たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

「神のみぞ知るセカイ」は問いかける。究極のギャルゲーってなんだろう?

神のみぞ知るセカイ」アニメ化おめでとうございます!
帯に書かれた文章が一番強烈でした。

21才・小学館新人コミック大賞入選。22才・挫折。23才・無職。24才・ゲーム。25才・ゲーム。26才・ひきこもりずらくなる。27才・再起かけて上京。28才・挫折。29才・ゲームでごまかす。30才・ごまかしも限界。31才・取り返しのつかなさを知る。32才・ただ世界の終わりを願う。33才・アルバトロス連載開始。34才・アルバトロス打ち切り。35才・貯金残高1万円。35才神のみぞ知るセカイ連載開始。37 才・小学館漫画賞落選。37才・アニメ化決定。

チリみたいな人生も、積もれば少し盛り上がる。

これ各地で話題になっていますが、なにがすごいって輝かしい「京大卒」なのを書かずに、自虐ネタだけで締めているそのエンターティナー精神。
まさに能ある鷹は爪を隠す。
 
で。
もう8巻も出ている作品なのでいきなり「全部読んでみて!」というのはなかなかハードなんですが、この作品基本的にギャルゲーと同じ構造をしていて、各キャラを攻略、次のキャラへ、という流れなので割とどこから読んでもいけます。
それを大きな話の流れでつないでいる感じ。
 
で。
面白いのはそのメインストーリーとヒロイン回の狭間にある回。
単発で若木先生がこれでもかといわんばかりにギャルゲー愛を語る回が時々あるんですが、これがもうエッセイ漫画的で非常に面白い。
要するに何が言いたいかと言うと。
とりあえずこの漫画を知らない人でも、8巻の75話だけはなんとか見て欲しいのです。
 
「最高のギャルゲーというのはなんなのか」
 
永遠のテーマになりそうなこの問題が、18ページに詰まっています。
 

●究極のギャルゲーを作ろう!●

とあるゲーム会社から、ギャルゲーが得意な主人公の元に一通のメールが届きます。
「ご意見を100%取り入れた、究極理想のギャルゲーを作りたい!と思っています」
まあうさんくさいことこの上ないですが、魅力的ですよねこんなこと言われたら。
実際にそれを作るか否かでいえば「出来る訳ないよ」で終わるわけですが、誰もが一度は考えることです。
究極のゲームとはなにか?
まあこどのゲームでもその人なりの究極は存在するでしょう。無論答えはありません。
しかし「ギャルゲー」というジャンルは特に話が複雑。
 
そもそもギャルゲーはゲームなのか? ゲーム性があると逆にストーリーが損なわれるのではないのか?
いや、ゲームであろう。ゲームであることを放棄するのは存在価値を揺るがす、ただのストーリーノベルになるんじゃないのか?
このとてつもなく曖昧な質問は、もう幾度となく幾度となく幾度となく各地で繰り返されてきました。

まさに「物語が大事なんだ」派と「ゲーム性が必要」派でぶつかってしまったシーン。
自分はそこまでギャルゲーを大量にやりこんでいる人間ではないのですが、言っていることどっちもなんとなく分かります。自分ですらそうなんだから、ギャルゲーを本当にたくさんやっている人間ならこの対立関係は痛いほどよくわかるんじゃないでしょうか。
 
「ならその中間層をとればいいんじゃない?」なんて自分は思ったりします。
ところがどっこい、よくよく考えると「中間」ってことは最終的にはどっちつかずになっちゃうんですよね。
それは、とても究極とは言い難い。その絶妙なバランスが保てれば……と思うのですが、ここに「属性重視」の視線や「音楽重視」の視線が入ってきてバランスがまた崩れます。
うーーーーんなんだこの歯がゆさと堂々巡りは。
 

●複雑なギャルゲー事情●

ギャルゲーを巡る問題は「何をテーマにするか」だけではありませんでした。
若木先生はこのへん非常に深く鋭く突っ込んでいます。

ワンパターンで王道なギャルゲーに対して反旗を翻す人々の図。
まあ人々っていっても全部主人公の脳内なんですが。
個人的にここで言われている「反ワンパターン」というのは分からんでも無いですが、廃止、と言われると「ん?」となります。
一方それに対するのが「統一ハンコ絵党」
この作品は「ハンコ絵」というのを愛を持って堂々と言っちゃうからすごいですね。
ハンコ絵という言葉自体割と卑下した使い方の多い言葉ですが、この作品においては褒め言葉になっている場合があります。
ちなみにはてなキーワードによると

髪型や髪の色や目の色のみでキャラクターの個性を付け、白黒ハゲアタマにすると全部同じ絵になる画風のこと。
「判子で押したように同じ顔」ということからこう呼ばれる。

とのことです。
これだけ見ると「同じ顔」となるからあんまりいい印象がない言葉に見えますが、この作品は以前もハンコ絵について書いていました。ギャルゲーにとって避けて通れないハンコ絵をここでは「先人が残した良き理想の伝統」と語っています。
このへんも参考に。
関連・まおか : ハンコ絵の魅力とは - ふたばまとめ
なかなか興味深い。
とはいえ「じゃあそれが最高か」と言われるとなんとも悩ましいところ。
 
おや。
「面白いこと」を探していたはずなのに、なぜ悩んでいるんだろう?
 

●争いの果てに●

若木先生の語るギャルゲー愛はまだまだ留まる所を知りません。

これは「ヒロインは一人が至上」派と「マルチヒロイン」派の争いの様子。
これも主人公の脳内ですが。
書いていることがまた、説得力あるんですよねえ、短い言葉の中で。
そもそも、自分はギャルゲに疎いので、この対立構造は言われるまで理解できませんでした。このシーンを見てああなるほどと。確かにヒロイン一人をピックアップすると多様性はなくなりますし、多様化を求めすぎるとヒロインの究極度はガタ落ちして分散してしまいます。
 
物語なのかゲームなのか。
斬新さなのか伝統なのか。
一人のヒロインなのか複数のヒロインなのか。
ETC,ETC……。
 
うーん。
究極の「面白い」を求めるはずが、気づけば無駄な争いの積み重ねになってしまう。なんだろうこの悲しさ。

これはこの回の最初の方のシーン。
そう、「かわいい女の子が出てくればいい」と言う思いがあったはずなのに、「ギャルゲー」という言葉の曖昧さにとらわれて盲目になってしまう恐ろしさ(?)をこの回は描いています。
どのゲームジャンルでも必ず出てくる「究極論争」ですが、ギャルゲーの複雑さは半端じゃないなあと思い知らされました。そもそも「ゲームなのか?」からはじまるんだもん。
 
若木先生は、この回できちんと一つの解答を出しています。
これは、納得行く行かないは別としても是非見ていただきたい解答でした。
ある意味、リアルギャルゲーを漫画にしている若木先生だからこそ出せる解です。
いや、解ではないかもしれません。ただ、自分はこれを見て大いに納得したとだけ書いておきます。
 
おそらく75話のこの解が納得出来た上でも、きっと(ギャルゲーというジャンルがある限り)永遠に繰り返される疑問でしょう。
「素晴らしいギャルゲーとは一体何なのか?」
75話は一つの区切りとしてそれを描ききっていますが、「ギャルゲー」という物に対しての熱い思いが、この現時点で8巻まで出ている「神のみぞ知るセカイ」という作品そのものであることに他なりません。
若木先生のギャルゲー愛は余りにも深い。
だからこそ、この漫画は面白い。
 

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ちなみに、この漫画の面白さは「ギャルゲーのあり方」だけではなく「問について解を出すミステリー作品」としてのテンポの良さもあると思います。
必ずヒロインに訪れるカタルシスの心地よさ。しかしその後記憶が消えてしまう刹那さ。なのになんだか心の奥底で残っているというほんのりした寂しさ。
そしてなにより出てくるヒロインが全員かわいい!
これ大事。
一番大事だからね!
 
神のみぞ知るセカイ 1 (少年サンデーコミックス) 神のみぞ知るセカイ 2 (少年サンデーコミックス) 神のみぞ知るセカイ 3 (少年サンデーコミックス) 神のみぞ知るセカイ 4 (少年サンデーコミックス) 神のみぞ知るセカイ 5 (少年サンデーコミックス) 神のみぞ知るセカイ 6 (少年サンデーコミックス) 神のみぞ知るセカイ 7 (少年サンデーコミックス) 神のみぞ知るセカイ 8 (少年サンデーコミックス)
ギャルゲは興味ないよー、という人でも、短編推理小説的に楽しめる良作だと思います。最初にも書きましたが、ヒロインごとの話はそんなに長くないので、飽きないんですよね。それでいてバリエーション豊かで全員かわいい。こりゃすごいことだ。
「女の子の心の隙間に入り込む『駆け魂』を捕まえるために、個々のヒロインを攻略する」という設定だけ知っていれば、そのヒロインは裏側に必ず記載されていますので、ぶっちゃけ「お気に入りのヒロインの巻から買って見る」という読み方も有りだと思います。
多分それではまったら、一から読みたくなるんじゃないかしら。