たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

『すうの空気攻略』ほんと高校生活で空気読むとか辛くて仕方なかった

すうの空気攻略 1 (少年サンデーコミックス)
すうの空気攻略』、今一巻出てますが、サンデーうぇぶりで全部読めるので、読んだことない人はぜひ読もう。
面白いと思ったらぜひ本を買おう。
 
超絶ど田舎の島に住んでいた、雛(すう)。
本土の高校に行く決意をした彼女は、人と接することを知らない。
そこでお母さんが作った、「空気(フェイズ)攻略マニュアル」をもらい、人間関係のピンチに陥った時に開いて知識を得る。
内容の書き方がまるでカードゲームのようなのが楽しい。
 
もっとも、読んでもうまくいくとはかぎらない。すうが超素直な子なので、すんなりクリアできることのほうが多い。
たとえば「閃剣の初太刀」。要するに自己紹介。この自己紹介でしくじると1年間つらい。
 
「皇廊邂逅」。廊下で人とすれ違う時の気まずさの話。
ばかだなあーと思うんだけど、ほんと廊下ですれ違う時の反応、困る。あいさつするタイミングって、どうするのが正解なの?未だにわかんないんだけど。
 
こういうネタが毎回一話完結で描かれていて、今41話。よくそんなにネタあるな!!
クラスに突然入ってきた他クラスの子への向き合い方。グループ内一人だけ話しかけられている時の気まずさ。自分の知らない「友達の友達」がいる時の折り合いの付け方。
あるある困る。つらい。
 
関心したのは、29話で出て来る、空気を攻略する布陣の話。
「感受者」「道化者」「司令者」「被弾者」「中和者」
確かに! これは場の空気にどう対処するかの役割分担でもあれば、グループ内のバランスを保つポジションでもある。
ギャグなんだと思うし、正解とは限らないけど、自分がどれか考えるだけでも楽しい。
(ぼくは多分「感受者」か「被弾者」)
 
すうはとてもおっちょこちょいで、ビビリ。だから空気攻略をしようと必死。
だけど彼女には、しっかりした「自分」がある。だからビビってはいても、全然流されない。
マニュアルマンガなんだけど、主人公がマニュアルを越えて自分で考えて挑戦しているから、読んでいて嬉しくなる。
 
毎回出てくる人間関係のピンチ、高校生時代の自分ならどうする?と考えると、本当に息が詰まる。つらい。
つらかった。高校時代は。そもそも空気がうまく読めず、怯えて孤独なままだった。
あの頃の自分にこのマンガ見せて「そんな悩むもんでもないぞ」と声をかけてやりたい。
でも、お弁当時に教室のどこに行くかはもう二度と考えたくない。

『大正処女御伽話』のレイニー止めが、ちょっとつらすぎるんだけど

大正処女御伽話 4 (ジャンプコミックスDIGITAL)
大正処女御伽話』の寸止め力がハンパじゃなさすぎてつらい。
2巻から3巻のときもそうだったよ……続きが気になりすぎてあがく感覚を味わえるぞ。レイニー止めだらけだぞ。
 
レイニー止めって言葉は意外にも今も定着してますよね。
マリア様がみてる』の10巻「レイニーブルー」で人間関係がこじれたところで終了、次の巻まだ、助けてはやく死んじゃう!っていう状態が続いたのが語源。今もそのままの意味で使われる。
同時に「レイニー止め」の語には、「絶対うまく行ってくれると信じています」という祈りが含まれる。バッドエンドはないであろうと思われる作品ほど、不安要素が入った時のブレはでかい。
転じて、寸止め状態で待って心の中が膨れ上がる緊張感と、発売日に買って読んだ時の開放感のすごさを表現する言葉になったんだと思う。
最近だと『けものフレンズ』の最終回前がすごかった。あまりにみんな心配になって、各々が最終回の二次創作をして心を落ち着かせようとするくらい。
 
ってくらい大正処女の4巻もやばい。なんでそこで切るの。
 
大正処女御伽話』は、心に悩みを抱えた青年と、父が金で買った娘の2人が、誠実に向き合ううちにお互いを大事に思うようになる大正恋愛物語。
一切の濁りがない、苦しいことはあっても幸せに向かって2人で歩いていく。極めてピュア。
 
タイトルの「処女」は、性交渉の有無ではなく、当時の可憐な乙女のあり方のような意味の単語。
ヒロインの夕月は、幼く元気で好奇心いっぱい、純情可憐で、かついつも凛としていて清廉潔白。なんでも張り切る小さな大和撫子
彼女との日々の積み重ね、そしてある事件を乗り越えたことで、2人の愛はどんどん強くなり、4巻では皆が祝福するカップルに。
新キャラの歌姫・白鳥ことりとの関係もあって、視点はどんどん前向きに。2人はもう夫婦寸前、祝福の光しか見えなかった。
 
作品が純粋な世界観を持とうとしているかどうかは、「レイニー止め」効果を高めるのに必須。
キャラクターたちが読者に深く愛される存在であることも必須。
悪意によって「びっくりする」のと、善意を欲して「つらい」のは別なのです。
 
夕月たちをみて100幸せな気分になり、3くらい強烈な出来事が起きて心がグラグラになるマンガです。

肩書に憧れられるのと、素の自分を愛されるのは違う『伝説の勇者の婚活』

伝説の勇者の婚活 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)
伝説の勇者の婚活 2 (ジャンプコミックスDIGITAL)

伝説の勇者の婚活 3 (ジャンプコミックスDIGITAL)


ゲーム的描写も交えつつの、純ファンタジー。
魔王を倒した後の世界の話。
 
勇者ユーリたち一行は、魔王を倒して世界に平和をもたらした。
その後、パーティの中の戦士と僧侶が結婚。
冷静すぎて感情の起伏がほとんどない彼は、二人が嬉しそうにしているのを見て「愛すべき人に出会いたい。そして……その人と一緒になってみたい」とはじめて考えた。
花嫁候補を募った所、数え切れいない人数の女性がやってくる。
 
肩書にあこがれているのか、それともユーリ本人を好きになってくれたのかは、全く別物。
そもそも「勇者」は血筋であって、職業じゃない。「戦国武将の子孫」「すごーい!」みたいな感じ。
いや世界救ってる偉業は成し遂げているけど、それ以上に肩書が目立ちすぎる。「ユーリさんがすごい」じゃなくて「勇者様がすごい」になりがち。
 
ユーリは変装して自分の身分を隠し、結婚相談所に登録、バレたら次の町へ。
世間知らずな冒険者の彼。面白いくらいに、誰にも相手にされない。
 
いろんな女性と顔合わせしていくうちに、彼の中にある、人類が求めている「勇者」観がにじみ出てくるのが、えらい面白いしワクワクする(そんなにアクションは多くない)。
たとえば、ある村の娘は、おじいさんに結婚式をしてあげたいがために、彼と結婚すると言った。
彼は真っ正直だし、その娘の真摯さに心をうたれていたため、結婚してもいい、と本当に考えていた。
ただ、彼は「好きでもない男と一緒になって…あなたはそれでいいのですか…?」と、彼女の一生を深く心配する。
これだよ。人に対する慈愛を持った、人のために自己犠牲できる姿勢。そういうのが勇者だよ……!
 
3巻まできて、まだ結婚相手とは出会っていない。
「勇者」という色眼鏡抜きに、接してくれる相手がいればいいのだけど、また彼が面倒な男なので、ムリな感じしかしない。
世界は誰かが救えても、自分を愛して結婚する人は一人しかいない。
ぼくは独身なので、結婚した人たちはみんななにかしら偉業を成し遂げたんじゃないかと感じることがあります。ひょっとしてみんな世界救ってるの?