たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

「まどか☆マギカ」の世界の「少女」にぼく何を求めてるんだ? 絶望か?成長か?生贄か?

ここしばらく体調崩していたのですが、「まどか☆マギカ」が気になりすぎて、横になりながらもう何度見たか分かりません。
どう考えてもそれ悪化フラグのような感じがしますが、なんか妙にBGVとして最高なんですよ、まどっち。
病気ですね。でも「好き」の領域を越したところに入り込まれてしまいましたよ。
なので、ちょっと吐き出してみます。メモっぽいのであんまりまとまってません。
 
さて。
まどか☆マギカ」については「何も考えずに見ろ」というのがムリってなもんで
もう見るたびにいろんなコト考えちゃいますね。
シャフト作品で比較するなら、「ぱにぽにだっしゅ!」「絶望先生」「化物語」「荒川アンダーザブリッジ」「それでも町は廻っている」などなど本当に山ほど作品群があるわけですが、割とこのへん自分何も考えずにボヤーっと見られたんですよね。ぱにぽにと絶望はネタ探しでゲラゲラ笑っていましたし、化物語は落語のように見てました。
あえて言えば「絶望先生」のOPだけは異質でした。ひそかにメッセージ性があるのか無いのか分からないような匂いをプンプンさせて、OAD劇団イヌカレー「林檎もぎれビーム!」はかなり深読み出来るようなネタに仕上がっていました。
元々の「さよなら絶望先生」自体、というか久米田作品自体が割と何かを匂わせているからこそ、うまくマッチしたんだと思います。
 
機械とセーラー服に囚われた少女の美学 〜「【懺・】さよなら絶望先生 番外地 下巻」OPの呪物少女達〜
風浦可符香の心の「躁と鬱」を「獄・絶望先生 下」のOPに見る。
【獄・】さよなら絶望先生・註のOPの、筋肉少女帯パロディの数々を今回も見てみるよ。
「【獄・】さよなら絶望先生」の筋肉少女帯パロディ集
「【獄・】さよなら絶望先生」とヤン・シュヴァンクマイエル〜モノの持つエロティシズム〜
「俗・さよなら絶望先生」OPに見る躁の心とエログロナンセンス
「さよなら絶望先生」OPにみる、少女解体とオブジェ観
「俗・さよなら絶望先生」OPに隠された謎
「俗・さよなら絶望先生」のOPとEDが作る物語
 
まどか☆マギカ」からシャフトの名前を知った人は、是非絶望先生のOPのすごさは見ていただきたい。本編はまったり回も多いですが意味深にすら見えてくる。
 

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んで。
自分が見ながらずーっと考えていることの一つがこの言葉に集約されていました。
 
『まどか☆マギカ』虚淵だけじゃなくて監督とか演出家とかもっと褒められるべきじゃね?|やらおん!

地元のサブカルチャー雑誌のアニメ紹介コーナーで
「女の子がグロい死に方をするのを見るのが好きな人にお勧めのアニメ」
って紹介されてて吹いたwww

ああああー!
こんな風に書かれるとマミさんファンとしては心が痛んで仕方ない、「違うそうじゃない」と叫びたくなること間違い無しのキャッチコピーですが、これある意味においてはすごい的確だから困る。
そうなんですよ。ごく一部の、具体的に言うとぼくみたいな人間にしてみたら、「悲しい、苦しい」と言いながらすっごい楽しんじゃってるんですよね、欝を。グロを。
 

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「魔法少女」は解体されるのか? 「まどか☆マギカ」が映しだす自分の鏡像 - たまごまごごはん
以前もちょっと触れましたが、ほんとこれ鏡みたいな作品だと思うんです。
キャラを愛して、彼女たちの幸せを願う人には心の痛い作品だと思います。
ある意味ひねくれたミスリードを誘う作りに、なんとも言えない嫌悪感を感じる人には徹底して受け付けない作品だと思います。
そして生贄としての少女像を願う人には極上料理な作品だと思います。
 
友達としゃべってたんですよ。
この作品は本当によく出来ている。エンタテイメントとしての要素ががっちり詰まっている。
しかしまどか☆マギカ」を見てニヤニヤしているぼくは実際のところさぞかし醜いことだろうと。
いわば、ローマのコロシアムで剣闘士が戦ったり、奴隷をライオンに食わせたりするのを見て喜んでいる観客みたいだろうと。
まあ、ほんとひどいはなしなんですけれども。
でもそうなんだよ、そうなんですよ。
プリキュア勝利するのを願うのと同様に、心の底から嘘偽りなく応援はしていると思います。「最後には笑って欲しい」「マミさんが『からくりサーカス』の鳴海兄ちゃんのように復活してほしい」という思いも激しくあります。
しかしさらなる惨劇を今か今かと待っている自分は間違いなくいるんです。ぼくの場合。
もうずーっとこれをもやもや考えていました。
ここまでくると、虚淵玄氏や新房監督の意図から外れているのか、手のひらの上なのかすら分かりません。
ぼくは少女たちに何を求めているんだろう?
 

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ここでやはり引き合いに思い出されるのは、「舞-HiME」です。

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個人的にこの作品は、今思い出すとやっぱりすっごい好きな作品なんです。
前半はラブコメエロコメ要素も含めながら、高揚する激しさを持ってどんどん力をあわせて前進していく。熱かったよ。
しかしやっぱりインパクト絶大なのは後半。
力を手にした、お互い顔も見知った、仲良くなった仲間同士で殺し合わねばいけない。しかも消滅するのは自分にとって一番大切な人、っていうね。自己犠牲で済ませない恐ろしいバトル・ロワイアル。私利私欲以上のものを背負っています。
リアルタイムで見ていてそりゃあもう驚愕しました。
頼むから動くな、戦うな、と何度思ったか分かりません。しかし彼女たちは崩れるように戦わざるを得なくなり、一人減り二人減り。
恐ろしかったですよ。
本当に勘弁してくれ、と言いつつ見続けました。
 
ところが最終回、驚きの全員復活。
え!?
安堵したのは事実です。すごく「あーよかった」と思いました。
思いましたが、同時に「え!?」と声に出たのも事実でした。賛否両論巻き起こるのも無理はないところ。
その時気づきました。
ああ、ぼくは「やめてくれ!」と言っておきながら、彼女たちの心と身体の惨劇を楽しんでいたんだなあと。
 

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ちょっと漫画家の田中ユタカ先生の「まどか☆マギカ」感想をピックアップしてみます。
Twitter / 田中ユタカ TanakaYutaka: 「まどか☆マギカ」では家族や友人などの「他人」(得体 ...
Twitter / 田中ユタカ TanakaYutaka: 人生のどこかの時点から「他人」なんて恐怖でもなんでも ...
Twitter / 田中ユタカ TanakaYutaka: 「少女」を無垢であるが故に傷つけ破壊したいという欲求 ...
Twitter / 田中ユタカ TanakaYutaka: 世間とは「無垢な子供」を血まみれにして傷つけ破壊する ...

「少女」を無垢であるが故に傷つけ破壊したいという欲求は伝統的でポピュラーなものですね。単なる性倒錯では語れないもっと大きな普遍性があると感じます。社会的存在にならざるを得ない人間の共通の根源的な「自画像」なのかもしれません。 #magika

この話面白いなあ……。
まどか☆マギカ」ショックは割と絵のギャップと相まって、今ネット中を駆け巡って震撼させているわけですが、アニメ・マンガ・小説で「少女が死ぬ」「心が引き裂かれる」という描写自体は確かに昔からたくさんあります。それどころか神話時代から数多くあり続けます。
物語の中において、少女人身御供の話もあれば、私怨で相手をのろい殺す少女もいるし、私利私欲で残虐な行為を繰り返す少女もいれば、何かのために命を捨てる少女もいます。
少女が戦闘に駆り出された時、すでに人々は……というか「ぼく」は、欲求の視線を視線を注いでいるんですな。
多分それがいやで、このタイプの作品を敬遠する人は多いと思います。
それを受け入れて楽しむ方向にシフトチェンジしている人も、いると思います。
あるいは胃が痛むような圧迫感を体感することで、何かを得ようとしている人もいるでしょう。

世間とは「無垢な子供」を血まみれにして傷つけ破壊する存在です。だからこそ、そこから想像力を振り絞って「子供」を救済しようとすれば「大人」の視点の作品になり、「子供」が破壊される声なき恐怖に身を懸けて寄り添うと「子供」の視点の作品になると言えると感じます。 #magika

田中先生の言葉を借りてばかりで恐縮なんですが、この作品の見方の一つとして「子供が感じている不安を味わう」という部分、大いにあると思います。
世界は恐ろしい。だけど負けるな、戦え、大丈夫!と言えるのは大人の視点。
世界は恐ろしい。怖い。逃げたい。でも逃げられない。絶望しか見え無いというのは子供に寄り添った世界への畏怖。
どちらが正しいじゃなくて、根本的に見ている位置が違う。
 

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まあ、終わってもいない作品なのでほんとなんとも言えませんが。
少なくとも4話時点までではその「子供から見た世界への恐怖」を具現化したのがあの劇団イヌカレー空間(魔女の結界)なんだろうなあと思います。
3話でマミさんの絶望的な姿を見た二人に、キュゥべえがそのことに触れず「早くぼくと契約して魔法少女になってよ!」と平然として言うシーンが気持ち悪くて仕方ないのですが(顔が変わらないっていう演出を考えた人はすごいですね)、あの選択肢と視野の狭さを強いる構成はまさに子供の視野の狭さそのものだなーと感じました。
たしかにね。他にいくらでも方法あるはずなのにどうしてそっちにいってしまうの?という部分たくさんあると思います。
ぶっちゃけ願い事として「魔女を全部倒して世界を平和にして」という願い事だって、現時点では言ってもいいわけでしょうし。
この場合その子が人身御供になってしまいますが。
まあ、残虐を求めるとかバッドエンドが見てみたいとか言いつつも、もしまどかさんがとんでもない成長を遂げて、何もかもひねり潰して戦うような激しく熱い展開になったら、号泣します。成長の過程が見たい、というのも0じゃないんです。でも全く予想がつかない。まだ今は子供。
 

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子供の頃、自分は「周りの人はみんな嘘つきで自分だけ騙されているんだ」と思い込んでいました。
そんな妄想が怖くて、たまりませんでした。
小中学生時代の自分はそこそこ優等生でした。体育以外オール5の。だからたくさん褒められました。
でもきっと褒められているのなんて嘘なんだと思って怯えていました。
自分以外のすべての世界が、きっと嘘を付いているんだと思っていました。
冷静に考えたらそんなめんどくさいことする訳ないんですが、それが「子供の視野」でした。
この作品を見ていると、大人になった今、あらゆる不信と絶望に怯えていたその時の感情を思い出してならないのです。
どこまでが虚なんだ、どこまでが実なんだ。
 

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ネットで日本中の人が様々な方法で見られる、というのが前提にあるのもでかいですね。
それを意図して、あの読めない文字を解読させ、魔女の名前を解明させてしまうネタのばらまきっぷり。これたいしたもんですよ。
物語を抜きにしても、本当にアニメーションとして非常によくできている。
マミさんの戦闘シーンのイメージ力は本当にすごい。マスケット銃っていう武器を選んだのも、単発だからどう戦うかをアニメーションの作画だけで解説してしまうのもすごい。あれだけややこしい世界なのに変に面倒な解説シーンなしにすんなり引きこんでしまう緻密な計算もすごい。生理的嫌悪感と「かわいい=こわい」を意図的に配置したデザインもすごい。蒼樹うめ先生のかわいらしい少女たちにひどいことをすることでギャップが生まれるのを想定しているのもすごい。気分を高める音楽のクオリティにはゾクゾクします。
これらが、ネットを介して話題になるのまで見越しているのがすごい。
解読班や考察派の人の意見が入り交じって今どえらいことになっているのは、もう作り手側にしてみたら手のひらの上状態なんじゃないかと思います。
と同時に、そこをあふれて作り手が予想だにしなかった予想や考察も飛び出してきている。それだけの世界が準備されているから。
「思考遊び」の出来る作品にすでになっているんでしょう。
 
無論、「女の子がひどい目にあうのが見たい」人ばかりではないと思います。
今、pixivではマミさんのイラストがヒロインよりもダントツで飛び抜けて枚数が多いです。それだけ彼女はかっこよかった。
かつ人間の中の様々な欲望と感情を突き動かすキャラに仕上がっているのは間違いなさそうです。
マミさんの殺風景な部屋に、紅茶の本があったのはなぜだろうか。
一人孤独に暮らしていた彼女は、まどかとさやかの先輩でありたかったんじゃないだろうか。
でもなぜあそこまでしてほむらを嫌っていたのか。
まだ「マミさん」の存在は消滅していません。むしろ時を追うごとにふくれあがっています。
 

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「魔法少年」がいないのも面白いですよね。少女じゃなきゃだめなんだよ。
というか魔法少女」というのがすでに一つの概念としてあの世界の中で確立しているのがまた面白い。
この世界でも、ですけど。
(ちなみに「魔法少年」のイメージに限りなく近いのは、フクイタクミ先生の「ケルベロス」あたりかな?と思ってます。)
 
少女が戦う残虐さの面白さを描いた作品としては「シンシア・ザ・ミッション」が近いかなーと思います。

こちらは契約とか巻き込まれではなくて、自ら戦地に赴いていますので、そこは決定的に違います。
しかし「残虐なの見たいでしょ、見せてあげるよ」という舞台としてはうってつけ。どこまで女の子を傷めつけられるかを見せるのが高遠るい先生の技術。
 
そしてもう一つは「ガンスリンガー・ガール」。

救いの無さ、大人が子供を道具にする葛藤、少女が腕や脚を折りながら戦う様など、「残虐を楽しむ作品」とはちょっと違いますが、逆にこちらの方は、洗脳のような強い暗示の上書きで運命から逃れられない少女の絶望感が浮き彫りになっています。
正直ぼくはこの作品は「残虐を望む」のではなく、あの子には死んでほしくなかった。無理やりねじ曲げてでもいいから生き延びて欲しかった。でも無理だよね。わかってる、分かって読んでるんだよ。
 
少女がひどい目にあうのを見て楽しみたい、それだけなのか。
少女を自分のスケープゴートにしているのか。
過去作品の、生贄になった少女たちを色々思い返しながら「まどか☆マギカ」を視聴し続けていくことで、何かが見えてきそうな気がしてなりません。
ぼくは「少女」に何を求めてるんだ? 無垢か? 絶望か? 解放か?
 
 
 
ただ、ひとつだけ。
この作品に関しては「このキャラが好き」って言えない。怖いから。「好きだった」になりそうだから。
原作がない分、何が起きるか分からないという身構え感が凄まじいです。
これこそ、子供の自分が未知の世界に恐怖していた感覚そのものじゃないか。
 

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マンガ版、どうなるんだろう。見当もつかないんですが。
とりあえず全力で楽しむ覚悟完了済みです。
問題は「放課後のプレアデス」とか見ても悪い方の妄想をしてしまうように脳の回路のスイッチが入っちゃったことでしょうか。中和しなさい中和!……ってほど単純にいかないのよね。
美しいものと陰惨なものは表裏一体。「まどか☆マギカ」に対して「ひどいぜヒャッハーwww」ではなくて「なんて美しい話なんだろう」と感じている人もいるかもしれませんし。
 

個人的に先程もあげた田中ユタカ先生の「愛人[AI-REN]」や「ミミア姫」と、長月みそか先生の「少女素数」を比較にしながら、「まどか☆マギカ」を見て少女像をもう一度見直したいです。
多分、自分個人として追求する少女像はそっちの方が激しく揺さぶる力を持っているから、ぶつけあって何かを見つけたい。
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〈『ミミア姫』の田中ユタカインタビュー 後編〉「作品はもっとこの世の果てに行かなければ」(エキサイトレビュー) - エキサイトニュース
愛人-AI・REN- 上 特別愛蔵版 (ジェッツコミックス) 愛人-AI・REN- 下 特別愛蔵版 (ジェッツコミックス)
ミミア姫(1) 「雲の都」のミミア姫〜光の羽根のない子ども〜 (アフタヌーンKC) ミミア姫(2)騎士の帰還〜光の羽根の少年〜  (アフタヌーンKC) ミミア姫( 3) ミミア姫の旅立ち〜いちばんさいしょの物語〜  (アフタヌーンKC)
少女素数 (1) (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ) 少女素数 (2) (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ)
友人と話していました。
「契約して魔法少女になるんじゃなくて、むしろ魔法少女になることが夢だよ。いや、少女になれればそれで十分だよ」
ぼくの中の少女は今、偶像であり生贄なんです。
それが揺り動かされそうだから、今楽しいんだ。