たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

「アンドロギュノス」と「ふたなり」と「女装少年」の、超えられないカベ。

●「ふたなり」という特殊ワード●

ふたなり娘の夢は子宮で膨らみ、ペニスで解き放たれるのか(きなこ餅コミック)
ふたなり少女のペニスをフェラチオする男性はジェンダーの夢を見るか?(ラブラブドキュンパックリコ)
どっちも18禁くらいです。たぶん。が、非常にどちらも面白いので必見。
今のサブカルチャー全般において、ふたなりは欠かせないキーワードの一つになっていますよね。…なってない?いやいや、天使から異形まで幅広く広がった「萌え文化」の奥底で眠るモンスターです。
しかし、どっこい、オタ文化からはずれた場所で「ふたなり」は絶対使わないですよねえ、9割方。んでもって、オタ文化内でもメジャーで当たり前の言葉ですかといわれると、そうでもありません。まあ、基本18禁で使う言葉ですしね。
 
この「ふたなり」という言葉、んじゃあ最近出来た特殊キーワードかというと、実はそうではないようです。
というか、「ふたなりってなんですか」という方の方が多いと思いますので、簡単にまとめてみます。

・女性に男性器がついているキャラクター、または状態のこと。
・男性に女性器がついているキャラクター、または状態のこと。
・卵巣、精巣の有無は基本的に問われず、ペニスと膣がメインシンボルになっている。

「性があいまい」という表現だとしても、天使のようにどちらもついていないという場合にはこの言葉はあまり使わないですよね。時には精巣も子宮もおっぱいもある場合もしばしば。性器のオンパレードです。
そして、オタ文化内ではびゅーびゅーと射精をします。自分で挿入し、相手に挿入され。性のエレクトリカルパレードです。
すごいよネ。
 

●昔の「ふたなり」●

平安時代「病草子」では「二形」という題名の作品があります。
病草子 ふたなり
国宝です。奇形を集めた物語集とのことで。これは読んでみたいナー。
その中に出てくる占い師は、半陰陽で膣も陰茎も付いていたようですね。それを奇病として扱っているのは時代のせいでしょうか。しかしポイントなのは、この挿絵の彼(彼女?)が勃起していること。これって今の文化に通じませんかね。
奇病ってくらいだから「ふたなり」はよくないという扱いだったのか?と言われると、そうでもないようです。
「夫女快淫水好傳」では半陰陽の女性(?)たちが快楽に浸る有様が描かれていますが、こちらは地下本のため、資料が全然見つかりません。このへんものすごく気になるんだけどなあ。ニャー。wikipediaの半陰陽の項目で絵が見られます。絵だけ見ると、今のオタ文化と全く変わらない感覚を感じますが。
 
はて、性器にかかわらず「ふたなり」は使われていたようです。たとえばふたなりひら」という言葉があり、そちらは「女性のように美しい男性」という意味で在原業平を指して使っております。
つまり、平安時代から「男性のような女性のような存在」は、憧れだったと言ってもよいのでしょうね。ただ、「ふたなりひら」の方はどちらかというと、完全体としての「アンドロギュノス」へのあこがれに近い気もします。
はて、きなこ餅コミックさんが面白いことを書いています。

男性向けでは「ふたなり」、女性向けでは「両性具有」「アンドロギュノス」と呼び分けられてる

あ、確かに。しかしそこには限りなく深いミゾがある気がします。
 

●「ふたなり」と「両性具有」のミゾ●

「両性具有」「アンドロギュノス」という言葉がマンガや小説内で使われる場合、どちらかと言うとその苦悩を描く場合が多いように思います。あるいは反対に「半陰陽もいいものだよ」という生の視点。そのへんは「IS」や「性別が、ない!」あたりに刻まれています。
どちらも「性」を非常に大切にしているんですよね。もてあそぶおもちゃではなく、人の生きる姿としての「性」。
自分もマンガ・小説類ではそこまで探しこんで読み込んだわけではないので表面的にしか分かりませんが、「両性具有」が使用されている場合はほとんどが「性」を大切に、暖かく見守る視線で描かれていました。扱うテーマがテーマなので、現実に近いんでしょうね。異形の物ではなく、人間の一つ、という感じがします。実際、それも一つの個性ですしね。
女性向けはよく分からないのですが、使われる場合はどちらかというと「攻め」側なのでしょうか。
いずれにしてもこの時点で、男性向けで、「性」の噴出口のように用いられがちな「ふたなり」と大きく異なっているのがわかります。
 

●男性向け「ふたなり」のカタチ●

男性向けの「ふたなり」は、すでに男性でも女性でもなければ、人間ですらない気がします。
みさくらなんこつ大先生をはじめとし、多くのエロマンガ家がふたなりを描いています。基本的に少女にチンコ生えた、というノリですよね。男性に女性器が、ってのはほとんど見ません。
このへんちょっと理由がある気もするんですよね。

・男性にはお尻の穴があるから、ムリに膣はいらない。
・男性側は膣の感覚がわからないから、エロマンガで穴を見るよりも、クリトリスを陰茎的に見たほうが共感しやすい。
・射精の感覚と、女性のかわいらしさをセットにしたい。

801穴は膣みたいなものでしょうか。いや、厳密には違うか。
 
男性向け「ふたなり少女」は、多くの人が指摘していますが、女性の姿をした男性なんだと自分も思います。
みさくら先生の「らめぇ」などのみさくら語に代表されるように、とにかく快楽におぼれ狂うのが魅力。女の子が快楽におぼれる姿を見るのはエロマンガの基礎基本ですが、どうにも男性にはその快楽が分かりません。そりゃね、女性になったことないですもの。クリトリスの神経の集中度合いはペニスの比ではない、といわれても、ねえ。わかんないっスよ。
となると、エロースの瞬発力の求められるエロマンガです、ダイレクトに分かりやすく気持ちよさそうなものと言えば、ペニスなわけです。しかも女性と違って「勃起」という過程を経るので、とにかく分かりやすい。ああ、この子は感じているのだな、と。
そして最終的に射精をすることで「ああ、イったんだなあ」と理解しやすいのも特徴。だから、ふたなり物のエロマンガでは、精液の量が半端ないの多いんですよね。あるいはいつまでも射精し続けられるとか、勃ちっぱなしとか。いくら絶倫の男性でもとてもありえないことです。
ついでに、射精を見せることが一つの魅力として描かれるので、ふたなり「断面図」*1は非常に相性がよい気がします。
 
加えて、エロマンガには「女性のエロシーンが見たい」という欲求が描きこまれても、「女性であるがゆえにほとばしる性欲が共有できない」というデメリットがあります。自分の体験を思い出すタイプのエロマンガならいいのですが、エロマンガの最大の魅力はファンタジーなところですしね。女性側の気持ちよさまでいっぺんに味わいたいのが筋ってものです。このへん、女性作家と男性作家で大きく分かれていくんじゃないかな、と思います。
そうなると「やりたい!」という男性の心理に、女性の皮をかぶせた「女の子っぽいもの」がキャラクターとして描かれる事になります。そこまできたら、チンコはやして感覚まで共有するのも違和感がないですよね。これってユングの言っていたアニマってやつ…かもしれません。よくわからないので深追いはここでは避けておきます。
 

ふたなりは、勃起し続けたファルスを持っている●

はて、普通のチンコのことを「陰茎」と呼ぶならば、勃起した状態のチンコのことを「ファルス」と呼ぶそうです。ギリシャ語で「膨らむ」という意味です。ふたなりっ子は常に勃っているシーンが多いので、あれは陰茎じゃなくてファルス!と言って間違いなさそうです。
心理学的に「ペニス」と「ファルス」はまた少し違いがあるようです。このへん勉強不足なので慎重にいきます…。
デリダは「男根主義(ファルス中心主義)」という言葉を用いて、象徴的記号としてのペニスを表現しました。そこにあるファルスは実際のペニスではなく、「欠如を意識させて欲望の対象となるもの、物事の意味や価値というものの大本のモデルとなる、象徴的な記号としてのペニスをさす。(はてな)」だそうです。
 
それに対してジャック・ラカンは、「象徴界において男性は、ファルスを中心として『男はこれで全部』というような、閉じた集合をつくっている。ところが女性の集合は『これで全部』という具合には閉じていない。したがって『女性一般』なるものは存在しないことになる。これを『女は存在しない』と表現」しています。あ、別に女性が存在しないわけではなくて、定義できませんよ、女性から見てもわからない存在ですよ、ということです。ミステリアスだぜ、女性。
はて、イメージとしての場合。女性は定義されない、という部分から見るならば、女性にチンコをつけても問題はありません。しかしどっこい、男性はファルスを象徴として閉じた定義の中にあるので、そこに膣をつけることは不可能なのかもしれません。去勢はできるけどネ。
えー、心理学的なことは難しいのでここまで。ここから先は詳しい方にパスしておきたいと思います。ファルスの話から「ふたなり」を考察するのは結構面白いかも?程度に自分はおさえておきます。
そういえば、チンコのみがひとり走りして別の生き物のようになるエロマンガも増えています。それこそ上連雀三平先生とか。このへんも、究極のシンボルとしてファルスがひとり立ちしているのかもしれません。
欲望の究極はファルスへ…男も女も…?難しいなあ。
  

紺野あずれの描くふたなりの典型●

ここでちょっと分かりやすい例をあげてみます。18禁にならない程度に。

紺野あずれ「非日常的クラスメイト」より。
これは股間に牛乳をはさんで飲んでいたら、力が入っちゃって飛び出した、っていう図だよ!…ということにしておきます。
 
このキャラクター、ふたなりです。精巣はついていませんが、陰茎と膣を持っています。基本的には普段は陰茎で快感を得るという設定。しかもこの子ときたら、永遠に射精するんじゃないかってくらい出しっぱなし勃ちっぱなしなんですよ。
しかし、基本が「女の子」ベースなので、女の子記号で描かれたキャラなんですよね。つまり、半陰陽じゃなくて「チンコで快感を得ている少女」です。そして、紺野あずれ先生の描く女の子ですから、性に貪欲なこと極まりなし。
これって、男性のもつ理想像の一つじゃないですか。
かわいい少女でありつつ、(今知っている)快楽を得続けたい。
そして、紺野先生は「ふたなり」の究極の真実を一言で表しています。 

「私もおちんちん欲しいんですけど!」
男性的快楽を少女が欲する。なんとも見事な到達点。
快楽中心に書いてみましたが、結局は純粋な「憧憬」の気持ち、というのはあるでしょうね。傀儡と化した少女達の中に男性の心を吹き込んで見る試み。自分をその殻の中に閉じ込める、純な思いの試みです。
 

●「女装少年」と「ふたなり」のカベ。●

女装少年はかなりオタ文化全般に浸透しましたが、ふたなりは浸透しずらいと思います。
だってねえ。ふたなりって18禁前提になるものなあ。チンコ描くわけだし。
 
しかし、カベはそれだけではないです。
女装少年は「男の子だからいい」という強力な力を持っています。といっても、女装少年好きがみんな男性好きなのわけではないです。
女装少年のベクトルも色々あるのですが、あえて「ふたなり」と比較した場合の利点をあげてみます。

・基本的に男性だから、相手の男性の性欲を理解できる。
・女装少年の欲求を男性側が理解しやすい。
・女性からみて女装少年は、かわいらしい上に男同士でからんでも問題なくみえる。
・男性の心理を理解できるキャラとしても、女性の見た目を超越できるキャラとしても位置づけできる。
・リアルに描くことで、心理の葛藤などストーリー的に幅を持たせられる。

まだありそうです。
ただ、前提として「かわいい男の子であること」がくっついちゃうんですけどネ。女性向けだとがっちりした女装なんてのもあると思いますが。
とにかく「男の子だから分かりあえる」というのは大きいです。これ、「ふたなり」じゃできないんですよね。性の共有はできても、意識は少女(っぽいなにか)ですから。
だから、「ふたなり」は「女装少年」を超越するのは難しいんじゃないかな?と思っています。
 
加えて、女性側にも受け入れやすい見た目やキャラづけの魅力もあります。このへんは「女体化」ジャンルにもからんできそうです。
女装少年を好む人の中には、ずーっと女の子にしか見えない状態だったのにオチで「実は男の子でした」というのを嫌う人もいます。いや、結果は同じなんですが、「男の子である」ことが大事なのにそこの過程と共有を取り除いたら「ただ付いてるだけで『ふたなり』と一緒じゃないか」という意見。あー、なるほど。
 

●究極の性はいずこ●

なんだかんだで、エロマンガでの究極の性快楽を描くのは永遠のテーマ。人によってそれは異なるし、時には男女のカベすらもジャマになってしまいます。皮膚すら、性器すらジャマに。アメーバーのようにどろどろと溶け合うのが究極?ヨクワカリマセン。
そして、それは決して表に出ることなく、裏でひっそりとキノコのように成長していくからこそ面白い。
ふたなり」は男の欲求を運びながら、今日もじめじめしたところに胞子をばらまくのです。
 
  
瑞井鹿央先生の作品「SlowStep」の中のふたなり巫女さんx2の話が、とっても純粋にふたなりなので、オススメ。あんまりグロっぽい描写もないです。それ以外は普通のロリマンガです。普通のってなんだ。
 
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*1:女性器を透過して、性向中の内部の状態を見せる描写方法。オススメしずらいですが、「ふたりエッチ」が地味にずっとこの方法で描いている。