たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

高校生が、明るくすごす作品につい、郷愁を覚えてしまう。

以前の「ハレ晴レで泣いちゃうんだ」ってのは、実は書いていて結構恥ずかしかったのですが、同じような方が多いことにびっくり。いや、ほんと「ハレ晴レ」聞いて泣いてる姿はとても見せられませんが、あの歌が愛された理由が、1年たってようやく分かった気がしました。
しかし、あそこの中に郷愁を感じるのってなんでだろう?
 

●高校生からみた「涼宮ハルヒ」●

NHKのど自慢でハルヒうたった女子高生インタビュー
以前の秒刊たまごまごラジオで、NHKに出たハルヒと話すというなんとも貴重な体験をさせていただきました。
あれだけのパワーと勇気を持って、ハルヒが好きだと日本中に手を掲げることが出来る子達です。その活力が本当に魅力で仕方ありませんでした。
彼女達の話を聞くと、やっぱり「ハルヒ」を知っているのが当たり前ではないそうですね。知っている人もいる、という程度のよう。まあ、深夜アニメで放映されてない地域も多いですしね。高校生ではきついか。
しかし彼女達は屈託なく「鶴屋さんがすき!」「古泉とみくるがいいよね」とうれしそうに語ってくれました。
ハルヒになった気分でうれしかったです!」という姿がすがすがしかった!
自分にはまあ、できないですよ。年だし。なんか、それを考えるとまた、ちょっと哀しいような切ないような複雑な気分がぐわー!っと襲ってきます。
 
以前も書きましたが、「涼宮ハルヒの憂鬱」という作品のSOS団という空間や、ハレ晴レユカイの歌詞のポジティブさは、えもいわれぬ郷愁が詰まっていると自分は思います。いや!実際にそんな経験はしてないんですが、「そういう気持ちでいた」んです。高校時代は、なんだか見えない未来をがむしゃらに信じてたり、それが手に入らず鬱々としてたり。全部ひっくるめて、高校時代像のイメージになって、知らずのうちにマンガやアニメに投影していたのかもしれません。
今のほかの高校生ハルヒファンは、どんな気持ちで見ているのかな。
 

●「らき☆すた」や「あずまんが大王」の時間●

らき☆すた 1 限定版 [DVD]
はて、らき☆すたの1巻のパッケージが異常なまでにグッと懐かしさが押し寄せてくるパッケージで驚きました。
あらためて、これちょっと見直したいのです。
あずまんが大王(1) [DVD] あずまんが大王 (1) (Dengeki comics EX)
同じような気持ちをあずまんが大王で感じた人も多いと聞きます。あのマンガも全然泣くタイプのマンガじゃないし、むしろゆったりニヤニヤできるのが楽しい女の子のスローライフマンガなのですが、所々に入るどこかで見た光景や、最終回前後の卒業式で涙した人は自分だけじゃないはず…え、自分だけ?
 
自分は女子高生だったことはありません。しかし確かにあのゆったりした、イメージとしての「高校生」に憧れたことがあります。それは手に入らなくて、必死に手をのばしたり逃げたりしたものです。そう、できなかったよ。
手に入らなかったけど手を伸ばしていたものだから、余計に切ないんです。
それが「らき☆すた」パッケージの、一歩離れたときに、みんながワイワイしているのを憧憬で見るような視点とかぶります。なまじ、こなたのオタライフが自分の生活がかぶるだけに、その日々が手に入らなかったのに、経験したかのごとく懐かしいデジャビュに襲われてしまいます。
 
ハルヒあずまんがより、私はらき☆すたっぽい生活してたよ」という人もいらっしゃるようです。マンガなんかが特にそうだと思うですが、あの独特のどうでもいい会話をゆるいテンポで、脈絡もなく展開する日々が、シンクロする人も。あるある的要素の強いマンガなのでなおさらかもしれません。
書店のPOPで、つかさが「「らき☆すた」で泣いちゃったー」、って言っている広告があって「それはない」とか突っ込んでいたのですが、ようやくその真意が分かった気がしました。このゆるい世界がここに存在して笑える人がいる、というのがすでに一つの幸せの思い出になるのかもしれません。
 

●「あ〜る」の郷愁●

究極超人あ~る (1) (小学館文庫)
高校時代の郷愁といえば、究極超人あ〜るを思い出すのですが、あれもリアルな部分と憧れ的な部分の夢と現実がごっちゃになった郷愁を自分は感じます。
もちろんあれとまるっきりそっくりの生活をしていた人もいたと思いますが(除く、アンドロイド)、自分はマニアック文化系としてのかぶる部分と、あんな生活したいなあという激しい憧れがごっちゃの記憶になってかぶります。
そして、憧憬部分がでかくなってくればくるほど、その郷愁感は拍車をかけて「懐かしい」から「切ない」にシフトします。
 
ところで、「らき☆すた」「あ〜る」はまだしも、SOS団は本当に遠い。いや。もうめちゃくちゃ近いことしてるんだけど、めちゃめちゃ遠かったんですよ、自分は。それはSOSが異性まじりだということもあれば、時々起きるエキセントリックな楽しさも、妙に永遠に続きそうなところも。ありそうで、ほぼありえない、という風に自分は感じます。
決裂したり、ちょっとしたことでバランスが狂う、自分の住む現実。だからSOS団を見てると目元が熱くなるし、そのポジティブな歌をきいて鬱になったり励まされたりと、感情が渦巻きます。
 
あずまんが大王や、ハルヒや、らき☆すたを見ている層がどのへんかは調べたわけじゃないので分かりませんが、すでに高校を出た大人も、まだ中学生の子供も、憧憬の部分で重なる瞬間がある場合があるのかな、と思いました。だからこそ、話題になったのかな、とも。おおげさかもしれませんけどね。経験しているいないに関わらずの、郷愁の光景ってある気がするのです。
加えて、これらが全てちょっとだけ「閉じたグループ」だというのも、ポイントかもしれません。
 

●エロゲの「背景」が好きな人●

以前どこかの記事かスレで、エロゲの背景がすごく好きだというのを読んだことがあります。
自分なんかは「エロゲはエロいほうがいいヨ、エローん」とか思うので最初この気持ちさっぱり分からなかったんですけど、今になって「ハレ晴レ」で目を赤くするようになって、ようやく理解しました。
エロゲーの背景って、都会のシーンでも田舎のシーンでも、「どこかで見たことがあるような気がする」背景が多いらしいですね。もちろん、それそのものを見た人はほとんどいないはずなのですが、町であれば高校の通学路であったり、田舎であれば神社や畑の光景だったりするわけです。
それが、実際に経験ある人ならもうグッとくること間違いなしでしょうし、経験したことない人でも、憧れとして見ていた「懐かしい高校時代」を彷彿とさせられるわけです。
もちろん、エロゲーだからキャラクターやエロシーンやシナリオも重要でしょうが、背景で買ったゲームがある、なんて人ももしかしたらいるのではないかと思います。この高校郷愁感は、今のオタク界でのエロゲー独特の美学の一つなのかな。前のエントリーのコメントにもありましたが、ちょい田舎くらいの人間の輪が閉じた感覚を感じさせる背景に、自分達の世界を重ね合わせてうるっと来る、というのはすごく分かる気がします。
 

●高校時代はすぐ終わる●


「女子高生」より。
高校時代は3年しかありません。大人になってからだから言えるけど短すぎたなーと思います。
その時にどういう経験をしたか、してないかは人それぞれですが、何らかの憧れがあったり、友人とだらだら過ごした日々がひたすらに懐かしかったりする場合もあります。
それらも、「終わってしまう」からとても愛しくてたまりません。そしてもう二度と手に入らない。
アニメやマンガで描かれる高校生活は理想的なものが多いでしょうし、絶対ありえないものでも「あったらいいな」で描かれる場合が多いと思います。それは底抜けに明るければ明るいほど、とても終わった時に寂しさを感じます。サザエさん時空ならいいのに、と願いつつも、しっかり卒業していくキャラ達が見たいし、それを見て胸が締め付けられそうなくらい辛い。
だからこそ…明るくて元気にひたすら過ごしている学生のマンガが、自分はたまらなく好きです。
 
はて、女の子中心の作品ばっかりあげましたが、男の子中心の作品でもきっとこういうのはあるだろうなあと思います。ただ、自分の知識量不足でピンときません。「グリーンウッド」あたりかなあ。スポ根もいいかもだけど、ちょっと違うんだよなあ。
うーん、男の子のスローライフ高校青春もの、ってなんだろ。

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実は「ハレ晴レユカイ」を聞くと涙が出る。
 
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『空気系』総論 〜萌え4コママンガと萌えギャグマンガとスローライフコミック〜(妄想楼)