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ねえ、現実と虚構の区別ついてる?海野螢「ウツツのハザマ」

準児童ポルノがうんたらかんたら●

ネットで石を投げれば当たるんじゃないかと思われるくらい話題になっていた準児童ポルノ
一応「二次元はないだろう、誰も被害受けないし。」という当たり前のオチになったわけですが、どうにもその話題が3〜4年に一回定期的に起きていること自体が作戦に思えてなりませんヨ。結局今回も新聞やテレビで一回もその話題でなかったですし。
なんだろうこの仮想空間的に感じてしまう話題。だまされてる?ワタシダマサレテル?
 
まだまだこれからが問題山積みの準児童ポルノ。そんな中でしっかりと思いを表明する作家さんも多く、自分も感銘を受けています。
「反対!」とかそういう頭ごなしのものじゃない。表現者ならではのウィットと皮肉に富んだ「表現」としての声です。
XO6月号掲載の海野螢先生の短編「ウツツのハザマ」はそんな作品。脳みそかきまぜる逸品です。もうなんというか、「そうきたか!」と頭をかきむしりたくなるわい!
 

●「紙の向こう側」ってことだよ●

エロマンガは「卑猥」「不道徳」「有害」と指さされる恰好の標的に…まあなりますよね。それはね、作者と編集者と読者が一番よく知ってます。
だって。そもそも「現実」じゃないもん。そりゃーマンガのキャラに恋したり耽溺したりするけれどさ!でもね、マンガ、特にエロマンガはそれを「虚構」だって分かっているわけですよ。
と同時に、読者は知っています、創作は「現実を映す鏡」であることも。

海野先生はいきなり最初に「すごい!お兄ちゃん!」という夢のようなフレーズを入れておいて、急転直下で「はい、これは絵ですから」と、それを描いているマンガ家に焦点をずらします。ですよねー。絵ですものねー。
 
そう、絵なんですよ。
感情移入もするし、本能を喚起もするし、時には恋だってするさ。でも絵だから。虚構と現実を分かって楽しむ術を知っているから楽しいんじゃん!
この作品の中のマンガ家は笑うよ。
「『お兄ちゃんらめぇ』か、ははは」
正直そのマンガ家が描く世界(仮に世界Aとします)は、夢のような世界です。魅力的で性本能をくすぐる世界です。
その世界Aを作るマンガ家が住む世界(仮に世界Bとします)は、時間はゆっくり流れつつ、何かがズレはじめているリアルな世界です。
 
マンガ家は世界Bに対して言います。
「世の中喫煙者とエロ漫画家に厳しすぎるぜ。児ポ法だ、青少年条例だって…」

「現実と虚構の区別が付いてないのはどっちだってんだよ。」
 

●虚構が現実にあふれることは●

この後幻影のように、世界Aの美少女キャラクター萌が、世界Bのマンガ家の元に現れる不可思議な世界が展開していきます。
虚構から現実にキャラが現れる、というのは夢のようなシチュエーションではあります。「AIが止まらない!」などがそうですが、男の子鼻血ブーです。
こうして世界はどんどんどろどろ溶けて、世界Aと世界Bの境界が分からなくなっていきます。
そこを幸せな光景として描きつつも、なんだか不安定な気分にさせるのが海野マジック。そりゃそうです。そんな出来事実際にあったら不安にもなります実際は。

かわいい「妹」。処女なのに感じる子。「お兄ちゃんらめぇ…っっ!」のセリフ。
あれ…なんだこの既視感。最初にマンガ家が描いていた世界Aがそのまま世界Bで反復されるシーンは奇妙な感覚を生みます。
 
ここがエロマンガの面白いところですよね。だって、エロシーンって極めて思考力が曖昧になって、感覚で受け取る部分じゃないですか。キャラクターも読者も。
しかし、一つ矛盾が出てくるわけですよ。
マンガ家は性の流れに飲み込まれていきますが、そもそも「現実と虚構の区別が付いてないのはどっちだってんだよ」と批判したのは本人じゃないですか。なのに自分がその区別のハザマに飲み込まれていいの?
  
ここに壮絶なオチが待っています。これは読んでみてください。おそらく、雑誌で読むことに価値があるんじゃないかなあと思います。
  

●虚構だから表現は生きていく●

「現実と虚構は違う、なのに法律でうんぬんするとは何事か」とストレートに言うことも必要ですが、海野先生は「表現者」としてそれを「表現」しました。そこがすごい。
実際それって勇気がいることですし、感情でぶつけるだけじゃうまくいかない部分です。ならばマンガという表現で、虚構を描こうじゃないか。そこに、マンガ家としての情熱を感じるじゃないですか。

海野先生のコマの動かし方は非常に独特。S字型を描いているので視点がすんなり右上から左下へと流されていきます。
これがまた、海野ワールドを作るポイントになっていて、「脳が何を考えているのか」をほじくりだす働きをしています。目がこの独自なコマの流れに持っていかれるので、その世界の渦中にほおりこまれるわけですよ。
そこの中で、SF的な思考モチーフと性の感覚をはさみながら「どれが現実なの?」と常に問い続けます。
ほらほら見てごらん、現世は夢、夜の夢こそまこと。
そんな世界の中だから、「虚構」は光を放つんだな。
虚構を見て感じたものこそが、その人自身が鏡に映っていること、時々思い出すといいのかもしれません。時々ね。
 

それを考慮した上でも、海野先生の描く貧乳ショート少女はかわいいから困る。ああ、幻想遊戯で彼女たちと戯れたいなあ。ほんとにもう。
 
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町田ひらく先生が、準児ポ騒ぎの時に描いた傑作。やはり現場にいる人たちが考え、表現していることにはほとほと感嘆します。
 
〜関連リンク〜
海野屋
5月の掲載誌が1、2・・・5本!?執筆スピード、異常すぎです。