たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

中村光「聖☆おにいさん」に、お茶漬け的な幸せを見つけてみる。

●幸せインフレ●

人には色々な幸せがあります。
お金持ちになる幸せ。有名人になる幸せ。結婚する幸せ。仕事をする幸せ。人を救う幸せ。人と抱き合う幸せ。権力を奪い取る幸せ。
それらが時にドラマチックに、時にほのぼのと小説や映画やマンガで描かれていくのを見て、人は幸せの疑似体験をします。強烈な戦争の中で勝利をむさぼりつくすような、絶対現実ではやりたくないような幸せも体験できるんだから今の時代はすごいです。
しかし幸せってインフレするもの。特に脳内麻薬系の幸せ(戦闘シーン・セックス・冒険・ホラー等)は一回慣れてしまうともう戻れない危険性も秘めています。
もっと刺激を!もっと興奮を!もっとナチュラルハイを!
これは慈愛にも言えることで、非常に優しく心温まる作品を読んで感動してしまうと、それよりちょっとゆるめの作品を見てその幸せがいまいちピンとこなくなるなんてことも。続けて読まなければいいだけなんですが、幸せのインフレは一回舌を落ち着けないと混乱してしまうことが自分にはよくあります。
あれですよ。シャーベットについているウェハースは大事なんですよ。
 
ならば、愛の限りを尽くし、みなに聖人君主と呼ばれる人が作品で幸せそうに描かれるには、どれほどまでのものが必要なのでしょう。シャーベットごときじゃあかんですか?高級チョコレートじゃ足りませんか?キャビアとかそのへんですか?
いえ、伝説の聖人だからこそ、お茶漬けくらいがこっちとしてはいいのかもしれません。お茶漬けうまいじゃん。幸せじゃん。
 

●聖人だから、Tシャツを着て和やかに。●

中村光聖☆おにいさん聖人君主であるイエスブッダが、のんびり立川で暮らすマンガです。
ここで「宗教がうんぬん」という感覚はとりあえずスルーするのが吉。ほらあれですよ、「仏ゾーン」とか「女神転生」みたいなものだと思って楽しめばいいと思います。ただしイヤがっている人にすすめたらダメです。はい。
二人とももちろん苦行を重ね、人のために働き、慈愛をつくした人物ですが、そもそも二人が一緒にいてジーパンはいてTシャツ着ている時点で中村光先生の天才ぶりが見えますよ。いや、まだそこまでなら「今風」というくくりでいけますが、二人が着ているTシャツが文字入りで、それはブッダが趣味で作ったシルクスクリーンという時点で自分はノックダウンでした。

ブッダ:シッダールタ
エス:父と私と精霊

うまいことキリスト教仏教のテンプレのようになっている言葉をたくみに挟む様は見事。これを直接的ではなく、Tシャツの柄というワンクッションおいたところに笑いを持っていくふんわか感もまた、たまらなくほっとするわけですよ。

毎回変わるTシャツ。二人のTシャツとも突っ込みどころ満載ですが。
 
しかし白地に文字のみのTシャツというのは非常に安心感があります。華美ではない。あまりにも地味。二人とも飾ると言うことをしません。
これは聖人だからとかじゃ決してないです。在にイエス新撰組の衣装にものすごい勢いでときめきますもの。色々興味はあるんです。しかし倹約と一般的生活がモットーなわけです。
一般人っぽさと聖人としてのエピソードのちぐはぐさがこの作品の最大の面白さなんですが、それがイヤミを感じさせないところが、中村光先生のテクニックになってきます。

実際、かなーりのエピソードをうまく使いこなしています。それらをすんなり、あまりわからないかもしれない読者側にも楽しませるように描けるのは相当のものです。
ちなみにこれは、泳ぐのが苦手なイエスの様子を、かつて水の上を歩いた奇跡を起こしたことにからめたネタ。こんなネタがびっちり詰まっているから見逃せない。知っている人ならさらにニヤリです。
しかしそれだけがこの作品の和やかさではありません。
二人がこの世界に、のんびりと普通の羽休めをしにきているのがミソなのです。
そう、人を救い幸せに導くほどの人物が、ごく一般的な、極めてささやかな幸せを満喫していることこそが。
 

●たたみの部屋で寝転がるしあわせ●

最初のページをめくると、6畳の部屋でただのんびりと寝転がる二人の姿が目に飛び込んできます。
なんてことはない。洗濯物を干して、ノートパソコンでブログ更新して、マンガを読んで、温かい日差しの中を寝転がる。
人間のありとあらゆる不幸と幸せを見て乗り越えてきた二人が、羽休めとして下界で求めたものがこれ、というのがたまらなくいとおしいんですよ。自分たちの力は絶対使わないし、誰かに愛されたりすることも望まない。ただそこで、ただの人間の生活を送ることに幸せを感じていることが。
「俗っぽい」とも言えるかもしれません。でももしかしたら、人の中の一番身近なしあわせ、とも言い換えることが出来ます。
キャビアを山盛り食べたりトロをたらふく食べるのもいいけど、素朴なたまごごはんもいいんだよ。おいしいんだよ。

まあ何度見ても、この二人が並んでいるだけで面白くて仕方ないのですが、それでもなんだか一般的生活を送ることに極上の楽しさを感じていることに非常な安心感を感じます。また、お互いを「大好き」というほどでもなく「慈愛」でもなく、なんとなく傍にいるだけでまあいいや、というこの空気。特別なことはなくていいんだよね。
 
ネタがネタなだけに、やはりバランスの難しい題材だと思いますが、自分はイヤミや困惑感なく、素直に楽しめました。昔話のパロディ的なノリで。
それは中村光先生が、そのような「普通じゃないものが、ごく普通に暮らせる喜び」を、立川や荒川のような身近な場所で描こうとしているからだと思うんです。
 

●荒川の土手の下で●

詳しくは別のエントリで書きたいのですが、荒川アンダーザブリッジという、ギャグマンガのカタチを借りて描かれる、奇妙な住人たちののんきな生活ですを描いた中村光先生の作品があります。
荒川アンダー ザ ブリッジ 1 (ヤングガンガンコミックス)
名前がいいですよね。荒川の橋の下です。
そこに集う変人奇人たちに、エリート社員が入り込んでしまうことで起きるドタバタを描いたマンガなんですが、ゲラゲラ笑える上に、妙にその世界の中に眠るお金をかけない幸せが胸に染みてならないんです。

朴念仁でかわいらしいニノさんも、金星人と騒ぐ電波っ子。
それが本当かどうかは分からないのですが、いや、どうでもいいんですそんなことは。
荒川の橋のたもとで、一緒に共同生活するだけ。その時計のいらない時間の流れと、ごく当たり前の人間の生活と、そして時に困惑したり行き詰ったりする痛々しさ。
それは「ばかだなあ」とも思うし「しあわせなんだろうなあ」とも感じさせられるます。
ええ、バカなんです。だから人間の「当たり前の幸せ」に気づくこともあるんです。
 
聖☆おにいさん」も「荒川アンダーザブリッジ」も、どちらも登場人物は異常です。しかし二つとも求めるところは、ごくささやかな幸せ。
幸せになりたいんだよ。派手じゃなくていい。小さな、小さなものを。
 
聖☆おにいさん(1) (モーニング KC) 荒川アンダー ザ ブリッジ 6 (ヤングガンガンコミックス)
お祭りにも行く(神道)二人ですが、まあこのへんは日本だしー。個人的にツボったのは「聖人向けマンガ」でした。き、気になる・・・。
荒川アンダーザブリッジは色々な方面から楽しめる傑作。とりあえず、学校に行くときに白線を踏み続ける遊びをした人なら面白いはずです。ああ、書きたいこと多いんですが好きすぎてまとまりません。
あとね、星がすげーいいんだ。最初むかついたけど、こいつほんっとにいいんだ。やつはきっとそばにいてくれるタイプの人間だと思いますヨ。
聖☆おじさん
ぜんぜん関係ないけど連想したので貼り。連想するよねやっぱり。漫☆画太郎先生の聖☆おじさんは、見る機会がもしできたら必見!
 
〜関連リンク〜
中村光オフィシャルウェブサイト
聖☆おにいさん1巻 ローマ法王が見たらヤバイ(アキバBlog)
無宗教の日本だからできる漫画「聖☆おにいさん」1巻(フラン☆Skin)
ブッダとイエスの下界バカンス…『聖☆おにいさん』第1巻 (黒い天使のブログ)
モーニング2を知るもの来たれ!聖☆おにいさん!(日々だらくだるく)
聖☆おにいさん(ゆーとびら!)
中村光/聖☆おにいさん(マンガ一巻読破)