エロマンガが映す、このどうしようもない世界。町田ひらく「漫画で見る未来の三丁目」
●大騒ぎだったここ最近●
自分も児ポ関連の記事を色々読み漁って何日かたったのですが、正直なところ色々な話が入り混じりすぎて、何がなんなのかさっぱり分からない日々が続いています。
足りない脳みそパンクしてしまうよ!どれが事実か分からないよ!どこが焦点か見失っちゃったよ!
「本当に大事なのはなんなのか」が分からぬままどべーっと流されてしまいました。いかに自分が確固とした視線をもてていなかったのか痛感してまいっちゃいました。
ああ情けない!何か一言言いたいと思いつつ言えなかったんだよ。何が正しいのか分からなくなっちゃったんだよ。
そんな中、コミックLOの5月号が出ました。
一部では不安の声もあがっていましたが、今までどおりでした。逆に言えば、50号記念号のはずですが、淡々と普通にすぎていきました。
んで、今月はサブカルロリータ作家の鬼才、町田ひらく先生の作品が載っていたわけですが。
自分の頭はバットでホームランされた感じでした。この時期に何を書くのかなあ?とは思ってはいたのですよ。
まさかね。そこでロリエロマンガに反対する人間像を描くとは。
●けしからん、実にけしからん●
マスクをしたおじさん(この時点でかなり怪しいですが)が、子供の通学路を守るところから物語は始まります。彼がその後、ゴミ捨て場にあったエロマンガを拾い、事態は混迷していきます。
ドロドロとした感情と、曖昧な偽善とともに。
もうね。町田先生の描く男は本当に醜悪だからたまらない。
確かに言っている事は正しいだろうし、町内会でエロマンガを議題にして怒りをあらわにするのは、わからないでもないです。
しかも作中で争論の中心になっているマンガ、そのキャラクターが実際の町内会の人間に似ているもんだから、彼ら憤慨しまくり。ああ、それはまあそうかもしれない。もっともだ。だけれどもなんだろう、この嫌悪感。なんだろうこの、目を背けたい感覚。
●空想。ファンタジー。鏡?●
途中、編集者に電話をかけるシーンもあります。
この時点で一体なにが起きているのかは、読者にもだんだん分かってきます。
自分達がエロマンガに描かれたのではないかと怒りに震えた男達ですが、なぜか突然引越しをはじめるのですよ。
ファンタジーの世界のことを、怒りに震えて訴える勢いだったはずなのに。本当に「自分たちに似たキャラの出てくるエロマンガ」に憤慨しているのならば、なぜ逃げる?
まさか見られたのか?…ああ、大丈夫さ、見られていないとも、あのマンガの中では自分達の秘密までは描かれていなかったじゃないか。まだ見られていないとも。多分。
編集者さんも淡々としたもので、「ファンタジーの世界」と言います。そのとおりなのです。
つまり町内のその男も「マンガはファンタジー」と分かっている上で、焦りを感じているわけです。焦りを感じるだけのものを隠し持っているから、です。
いやになるくらい醜悪。そこに、なんだか自分の心の奥に眠る、耐え難いくらいに見たくなかった「奪い去る性欲」を突きつけられるような感覚すら覚えます。
恐怖に責めさいなまれる男が見たのが、ファンタジーという名前の「自分を映す鏡」ならば。
町田ひらく先生の描くこの作品も「ファンタジー」という名前の鏡なのでしょう。
一体、この世界の何を映しているの?
●本当の意味で醜悪なモノ●
「自分達を映した鏡」である作中のマンガに怒りをぶつける男達。その姿は非常に滑稽で醜く描かれています。
ようは鏡に向かって吠えているんですもの。嫌悪感も抱きますが、どうしようもなく哀れにすら見えてしまいます。吠えるんです。図太さはなく、自分の中の醜悪なモノに怯えているからです。
それに対比させるように描かれた、死んだ魚のような目をした少女の姿。強烈に目の裏に焼きついて離れません。
彼女達の瞳に希望という言葉はありません。でも絶望もしていないのです。そもそも今回は完全に男達視点なので「何を考えているか分からない」が正しいのかも。
町田ひらく先生が描いた、エロマンガを嫌い、怯える大人の姿。
それは合わせ鏡の間にはまって、見たくない自分の姿に恐怖し狂いそうな、圧迫感にあふれているのですよ。その時この作品を読んでいるこちら側も、町田ひらく先生の「ファンタジー作品」が映す鏡像によって、この世界が湛えている「真に見つめなければいけないもの」を浮き彫りにしている気がしてならないのです。
そう、想像の庭ではなくて、本当の意味で醜悪なもののことを。
●今までと、これからと●
町田ひらく先生は以前、「03年代動乱」というマンガを描いています。「あじあの貢ぎもの」という作品集に収録されています。
ロリエロマンガ家の街田(!)が逮捕されるというストーリー。一緒に留置所に入った男に自分の少女との性体験のようなものを語っていく様子が描かれます。そりゃあもう詳細に。赤裸々に。
実際は「漫画家は想像力が命スから」のセリフが物語るように。ところでその一緒に逮捕されていた男はというと…。そんなお話。街田の様子があまりにも面白いので興味のある方は読んでみてほしい作品です。
結局はマンガは「ファンタジー」。そして「本当に醜悪なもの」は世界のどこかに存在しているのかもしれないよ、とささやきます。鏡をこの世界に突きつけてきます。
見えるかい鏡の中が。
ああそうか、ちょうど3年おきくらいに、世の中は児童ポルノについて大きく揺れ動いていたのだな。
今にはじまったことではない、そんな記憶を揺さぶられます。2000年に発行された鎌やん先生の「アニマルファーム」でも、現実にあった98年児童ポルノ法案修正立法議論要求会議の様子が収録されています。(鎌やん先生指摘ありがとうございます!)
ずっと、続いているんでしょうね。これからも続くのでしょうね。良心の呵責、表現の自由、モラル、むき出しの感情、子供不在になってしまいそうな論点、性欲…。答えいまだ見えず。
エロマンガというジャンルはそんな世界をファンタジーの立場から、これからも映すしていくのだと自分は思いたいです。思うのです。こっそりと。
町田ひらく先生のサイン会に集まる人の半数が女性、というのを「エロマンガスタディーズ」で読みました。これは非常に興味深いなあ。
なんとなくは分かるのですが、女性が町田先生の作品のどこに惹かれるのか、どういう視点で楽しんでいるのか気になります。そして、どうして自分はこんなにも町田ひらく先生作品に惹かれるのかも不思議。見ていて猛烈に鬱になるのに。
コミックLOではいつもの思想色深い宣言も健在。はじめに書いたように、50号だからといってお祝いは一切しません。この本に読者投稿欄がないように、群れたり目立ったり祝ったりすることは、理念をもってしないのでしょう。自分達が正しいと言う主張も一切しません。認められないことを分かりつつ、後ろめたさの中で妄想の庭で静かに囁く姿勢をとっています。そんな、醜さを認めつつ美しくありたい、という真摯な視線が自分はたまらなく、どうしようもなく好き。
アニマルファームは思考が戸惑う時によく開きます。答えは出ないかもしれないけれど考え続けることが、本質を探す事が大事なのを思い知らされる一冊です。
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今のところはっきりした情報を見てないのでノーコメント。きな臭くなってきたなあ。