たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

山は笑い、山は怒り狂い、少女は歩き続ける。押切蓮介「ツバキ」の凶悪な密閉感

押切蓮介先生の「ツバキ」一巻が出ました。
あれ? っと思った人も多いと思います。ホラーMの方から一冊「椿鬼」という本が出ているんですよね。こちら。
で。
今回講談社シリウスから出ているものは続編状態の完全新作。帯でも「完全新作」と大きく銘打たれています。むしろホラーM版好きだった方は必見。
 
日本の民俗的な話題や田舎をテーマにした作品が多い押切蓮介先生。
今作のテーマはマタギです。
マタギってよく話としては聞くけど、実際どんなだか全然自分も知らないです。
マタギ - Wikipedia
村田銃担いで鹿や熊とガチで戦う生き様は想像を絶するもの。だからこそ非常に興味深い。
そこに押切蓮介ヒロインを持ってきたってのがいい! 実にいい!
押切蓮介先生の描く女の子って、めちゃくちゃかわいいんですよ。
 

押切蓮介ヒロインの美しさ●

個人的には「ミスミソウ」の春花がもう美しくて美しくて大好きでなりません。
「ミスミソウ」に見る、閉じた社会と壊れていく心
答えと価値観の崩壊したセカイしか、見えない。「ミスミソウ」2巻
押切作品のおばけと女の子は、かわいいんだぞ。「ぼくと姉とオバケたち」
押切蓮介先生って「この子はこうなんだ!」っていうのをガリガリ念をこめて描き込むタイプの作家さんだと思うんです。
「この子は強い!」
「この子は美しい!」
だから世界の中で、紙の上で、彼女たちはほたるの光のように輝きます。
太陽……ではないんですよね。満月のように、暗闇の中の光の方が近いです。強い子(例・「ゆうやみ特攻隊」の隊長)も可憐な子(例・「ミスミソウの春花)も。
 
今作の主人公椿鬼は「この子は強い、ものすごく強いんだ!」「この子は美しい、誰が見ても目を留めるほど美しいんだ!」という両面をガッツンガッツンに詰め込んだヒロインです。

なんせマタギですからね。ライフルとか期間銃とかじゃないのよ。村田銃と包丁ですよ。超原始的です。
それで何もかもを圧倒する強さを見せます。このカット一枚だけでも、いかに椿鬼に対して作者が念を込めてペンをいれているか分かりますが、マンガにしてストーリーを読むと「彼女に勝てる相手なんて山では神様以外いないだろう」ってくらいですよ。
やはりポイントは目だと思います。ムチムチの体もいいですが、目です。
押切蓮介先生の描く少女はみな、必ず何かを見ています。それが宙を見ているとしても、宙の何かを。あるいは未来だったり過去だったりを。
視線がすごくはっきりしていて鋭いからこそ、読む相手に凛とした強さを感じさせます。
「美しく強い少女体験」をするためだけでも、「ツバキ」はおすすめできます。
 

●山●

椿鬼は強い。うん。
でもそれは自力だけの強さではありません。
彼女は山を愛し、山を心から尊ぶことで、山と生きています。だから強いのです。
武器として単発銃と包丁を持ってはいます。生きるために獲物を狩ります。しかし無駄な殺生は一切しません。殺すための道具ではなく、生きるため、救うための道具として武器を扱っています。これはもう彼女の中で完全に徹底しています。絶対それに背く行為はしません。
加えてマタギの信仰を大切にしています。山立ちする前に水垢離や穢れを祓う儀式を取ります。仕留めた鳥は獲物ではありません、「お恵み」なのです。
これが、椿鬼の強さ。
 
当然舞台は山と、そこに住む人々がメインになっていきます。

非常に詳細に山と自然の景色が描きこまれていきます。
メインヒロインが椿鬼だとしたら、もう一人の主人公達は「山」そのものでしょう。
この3つのコマは比較的山の描写としてはきれいな方だと思います。
 
ところが、椿鬼視点じゃない山が、ものすごい圧迫感あるんですよ。
元々画面に圧迫感を出すのがうまい作家さんなので得意分野なんだとは思いますが、住人達から見た山の重苦しさと密閉感は尋常じゃないです。

住人達の持っている恨み、妬み、そねみ、欲が渦巻いて、ひらけているはずなのにギュッと押しつぶしてくるかのような画面が構成されています。
椿鬼のいる場所は、彼女が山の一部として生きているのでひらけているんです。しかし他の、作中の言葉でいう「業」を持っている人間達と山が描かれているシーンでは、山は恐怖そのものであり、逃げ場を見せてくれないぬかるみにしか見えません。
全体的に住人のシーンが多いので、どうしても画面の密閉度が高くなりまくります。押切蓮介先生作品全般にいえることですが(ギャグも含めて)一冊の重さが半端じゃなく感じるんです。
じゃあ山は憎しみと恨みに満ちた恐ろしい場所なのか?と言われたら、確かに恐ろしいけれども「それだけではない」こともきっちり描いています。

椿鬼は山の厳しさを知って生きています。
しかし山を愛しています。敬意を払い、山の中の一員として生きているのです。
 
第三者である読者からしたら、住んでいるわけじゃないのでいかに山が恐ろしいか、いかに山が満ち足りた場所か、想像するしかありません。
ただ、椿鬼がなぜその山を愛し大切にしているのか、また逆になぜ山の中で人々が恨み苦しみ業を背負って憎しみあい、山に憎まれるのかは読んでいくと少しずつわかります。
ミスミソウ」や「ゆうやみ特攻隊」などの作品で日本の隔離社会の風土が産んだ恐怖を描き続けている押切蓮介先生。しかし「ツバキ」のようにそれを切り開き愛する人がいるのを描いているのは注目したいところ。
人の醜さを徹底的に堀り出しながら、人の生きる美しさを「美しいんだ!」という念で描き込んでいるんです。