも0じゃないわけですよ。
要するにアレです。ひとことで言うとフェティッシュです。
あの子の脚がものすごく綺麗で見惚れてしまう。
あの人の肩が大きくて触りたくなってしまう。
こういうのに理由ってないんですよね。「好きだから」です。
すごく客観的に見たらそれは一言で「変態」といえます。ノーマルではない、という意味。
ところが現実的には程度の差こそあれフェティッシュは持っている人が多いわけで、だからこそ体を丁寧に描いた作品は非常に官能的になります。
つまりフェティッシュを持っている人の目を通した、すごい主観的な目線です。
 
この作品は本当に参ったなあ・・・谷崎潤一郎のように、丁寧に観点を紡ぎあげています。
もちろんタイトルにあるとおり、少年少女のジュブナイルなんですが、すっごく視点が狭いんですよ。世界にあなたと私しかいないってなくらいに。もっと言えば世界に、私とあなたの「手」しかないってなくらいに。
そんなフェティシズムから始まる官能的な世界から、淡く優しい恋へとつながっていくさまは圧巻です。
何がうまいって、毎回視点切り替えをしているところと、オムニバスだけど全部つながっているところ。
少年が少女を見る視点がフェティッシュだとしたら、少女が少年を見る視点もまた、フェティッシュなのです。
一話ごとに雑誌で見るのもいいですが、これは続けて読むと、彼ら・彼女らの世界に引き込まれますよ。
 

●妄想はかくも美しく●

一話目は、肌の美しさを愛する少年の物語です。
特に親しい間柄というわけでもない、少年相原君と少女柏木さん。
相原君は美術部で、絵を描くのが大好きな少年でした。
ただ、最初の一ページ目からカッ飛んでるんですよ。なんせ彼の趣味は人形の体に絵を描くことだからです。
趣味というか、性癖というか、もっといえば衝動
もちろんこれは一般的には「変態」と言われる行為であることを本人もしっていますから、誰にも言いません。

ところがですよ。
目の前に自分の最高に理想の肌を持った少女が現れたらどうですか。
描きたい、と願うでしょう。
 
「変態」という言葉はほんと難しいもので、ノーマルではないという意味と同時に「他人をその衝動から守る」ために存在している言葉でもあります。プラス用語ではない。
彼は「自制」をしています。頭の中で常に柏木さんを脱がせて、妄想をします。

何度妄想の中で
彼女の制服を脱がし、裸にしただろう。
オレは筆で
彼女の身体に、薄く紅の線をひく
(「妄想少年観測少女」第一話より)

絵は少女マンガタッチ。この一文があまりにも美しくて、なー。
セックスしたいのではないぜ。薄く紅の線をひくのだぜ。
でもできない。
一話は少年相原君視点です。だから「できるわけがない」と感じさせられる。わかります。
 
もちろん、裸にひんむいて筆で線をひく、なんて理解してくれない相手にはドン引きされるだけです。
しかし、合意の上ならばこれが一気にひっくり返って官能的になります。
柏木さんは、相原君の手フェチ
二話では逆に柏木さん視点になります。
相原君が愛しい、絵をそこに描きたい、と見続けていた柏木さんの肌。
柏木さんが愛しい、身体をなぞってもらいたい、と求め続けた相田君の手。
なぞってほしい。少女はそう願いました。

かくして、二人の間に共犯関係が生まれました。
体中に指で絵を描く相原君。
描かれた絵を人に見せることなく、自分の手に触れ続けている彼の手のように感じている柏木さん。
 
コミュニケーション成立、ではないのです。
相原君にしてみたら「オレの手だけ好きなの?」って不安になります。
柏木さんにしてみたら「貴方でなければいけないのに」と彼の手を求めます。
物語はハッピーエンドかどうか分からない状態で終わるのです。
あくまでも、フェティッシュからの接触はスタートライン。恋になるかどうかは分からない場合すらある。
ただわかっているのは、心のそこから相手を求めている、ということ。

少年側が理路整然とした「答え」を求めて焦るのに対し、少女側は「求めている」という感覚を大事にしているのも対照的で面白い。
自分は男なので、相原君の「手だけじゃなくてオレのことも好きなんだよね?」という気持ちに凄く偏るのですが、柏木さん編になると「貴方の手だからいい」というものすごい感覚的な部分もスーッと入り込んでくるから強烈なんですこの作品。
 

●妄想でとどまる少年と、観察して飛び越える少女の狭間●

少年側は基本的にこの作品ではストッパー側です。一歩踏み出せない方。
少女は観察して見守り、受け入れる側です。時には踏み込むこともあります。
まさに「妄想少年」と「観察少女」なんです。
 

再婚によって兄と妹になった二人が次の物語で描かれます。
これは男の子、兄視点。
「恋をすると、おかしな事をしてしまうらしい」とあるとおり、妹の置き忘れていったものを返さずにすべて机の引き出しに入れて、大切に保管しています。
もちろん大抵はこんなことしてたら、引かれますわな。「ただしイケメンに限る」は通用しない。「ただしイケメンでも引く」。
けれども、なんとなーくこの感覚、わからなく無いですか。
ぼくはわかります。自分はそのケはないつもりですが、好きになった異性が身につけていたものを手に取ってドキドキしてしまう、それを保管してしまう、という感覚はゼロではない気がします。大小にかかわらずあるんじゃないかしら。特に男性。
まあたかが物ですし、自分がそうされたら嫌だ、困る、というのが基本的にあるので、人はそれを忌避します。いわば防衛本能の延長線上で、こういう行為は「否」とされているのかな、とかね。
そして、それが行き過ぎることで、相手に対しての恋愛感情を表に出さず、彼女が妹としてここに無防備に来ることを望み、手は出さず、重ねた逢瀬の数だけたまった「物」を数えます。
 
一方妹視点に切り替わると、やはりこれは気持ち悪いわけで。
仕方ないよね。中には「そこまで思ってくれていたんだ」という場合もあるかもしれませんが、大抵無い。
ましてや「兄妹である」ということ、彼女が男性に触れるのを極度に嫌っていること(彼氏は欲しいけどキスとかは絶対いやだ、という性的嫌悪)が手伝って、猛烈にドン引きします。
妹は「お兄ちゃんの部屋だし」と気軽に出入りしていたのですが、もうそう考えることはできない。
つまり、これを知った後に彼の部屋に入るということは、見なかったこととして「妹」であり続けるわけにはいかない。
一人の女として、彼の欲求を受け入れる境界線を踏み出すことになります。

妹は、一つ言い訳をしながら、決断をしていきます。
自分に「性」があることを拒むか、受け入れるか、だから言い訳くらい、いいじゃない。
そもそも、なんで私は、男に触られたくないのにこいつの部屋に来ているんだっけ。どうして子供の時から髪の毛を触っていたんだっけ。
 
少女側のフェティッシュが強烈な話がその次の二人。
小さくて幼い容姿の図書委員の彼女は、鼻梁フェチでした。
顔の、おでこから鼻にかけてのライン。そこにメガネがかかっていたらどんなにか美しいだろう。
少年側は割とノーマル・・・この作品のノーマルってなんだ?
普通に見た目かわいいなーと思っている別の少女を慕って、図書室に通っていました。
しかし、少女と交わした時間が彼を揺さぶり。

恋に落ちる瞬間ってわからないよね。
一方少女は彼と話をし続けていく中で、フェティッシュを観察しているだけでなく、自らのフェティッシュを彼に明かします。
それは、少年に対する思いの告白だけではなく、自らの扉を開く行為でもあります。
少年はあっけらかんと、性欲と下心で別な人を好きだといっていた自分を「汚い」と言いました。
それを聞いて、彼女も、自分の持っている猛烈なフェティッシュを明かすわけです。私はメガネをかけている男性が好きです、引いたでしょう?気持ち悪いですか?汚いって思いますか。

フェティッシュからはじまり、相手を知りたいとおもう。
それは汚いことですか?
 

●ラインを越えた官能の中で●

その他2組が登場します。カップル、というにはちょっと違う。
一つは匂いでつながる少女と少女。

猛烈な男嫌いで、学校に行かず部屋で半裸で過ごしているうずら。
彼女はいつも思っていました。

オレの身体は、どうして”女”なんだろう・・・?
なぜ男の身体じゃない!?
けれどもオレの意思とは関係なく
男たちはオレにケモノのようなニオイを向ける。
・・・最悪だ。
そんなニオイ、1秒たりともかぎたくない!!
(「妄想少年観察少女」2巻より)

「性」への嫌悪が、幼なじみの少女ののに対して、一線も二線も超えた行動に出ます。
裸で抱き合い、ニオイをかぎあい、抱きあう。
「おまえ、お菓子だったんだなぁ」
うずらは激しく、性への嫌悪感とののへの欲求をぶつけますが、ののはなぜ応えていたのか。
それはののが「求められる」ことに極端に弱いからでした。

彼女もまた、「求められること」を「求める」少女でした。
「女」かどうかというと、二人共そういうのは関係ありません。
「のの」であること、「うずら」であることだけです、お互いに必要なのは。
 
もう一組は、自らが美しくないから、みにくいからと他の子に衣装を着せるのを喜びにする少女と、いじめられて泣いてばかりいるほっそりとした少年。
少年に、少女は女装をさせます。
少年から見たら、いじめら体質が見についてしまっているので、こう見えるのです。

悪魔。
しかし、少女からみた彼は、お姫様でした。

女装少年ものの最大のテーマ「おじさんになっても?」をズドンと突いてくる。
 
恋愛とフェティシズムには境界線がない、地続きなんだ、と感じさせてくる強烈な作品です。
そもそも彼ら・彼女らの感情は恋愛なのか?
それぞれの二人の関係はハッピーエンドなのか?
今後どのようにしていくかを考えているのか?
全くわかりません。けれどもそこにある「感覚」が本物なのだけはわかります。
まるで妄想で作り上げた砂の城を丁寧になぞっていくような、エロティックな物語群。これらすべてが友人関係などでつながって連鎖していくのが非常に面白いのです。
3巻は1・2巻の少年少女達の番外篇も描かれるとのことで、期待大です。
 
しっかし・・・人のフェチを丁寧に描かれるとこっちまで「自分って○○フェチなんじゃないか」と感じさせられてくるから不思議なもんです。
手とか女装とかは自分もそのケがちょっとあるのでわかってはいましたが、「メガネをかけたくなる鼻梁」かあ・・・なんか今後人の鼻梁に目がいきそうで困惑しますわ。

へたにぱんつやらおっぱいやらを出さず、フェティッシュにとことんこだわった描写がエロスをかもしだしてます。すごい。
ディスコミュニケーション」などでゾクゾクした人に是非オススメしたい逸品。フェティッシュ物は視野が狭くなれば狭くなるほど、鋭く面白いですね。