たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

でもあのときのオタの目は何より輝いてたと思う

前回の「オタクにはゆずれない一線があるんだよ・・・」にいただいたコメントやトラックバックが非常に面白かったのでいくつか紹介してみようと思います。
ついでに、今回も某アニソンの歌詞使ってみました。このエントリだけで分かった人がいたら、仲良くしてください。
 

●あの頃の小さな僕が見上げるオタ世界は本当に広かった●

daibu2
自分は引っ込み思案なオタクなんで好きな漫画も友達に薦めたりしませんし、ましてや自分がオタクであると公言したりもしないんです。要するに否定されることが怖いだけなんですけどね。
些細なことですがまだまだ自分は弱いなあと考えてしまいます。

色々な趣味の世界があります。自分も知らない趣味の世界は多く、出会うたびにワクワクとドキドキがあります。そして、趣味を持つ人は胸を張って自慢し、自分の一部として履歴書にも書きますよね。
しかし一般的にいわれる「オタク」は、どうにも履歴書はおろか、人にも言いずらいんですよねえ。あ、この場合のオタクは、ネット・サブカルチャー類のようなインドアな趣味、くらいのくくりにしておきます。
楽器が趣味、とかだとたいてい胸を張って言うのですが、「オタク」となると「堂々と好きと言える」層と「後ろめたくて隠れオタです」層に分かれる気がします。
冷静に考えるとこれってなんだか妙な話ですよね。趣味に貴賎はない、と十中八九の人が言うとは思うのですが。
daibu2さんのおっしゃるとおり、自分も「怖い」です。変態!とは言われないけれど、「マンガが何千冊あるよ」とか言うと無条件でヒく人も世の中にはいるんですよね。
一旦オタ世界に足を踏み込むと「ああ、自分なんてまだまだなんだな」とその世界の広さに圧倒されてしまうものです。これはスポーツだろうと音楽だろうと同じことですよね。そのボリュームと新鮮さが日々楽しいから、オタクもやるわけです。
広い世界には変わりない。なのになぜ外交的だったり内向的だったりするのか、非常に興味深いところです。どうして自分は、時に内向になっちゃうのかなあ?
答えは、分かっている人の方が多いかもしれませんネ。
 

●好きな趣味をこの手で守れると思っていた本気で●

本当に好きなものは誰に批難されようと信じているんですよ私は…勿論見れば見るほど駄目なものも見えてしまうこともありますが。
(MOON CHRONICLE)

こう言える人がいるというのが、すごくグッときます。自分もそうありたいなあと心から思います。
自分の中の大切な趣味や、本当に感動した物を守るって、意外と難しいこと。批難や中傷はガン!と受け付けなければいいだけなんですが、自分自身の中の問題でくじけることが案外多い気がします。特に変に踏み込んだときに挫折でもしようものなら、心折れてしまうこともしばしば。
それはそれでいいじゃない、といわれればそうなのですが…オタク趣味をどこまで大切にするか。それはある意味永遠のテーマな気がします。
自分を偽ってまで守るものもあるのかな?誰かに批難されたときの辛さを抱えてまで大切にしなければいけないのかな?どこかでカベにあたったとき、その趣味をどう受け止めるんだろう?
 

●いくらムリしたって分かるはずのない大きな大きな趣味●

単語じゃないんだよ、それを楽しんでいる気持ちが大事なんだよ。
という言葉をぐっと飲み込んで、「いやぁ、別に……」とか話を終わらせてしまう訳で。ネットオタク呼ばわりしたければしてろと。何が楽しいかなんて、人それぞれ。分からない人が無理にそれについて語らなくて良いと思うよ。そっとしておいてくれ。
(明日は明日の風が吹く)

mimi28
平気で何かをけなすという事は、なんとけなした人間の価値を下げる事であるなあ。
と思うことにしています。
必死に弁護する事とよく知らないのにバカにする事。ハタから見てると痛さはそう変わらない。

「共存」はできても「共有」は必ずしもできるものじゃないし、それを無理強いすることにもやっぱり意味はないんですよね、お互い。ただ好きなものに踏み込まず、お互いの距離感を保てればいいな、と思うこともあります。
最初にあげた「趣味」でも隠してしまうものがある、というのは、結局のところ「理解を得られずらい」ということなんだろうな、とこの文章を読んで思いました。マイノリティだ、という意味ではないです。もう単純に嗜好の問題。
だからといって理解されようとは、別に思わないですよね。というか全員がオタ趣味理解できる世界って創造を絶します。うわーお。
笑わば笑え、自分はこれが好きなんだ。先ほどのMOON CHRONICLEさんもそうですが、そう言えれば本当に強いだろうな、と思いました。

人が社会に生き、他者とかかわる生活を選んだ以上、アナタの世界だけを押し通すのは、社会からみれば「信仰(=同意)を集められるなり」あるいは「まったく受け入れられない、攻撃の対象」となる余地を否定はできませんね。
(負け犬のプライド)

本当に誰にも傷つけられたくなかったら、人と接しないことになる。…そんな生活は、さすがにやだなあ^^;
オタ趣味限らず、どんなものでも人と会うことは、得るものもあるし傷つくこともあること。ただ、たまたまオタクはその「傷つきやすい」部分が多いことがある、というだけなんだろうなあと読んでいて思いました。
 
そしてもう一つ、賢いなあ、という意見があったのでそちらも紹介。

つまり、相手と自分の価値観で違う部分と同じ部分を伝えられれば、それでいいのだろうと思う。一般的に、相手はオタクなことを話したいわけではなく、面白い話がしたいだけである。だから、オタク側は正しくて面白い話をすればいい。
(ロリータハッピーウィングな日々)

これはオタク同士でもあるだろうな、と思いました。極端な話、二人の「ハルヒ好き」が一緒にいたとしても、絶対どっかですれ違うことはあって、そこで意地を張ったらケンカになるだけの話。そこで、その場で何が一番「面白いか」のラインを見切れたら、オタとして…いや、人間として会話上手になれるだろうなと思いました。
自分の中の価値観を捨てる必要はないし、押し付ける必要もない。あとは「いかに会話を楽しめるか」を考えられる人になれるかどうか、なのでしょうか。
大人だなー。
 

●でも僕は何にも疑うこともなく綺麗なオタの心を信じてた●

ニーチェは、「本当の自分」などというものは信じていませんでした。
人は、表出するものこそが、人たる自分自身であり、自ら責任を
引き受けねばならぬものであると、彼は考えていた。
愛する者がいる。その者に疑いを抱く。しかしそれでもなお、
その人を愛すること、その人を心から愛しているように振舞うこと、
それ自体が、愛の表出としてあり、愛そのものなのだ、と。
(ロリコンファル)

自分はあまり頭が良くないのでニーチェの思想が難しくて分からないので、間違ってたらごめんなさい。
オタクが自分の趣味に関して、簡単に譲れないものがあると感じるその感情は、もしかしたら単に「趣味だから」好きという以上のものがあるのかもしれません。それは感動だったり、もう一つの現実だったり、それを介して生じた人間関係だったり。
鍛えぬいたスポーツなどと違って、別に譲ろうと思えば譲れるものだとしても、そこに生まれる感情は「自分の中に生まれた感情を、大切にしていきたい」ということなのかなと思いました。そして、そのときに生まれた感情は紛れもない真実。
それは盲信するものではなくて、「自分の中で大切」に出来ればいい。それが愛すること、かあ。すてきな言葉です。
できれば、誰かと一緒に楽しめたらいいね!そんな思いをこっそり持ちながら、不思議極まりないオタク文化に今日ももぐるのです。
ほんと、この感情って、一体何なんでしょうね。永遠の謎だし、だからこそ面白い。
 

●でもあのときの僕の目は何より輝いてたと思う●

なんだかんだいいつつ「好きなものがある」というのは、すばらしいことだと思うですよ。
しかし、それは「好き」だからゆえに傷つきやすいし、同時に自分も誰かを傷つけてしまうかもしれないデス。
ただそれを気にしすぎると、本当に生活しずらいし、そのうち好きだったものをも捨ててしまうハメになったり、逆に相手を攻め立てるトゲトゲしいオタにもなってしまいます。本当にそれは避けたいところ。お互いの足の引っ張り合いや、「こっちよりこっちが優れている!」という比較には何の意味もないですものね。
楽しむためにやっていることです。自分の中でになるか、ネット上になるか、それともオープンになるかは分からないけど「価値観の共存」が出来るような心がけはしていきたいな、とだけは思いました。
きっと、どんな人にも目を輝かせて好きなものが、あったはずだから。
こんなに広大で、面白いこといっぱいの世界があるのだもの。手を伸ばして目を輝かせていたときのことを忘れたくないし、人のそれを傷つけたくもない。そう願いながら「一緒に手を伸ばせる人がいたらいいな」とほんのり願いつつこの文章を閉じます。
 
というわけでプリキュア5見て目を輝かせてきたいと思います。やっぱりのぞみxりんだと思うんだよ。
 
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オタクにはゆずれない一線があるんだよ…
〜おまけ記事〜
「でもあのときの僕の目は何より輝いてたと思う」
あなたがここにいるだけでいい
ネット関連の記事ですが。人と接することは時にけなしあい、傷つけあい、立ち直れなくなることもあるけれども。それでもただ思い切り手を伸ばして、輝いた目で「楽しいこと」を握り締めていくときに、成長するんだろうなあなんて、大人になってからようやく気づいたりしました。おっせー。でもそれはオタ趣味でも同じ。誰に言われようと自分が好きだと言って手を伸ばせているかどうか。挫折したら、そこでお休みして、また元気になったら歩けばいい。そんな生活。
うん、がんばろう。