たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

なあゲームをやろうじゃないか。

ゲームがゲーオタだけのものでなくなりますように(おれはおまえのパパじゃない)
人間には、誰しも好きなものがあります。
誰かに押し付けるわけではないけれど、それはとても自分にとって大事なものです。
そう、押し付けるわけではない。
だけど!好きな人とは一緒にやりたい。そう思うものです。音楽、スポーツ、レクリエーション、ドライブ、そしてゲーム。

すっごい悔しいわけです。俺が少々時間の配分に異常をきたしていたことは認める。いくらなんでもやりすぎだったことは認める。でもゲーム自体がいけないことだという決めつけだけは認めるわけにはいかない。

ゲーム好きとしては、色々矛盾とか問題とかあるのも感じつつも、この意見にはキャプテンサワダ並みに両手を上げて賛成なのです。
しかし、ゲーマーとゲームしない人のカベは「操作を直感的にできるかどうか」
ゲーム脳といわれてもなんでも、これは認めざるを得ない壁です。分厚すぎて悲しくなるカベです。
比較してはいけないのかもしれないですが、冷静に考えていたらこんなセリフを、球技苦手な自分に友人が言っているのを思い出しました。
「球技は全部ボールなんだから、一個がんばれば全部できるんだよ」
簡単にいうなよ!こっちは苦労して苦労して苦痛で根性と汗と涙と鼻血でがんばっても出来ないときがあるんだヨ!
でも言ってることは、正しいッス。
 
楽器や、パソコンや、絵画でも同じことがいえますが、ゲームにも言えることで。どれもこれも「面白い」という面だけでいえば、同じはず。
ゲーム慣れしてる人は、解説書とか読まないでもするんとゲームはじめますよね。自分も解説書読まないでゲームする人間の一人です。(きちんと読む人もいますよね。それが正しいんだけど。)
ゲームやらない人にしてみれば、まず説明書読んで、操作を理解して、うんぬんかんぬん・・・・
・・・めんどくさい!つまらない!つらい!
こうしてカベはさらにさらに厚くなっていきます。
もうこの記事読んでいると、切なくて。息子さんの気持ちも痛いほどわかるし、お父さんの気持ちもまた。
 
そこをうまく突き破ったものにニンテンドーDSがあると思います。
うちのDSは「ゲームなんてとんでもない!」といっていた親の専用機と化しています。「脳トレ」が、勉強になる、ってのはやっぱポイント高いですよね。説明書いらないし。
家庭で楽しめるゲーム、という世界をDSが今後さらに切り開いてくれることを心から願うのです。
ゲームで家族交流なんかも、たまにはいいんじゃない?
(でもできれば、体動かすとか音楽やる満足感は何事にもかえられないのもみとめまっす。あっちもこっちも楽しもうゼ)
あとは、記事にもあるように、Wiiが、これからそれを打開してくれる、家族の交流アイテムになることを期待します。