たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

登れ!高く険しいフェチ道「あぶない!図書委員長!」

人間というのは、常に成長する。
だが、諦めた瞬間に、その成長は止まる。
まあそれでいい、と言った瞬間にその歩みは止まる。
人よ! 歩めよ! 振り返るな!
そう、君が手にしたそのフェティシズムの道を!
 

●どこに「エロい」と感じるのかね?言ってみい。●

フェティッシュマンガの大家、西川魯介先生の「あぶない!図書委員長!」が出ました。
ヤングアニマル増刊あいらんど」と「エース増刊桃組」掲載だったため、実に2004年から2007年までの期間に渡って描かれたという作品集です。
そこまで年月をおくと、最初の方と後の方で差が出たりすることもあるものですが、西川先生は徹頭徹尾一本の柱で貫かれているため、ほとんど違和感がありません。
その柱と言うのはフェティシズム「愛」です。
 
とはいえ、このフェティシズムという言葉、まーっこと奥が深い。
そもそも「めがねフェチなんだ」と言われると「ああ、眼鏡の女の子が好きなんだねー」とと思ってしまうわけですが、そんな生半可なものではないようです。
関連・フェティシズム(wikipedia)
「メガネをかけている女の子にちょめちょめしたい」とか「めがねの男は一際ひきたつ」とかそういうレベルでも俗称として「フェチ」と言います。
しかしどうやら、真の意味は「女性がかけたメガネそのもの」に興奮を覚えるかいなか、という次元に達するようです。
「メガネをかけた子が好き」「メガネをかけているから好き」の違い、でしょうか。
西川先生はそのへんを非常に奥深くまで追及しまくるわけです。
たとえばこんなシーン。

このサイクロプスみたいなチームは「シャケの会」。
こいつらがまたよく出来たキャラで「メガネの女の子に白子的な液体をかけるための集団」です。それしかしません。かっこいい!
しかも彼らは、伊達メガネに白子的な液体をかけることはしません。かっこいい!
そして彼らは、女の子よりはずしたメガネを優先します。かっこいい!
 
いや、かっこよくはないですが。
 
このシャケの会をはじめとする作品中の面々の行動は、本当の意味でフェティシズムに突き動かされているかのようです。
なるほど、確かに自分もスパッツとか大好きですが、それはあくまでも「スパッツを履いている女の子はかわいいな」であって、スパッツそのものに欲情できるわけではないです。
だめだっ、フェチ道はけわしい・・・っ!
 

●やるならその瞬間のために生きてみい。●

また、こんな集団もいます。

バラのにおいに包まれながら蜂蜜をかけあいながら愛撫しあう少女達、「薔薇の穴」。
これは物そのものへの偏愛ではなく、シチュエーションを好むタイプの偏愛にあたります。性的倒錯・パラフィリアのほうが近い…のかしら?
彼女達は、そのためにならなんでもします。そもそも蜂蜜かけあってその後処理とか準備とか云々とか、考えちゃだめなわけですよ!
一瞬の最高の快楽のためになら、なんでもする勢いで。そのためにならすべてのものを投げ打とうじゃないか。
そんな覚悟がぼくらにあろうか!?
 

フェティシズムを叫びながら愛に生きてみい。●

この作品集にはもう一本メガネフェティシズムのマンガ「dioptrisch!」が収録されていますが、こちらはさらにメガネそのものへの執着とこだわりを見せていて非常に面白い作品。ギャグですが時に哲学的です。

そもそも「メガネっ娘」とは何ぞや!そんな熱い叫びを少しじっくり考えるのですよ。
ここで「かわいければいいんじゃない?」とか「それもいいよね」というのも一つの生き方です。自分は割りとそうです。
だがしかしそこで「オレ内究極」の「メガネっ娘」を追求する道を選ぶ人もいます。
それは非常に困難なことです。時に誘惑もあるでしょう。時に妥協もしたくなるでしょう。しかし真の美を求め己を磨くことは価値が…!
…あるのかなあ。…いやっ、あるある。
 
しかしそこで問題になるのが「フェティシズムは一方的な好意でしかない」ということ。
「萌え」もそうですが生身の人間に対して言うのは極めて失礼な行為です。あくまでも写真やイラストの中で究極を目指すもので、誰かに対して「君のメガネに興奮した!」とかはさすがにちと。
そのへんは「屈折リーベ」のあたりから西川先生が延々と、ギャグとして書き続けているところです。一貫してすごい勢いで、パーツへの偏愛を描きながらも、それが相手の人間性を無視している滑稽なものであることもちゃんと押さえているのが非常に興味深いです。

「先輩だから」かけたいんです!
白子を。
彼もそこそこフェティシストなんですが、先ほどのシャケの会とは違います。シャケの会が「メガネをかけていてかわいい」なら誰でもいい、むしろメガネだけでいい、くらいの偏愛ぶりだったのに反して、主人公の高山くんは「メガネをかけたふみみ先輩が好きでしかたない」なのです。
 
人はあらゆる「属性」で相手を見てしまうことは、少なからずあります。その一つがメガネっ子だったりツンデレだったりするわけです。そこには人格はありません。ブロックみたいなものです。
しかし「ツンデレ」で終結するわけじゃないのが人間の、または魂を吹き込まれたキャラのいいところ。やはり高山君がほれ込むように非常に魅力的な何かがあるのです。
そこに気づき、好きになった時。人は一個人に恋をするんだ
 

●フェチの道を突き進んでみい。●

でもその「愛は偉大だね」で終わるのもなんだかもったいないです。
人を愛するのはフェチを超えたところにある重要な力です、が、それでも飽くなき挑戦を続ける人間の姿がある。だからこそ人間の文化は更に深く広く膨らむのです。時に曲がるけど。

時にその道は孤高。誰も認めてくれないかもしれない。滑稽かもしれない。
それはそれなのだ。愛は愛なのだ。それでもさらに踏み進みゆく人の姿もあるのだ!
この心が決して、マイノリティから脱しないことをわかりつつ。
人は歩む、歩むのだ。
あぶない!図書委員長! (ジェッツコミックス) 
くせの強いマンガですが、西川魯介節が好きな人なら相当楽しいんじゃないかと思います。あるいは西川作品の入り口としても読みやすいです。
加えてこの作品の最後にはいぼく氏の西川魯介論が載っているんですが、これが強烈なほどに面白い。「属性ってなんだろ?」と感じる人なら一読の価値ありです。
自分は正直哲学はさっぱりわからないのですが、哲学かじったことある人ならきっと3倍面白いんだろうなあ。
 
〜関連記事〜
西川魯介の描くフェティッシュ少女は、エアガンを握る。