たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

「恋愛☆SLG」の描く、90年代の記号的萌え実験模様をもう一度考える

恋愛☆SLG (1) (REXコミックス)
恋愛☆SLG 02 (IDコミックス REXコミックス)

うわーん。
「恋愛☆SLG」が終わっちゃったよう!
高津先生、太眉つるぺた少女のエロ漫画ばりばり今後書いて下さいっていうかこのキャラのエロ漫画書いてください! ぬきます!
 
このマンガは「萌えとはなんたるか」を調べに来た宇宙人と、生粋のオタク男子の少年が繰り広げるドタバタコメディ。
一番すげーのは、舞台になっているのが1990年代と思われる、いわゆる「萌え」という単語がまだ曖昧だった時期の新潟県オタク文化はあったものの田舎で情報は不完全)だということ。
この設定超絶妙ですよ!
 

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自分語りしますね。
1990年代にアニメ・マンガ好きだと、まず迫害されました。
「そんなことなかったよー」という人は、往々にして家族や友人に恵まれている!
世間の目は冷たかった、宮崎勤事件のきずあとは深かったのだ。
 
そしてコミュニティが作れない。
クラスに話せる友人がいればいいけど、いなかったら今のようにネットに逃げられない。
必死でした。ファンロードやアウト文化がはやった理由を察するんだ。
今はコスプレ大会化することも多い地方イベントも、90年代は血眼で本をつくって同士を探しました。
 
「おたく」(ひらがな)が定着したのが80年代。
90年代に「オタク」と変貌し、少し前向きに。それでも「キモい」という偏見はありました。今はなき「オタッキー」なんていう自虐語も。
 
そこでいつの間にか生まれた「萌え」の語。
恐竜惑星」の萌ちゃん説が高いですが、不明です。
かわいい、性的、なんだかわからんけどときめく……。
今は廃語になりつつある「萌え」はここからスポンジの用に吸収をはじめます。
オタクの自虐用語として、そして希望の星として。
 
気がつけば、90年度末には、あっという間に「萌え」はパーツ的な記号と化しました。
本来の「萌え」の精神は、消え去りました。
 

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こんな激動の時代を「萌え」のテーマでぶった切るのはなかなか勇気がいる。
確かにテンプレオタク(バンダナにTシャツ)がちょいちょい出るのは気になりますが、それも含めて時代の変化でしょう(実際いたから仕方ない)
 
ヒロインのキャラ(ツインテ猫耳)とレン(黒髪天使羽)は、主人公の少年陽一のもとで萌えを学びます。
はまりすぎておらず、萌えについての造詣が深く、幅広い知識をもって、客観視もできるから、だって。
ネタみたいだけど、これ結構やるのむずいよ?
 

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キャラとレンの造形は見れば分かる通り、「詰めあわせすぎ」
キャラはスク水、セーラー服、ツインテール、ニーソ、猫耳、金髪、太眉。
レンは黒髪ロング、フリルヘッドドレス、天使の羽に悪魔の尻尾、ベストにスパッツ、ハイソックス。
 
うむ。言わんとすることはわかった。確かにかわいい。
だがそこに座れ。そうじゃない。
萌えは、記号じゃねえんだよ!
 

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本来「萌え」はアトヅケされるもの。
カリオストロの城クラリスは「萌え」のために作られたのではなく、彼女が可憐だったからみんなが萌えた。
しかし90年代に「萌え」という言葉が発生してから、「先付け」されるようになりました。
 
98年の「デ・ジ・キャラット」はその最たるもの。
このへんは「動物化するポストモダン」にもありますね。
猫耳、メイド、かわった語尾、鈴。
 
確かに見た目一発でかわいいのは間違いない。
「恋愛☆SLG」はおそらくデ・ジ・キャラット系列の萌え組み合わせキャラリスペクトのデザイン。
記号の組み合わせって、事実かわいいんですよ。

ほらかわいい。
だがこれは、記号だ!
 
記号の組み合わせはしょせんメッキ。
「キャラ」への愛情がわいたわけではなく「見た目のパーツそれぞれ」に惹かれていただけです。
デ・ジ・キャラットではうまいことここでアニメ展開し、キャラの「身」の部分が成立しました。
もし「身」がなかったら、多分デ・ジ・キャラットは単なる一瞬の看板として忘れ去られたでしょう。
 

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萌え混濁期は、楽しかったです。
お祭というか。ネットができ、今までの鬱屈を晴らすがごとく「俺の萌えを見ろ!」と創作が乱立。
ただ、そこに創作を投げていた人は、最初は「記号」を投げていたかもしれないけど、次第に「自分の萌え」を表現していったように思います。
 

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当時の「萌え」は大きくわけて、「フェチズム」と「エッセンス」にわかれます
例えば「セーラー服萌え」。
これを「セーラー服であれば萌える、いろんなキャラに着せたい!」ならフェチズム。
「○○のキャラがこのシーンでセーラー服を着ていたらたまらない……」であれば、それはエッセンスです。
 
これが極度に進化・分科したのが今だと思います。
セーラー服を着ているだけじゃいけない。
フェチズムなら、セーラー服のデザインや素材、またキャラとのギャップを楽しむようになります。
物語の中にセーラー服があると目で追ってしまうのはエッセンス。こっちはこの後述べる、キャラ萌えの方向に向かいます。
 
物体への「萌え」はそこまで広がる幅がありません。
次の「萌え」は性格に向かいます。
 

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「恋愛☆SLG」では、陽一が作者の代弁者として、「とってつけたアイテムは萌えではない!」と叱咤します。
目が悪くないキャラのメガネに意味があろうか!
なんでも組み合わせればいいわけじゃないだろうが!
全くそのとおりである。
 
次のステップの萌えは「関係性」と「性格」。
属性ジャンルとしては「妹」「幼なじみ」「姉」「メイド」などなど。
性格だと「ツンデレ」「けなげ」「元気っ子」「おしとやか」などなど。
これらをまた記号化し、キャラたちは「萌え」をつくろうと画策します。
 
まあ、違うよね。
いや、違いはしないんだ。今の主流もそうなんだ。
でも「猫耳スク水」を組み合わせたのと同じように「ツンデレに幼なじみ」を記号として組み合わせたのに、なんの差があるんだろう?
 

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何度も言っている持論。
「萌え」は、使い方次第で暴力である
ファンから見て使う場合、相手をカテゴライズする行為です。
「この子はツンデレ妹だ」。
カテゴライズ完了。萌えやすい。
だがそれは萌えだろうか? 消費じゃなかろうか。
作る側が考える。
「じゃあヤンデレなメイドをつくろう」
必要な作り方だと思う。けれどそこにキャラクターの人生はない。消費されるロボットだ。
 

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記号的物体に萌えるのか。
記号化された性格に萌えるのか。
 
最終的にこのマンガが選んだのは「愛情」でした。
 
やはり「関係」にかなうものなし。
それは「萌え」ではないのではないかって?
そうかもしれない。けれど「萌え」の極地って愛じゃないのかな。
 

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ドタバタコメディですが、結構90年代「萌え」文化について鋭くえぐっています。
今の文化の萌えしか知らない人だと、わからない部分もちょっとあるかも。
 
そもそも「萌え」という言葉が分散化され死語になりつつある今。
記号化が主流だった時代があった、というのは当時の作品と比較してみると面白いかも。
 
もっとも90年代から00年代は、入手できるおたく情報の交流がまだ少なかったので、取捨選択もできず、手に入るものは徹底的に楽しんだ、という経緯の差はあると思います。
同時に、妹が12人いるような、今思えばなんじゃそりゃという「萌えの科学実験」によって、数多くの今のオタク文化があるのを考えると、感慨深い。
シスプリも「性格と見た目ありき」でしたね。そこからあとにキャラクターを人間としてしっかり見据え、彼女たちの人生を描いたから、長く人気が続きました。
それがたとえば、今のモバマスや艦これなんかに直接影響している気がする。
 
「恋愛☆SLG」は、タイトルどおり「恋愛」という不定形な極限の「萌え」によって終焉を迎えます。
いや、萌えじゃないな。恋愛は恋愛。
うまい落とし込みです。

このシーンは「陽一の考える萌えを、キャラが理解できる関係になっている」ことに可愛さを覚える、という萌えです。
本気で萌えを描くには、1冊じゃ足りねえってことですよ。
  
ほんと、「萌え」って言葉、「萌えキャラ」とか「萌えまちおこし」くらいでしか聞かなくなったなあ。
もっと、いろんな言葉出てきてますもんね。シコリティとかバブみとか、尊いとか。
あとは関係性を表現する単語とか。
 
関係性も次第に記号化され、そこにキャラを当てはめる、という箱と中身の関係になるかもしれない。
その時また、大きな振り戻しがくるのかな。いや、自虐が不要な今の時代戻りはしないか。
あとは、シンプルになるんだろうな。
「好きかどうか」。そして「興奮するかどうか」
 
 
 
 
おわり。