たまごまごごはん

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希望を持った少女が向かうもうひとつの行き先。「魔法少女まどか☆マギカ」11・12話 その2

少女の限界の中での最高を目指して。「魔法少女まどか☆マギカ」11・12話 その1
続きー。「少女」が絶望せず、希望を持ち続けることについて、簡単に。
収納します。
 
 
 
 
 
 

●大人から見た少女たち●

 
これ不意打ちすぎだよ!
まさか先生とまどかのお母さんが一緒に酒を交わす仲だなんて思いもしないよ。
驚いたわほんと。
 
<追記>
言われて一話見直したら、お母さん先生の恋愛の話してた!(in 洗面所)
こ、こんなところで・・・。こりゃ全部見直さんとアカン。
 
さやかが死んだことでショックを受ける先生、まどかの気持ちが分からず悩むお母さん。
最初に感じたのは「ああ、仁美もものすごくショックだったんだ」という点でした。ほっとした、って言ったら変だけど……ほっとするよ。仁美は悪いことしたわけじゃないもんね。
大人の女性と、子供の女性。子供の女性は「少女」と呼ぶ。
じゃあ大人の女性は「少女」から何か変わったのだろうか?

先生「あの年頃の子どもはね、ある日いきなり大人になっちゃったりするものよ。親にとってはショックだろうけど」
お母さん「そういうもんか」
先生「信じてあげるしかないわね。今まどかちゃんに必要なのは、気持ちを整理する時間だろうから、しばらくは待ってあげないと」
お母さん「きっついな、何も出来ないなんて」
先生「そういうところで要領悪いの、相変わらずよね詢子」

幼なじみでしたか。
ショックなんですよね、突然の成長。でもこの会話、大人のものだけどまるで少女同士そのままじゃないですか。あえて「大人」を探すなら、冷静に判断し、考えて「待つ」ところでしょう。
なんせさやかやほむらは「待つ」ことをしませんでしたもの。
 
詢子お母さんは待ちました。
ずっと、まどかが言い出すまで、待ちました。

無理やりに引きずりだそうとしなかった。
これは本当にツライ。感情に任せて動けたらどんなにいいだろう! でもできない。
 

●旅立ちの時●

最初で、最後の、永遠にもうすることのできない、ビンタ。

母の叫びは悲痛なものでした。
「てめえ一人のための命じゃねえんだ!」
自己犠牲は尊くて、美しくて……ほんとに?
その人が失われることでどれだけの人が悲しむのだろうか。
ほむらも同じことを言っていました。

なんであなたはいつだって、そうやって自分を犠牲にして。役に立たないとか、意味が無いとか、勝手に自分を粗末にしないで。あなたを大切に思う人のことも考えて。
いい加減にしてよ、あなたを失えばそれを悲しむ人がいるってどうしてそれに気づかないの? あなたを守ろうとしていた人はどうなるの!?
(8話より)

ほむらは、少女だったからそう叫びました。叫べました。彼女の全ての力の源、道しるべです。
しかし詢子お母さんは違いました。
娘の……中学二年生ですよ……その娘の言う強い言葉を、信じて背中を押さなければいけなかった。
これは絶対にほむらには出来ないこと、詢子お母さんにしか出来ないことです。

 
行かせたかったか?
行かせたいわけないじゃないですか。泣いてでも、歯ぎしりしてでも、ぶん殴ってでも、止めたいところですよ。たかが中二の娘が、危険なことに首を突っ込んでいるっていうのに。そしてこれはおそらくですが……多分もう会えない可能性だって、でかいのに。
 
この世界は、魔法少女であることや「魔女」の存在をほとんど隠そうとしません。お約束の「ばれちゃいけない」「秘密」がほぼないです。とは言ってもまあ、わざわざ言い広めるものでもないですが。「クラスのみんなにはナイショだよ!」程度です。
一応避難も「スーパーセル(巨大竜巻の元になる積乱雲)です」ということにはなってますが、お母さんにはもうバレバレですよね。なんかあるんでしょって。第一スーパーセルだって本気で信じていたら、娘を行かせても何にもならないのだって分かっています。
そんな状態で、分かっていて行かせているってことは、詢子お母さんにも覚悟が出来ているんでしょう。
もちろん、こんな旅立たせ方、望んでないけれどもね。
詢子お母さんは、気づいたんだと思います。
彼女が何かの「母」になることに。
 

●母は完璧ではないけれども●

Twitter / 田中ユタカ TanakaYutaka: お母さんは裏ヒロインでしたね。「少女」がなるべきもの ...

お母さんは裏ヒロインでしたね。「少女」がなるべきものは「魔女」ではなくて「母」ですから。「少女」が現実を知り、それでも希望を持ち続けてなるのは「母」です。子どもを送り出し、子どもを迎える詢子お母さんが作品のひとつの回答だと感じました。赤いリボンの想い。

現実を知り、絶望して呪いを撒き散らすのが「魔女」ならば、現実を知って希望を持ち続けるのは「母」
いい言葉だなあ。
上のお母さんと先生のシーンでも書きましたが、「母」は完璧な存在ではありません、非常に不完全で、幼い女の子らしいところもあって。でも誰かを守る存在です。
「少女」だったまどかは、概念とか良く分からない感じのものになりましたが、大雑把に言えば「母」になった、でいいんじゃないかと思いました。「聖女」より、少なくともそっちの方が……なんだろう、解答じゃないけど、ぼくは好きだなってことです。

ほむらの元に来たまどかのこの細かな描写は本当に見事ですよ。
友情、愛情なども含んだ、ほむらに対する、言葉で表現なんてできない山のような大きな気持の塊。

ほむらは、幼くもまどかのもう一人の「母」でした。
ずっとほむらが必死になって、命がけでまどかを守り続けてきた記憶が、まどかにもよみがえります。ほむらが作った並行世界全てが見えるようになったから。
まどかがこの結論を見出すまでに育ったのは、がむしゃらになってまどかを守ったほむらのおかげです。全く無駄にはなってない。って信じていいよね?
今度はまどかが、あらゆるものの「母」になります。
詢子お母さんに背中をおされ、ほむらに別れを告げ。

まどかの武器……武器じゃないなあ、まどかの救いは弓矢でした。
細かいギミックだなあと関心しましたが、この弓矢、花になって咲くんですよね。花は種を作って次の世代をうむ象徴そのものじゃないの。
守るだけじゃない、次の世代へ引き継ぐもの、それが「母」であるというのなら、まどかは「母」だと思いたい。

この象徴的なリボンもいいですね。
魔法少女まどか☆マギカ最終話の演出の解説 リボンが象徴する事 - karimikarimi

リボンは特に女性の象徴である装飾であり、絆を暗示するアイテムであります。

全くそのとおりだと思います。
このリボンによって、まどかのいない世界で詢子お母さんが「まどか」という子供を迎え入れるやりとりの細かさ。
 
杏子も、マミさんも、忘れてしまったまどかの存在。ほむらだけが知っているはずのまどか。
なのに、詢子お母さんと弟はかすかに憶えているなんて、ほんとずるいよね。
ほむらとまどかの絆としての「リボン」ですが、そのリボンが詢子お母さんとの絆としてもつながるなんてさ。
 
母は完璧な存在ではないけれども。
幼くて、少女のような心ももっているけれども。
「少女」が「女」に、「魔法少女」が「魔女」になるのではなく、「少女」が「母」になる、というのも、ひとつの可能性としていいんじゃないかなって。子供を産む=母じゃなくてね。もっと漠然と、何かを育てる存在として。


世界が楽園になったわけじゃない。憎しみとか悲しみとかは残りっぱなし。
それを救うための「ヒーロー」としての魔法少女がここから生まれます。まどかが愛して守った世界の上で。魔法少女にメスを入れ、メタ視点だった「まどか☆マギカ」が、最終的に「魔法少女」の肯定に回帰していくってのが、好き。少女たちが戦うのは、やっぱり希望のためなんだ、大切なもののためなんだ、って最後の最後に肯定してくれた。
 
なんだろな、難しく考えたらほんとどこまでも答えのない応答のできる作品だとも思うけど、同時にただまっすぐに受け入れて記憶に残る作品だとも思います。きちんとしっかり終わりつつ、思考遊びの余地まで残してくれた。よくできてるよほんとにもう!
このめんどくさい世界も、まどかがいてくれたおかげで少しよくなっていると考えるのも、ちょっと素敵じゃないですか。そのために何が出来るかなんて全然わからんけどさ。ミラクルライト振れって言われたら振りまくるよ。希望の力をー!
あえて、あえてこの作品にぼくがもう一つの希望を抱くというのなら。

杏子とさやか、幸せになれ!
絶対、どこか別の世界でさ、幸せになってくれるって。
信じるからね!
 
 

素敵な作品、ありがとうございました。
 

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