たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

そして、オタクは別れを経て大人になる。

いやはや、少年期聞いてたらしみじみしてきたので、しみじみした話を書きます。
 

●みんなみんな、ジュブナイル

繊細なバランスの上に出来ている物語。 - hvc-001
トラックバックいただいた記事なんですが、すっごくいい事を書いていたので紹介します。
内容はみていただければわかるのですが、「とらドラ!」の話。

成長するために必要な「何かを捨てる力」をグシャグシャになりながら描いてあるんだろうと思う。

ああ、本当にそうだなあとこの一文に思いいってしまいました。
 
とらドラ!」は色々な人の思惑が交錯して、「あれもこれも」全てが幸せっぽくなることを決して許しません。
みんながどうすればいいのか分からず行き惑い、進んでは下がりを繰り返し、そして最善を選ぶために選択します。
選択するということは、もう一つの選択肢とは別離することに他なりません。
小説はまだまだどうなるか分からない状態なので何とも言えませんが、少なくともズタズタにひっかき傷をお互いに作って、泣いて、叫んで、手を離して、色々な物と決別をそれぞれがしていきます。ネタばれになるのであまり深くは言えないですが、あの人のあのシーンは本当に強烈すぎて不覚にもボロボロ泣いてしまいました。なんだろ、こみあげるとかじゃないんですよ。気づいたらボロボロしてるの。
 
そりゃまあ彼らのような大恋愛なんてしたことないですが、気づけばたくさんたくさん、色々な物と別れてきているわけです。それは人かもしれない、物かもしれない、思い出かもしれない。「捨てる」というと粗末に扱っているようですが、そのくらいの覚悟で切り離さねばならない経験を経てきています。
切り離そうとして切り離しているものばかりでもないんですよね。切り離さざるを得なくて、泣いてわめいてしがみついて、でも手から離れていってしまったものだってたくさんある。
とらドラ!」は一見、パターン化された属性の詰め合わせにも見えるのですが、それがとんでもない罠だということに気づくのはあっという間でした。みんなそれぞれ生々しくわがままで、いっぱいいっぱいで、不安と動揺を抱えながら生きていて。
「選択して歩く力」よりも「選択して決別する力」を描写しているこの作品。「ジュブナイル」の言葉が包含する、得体の知れない、でもなんだかみんな分かっている切なさがこみ上げてきます。
みんなみんな、いろんな物と決別してあるいてる。
 

●自らの決別●

はて、ある意味においてオタクをやっていると、その決別は途方もないボリュームになることがあります。
WEB拍手より。

うわぁぁぁぁぁぁ!!!ついにきてしまったよぉぉぉ!!
ネタバレ控えるため、なんか見たくなかったからネットでも極力画像とか見ないようにしてきました・・・
あぁ、申し遅れました。フレッシュプリキュアです・・・。
5がシロップかわいくてウヒョー!だったので、正直ブンビーさんも気になりつつ
「ムカデは小物に成り下がったからはやくフェードアウト!」
と見てました。そしたらアナコ姐さんが怖くて、あと脚がエロくて!
こりゃあ楽しみだぜ!と思ってたら、あれ?なんか始まったけど・・・
なんか寂しいですね、毎度のことなんですけど。始まったら見ちゃうんでしょうけど
「名残惜しむ」という行為は去っていく作品にとっては良いことなんでしょうかね?
名残惜しむと、つい次の作品を叩いてしまいがちですが・・・

そう、アニメやマンガが終わる時。
「何をおおげさな」と言われるかもしれません。ええそのとおりです、大げさです。ですが身を裂かれるくらいに「好き」な物ってたくさんあるんです。どうしようもなく好きで、好きで、愛している(あるいはそう錯覚している)作品に出会っちゃうことが、あるじゃん。あるんだよ。
 
「名残惜しい」って言葉が出るのはとてもすてきなことだと思うんです。
だって、名残惜しいほど好きだったってことじゃないですか。
 
好きな作品があると、やはり愛着がわきます。
読みながら、見ながら、聞きながら、「ああいつまでもこの時間が続けばいいのに」と本気で願います。最初から終わりがあると分かっていながら、ほんのりと「サザエさん」のようにならないかという淡い希望を抱いたりします。
でも終わるんです。終わりがあるからこそその作品は一層魅力的なものになる、ということは多々あります。
作品が終わり、決着をつけた時。それが大団円でもバッドエンドでも、どんな終わり方でもそこで強制的に決別が発生します。
忘れてすぐ次の作品にいくこともあります。でも「一生忘れられない作品」はやはりあるもの。その「一生忘れられない物」に出会ったと言うことは同時に、一生忘れられない別れも、またあったのです。
 
自分は「サナギさん」がとても好きです。
終わる時には途方もない虚無感とぽっかり開いた心の穴を呆然と見ていたのですが、最終回が非常に素晴らしい物だったので、決別することができました。
決別といっても、今でも大好きです。永遠のさようならをするわけじゃないです。人間関係でも決別したからといって忘れるわけじゃないのと同じです。好きだから区切りをつけなきゃいけないことは山ほどあります。
最終回を読んで、サイトでイベントをやって、同人誌も出して、まだ好きです。いっぱいいっぱい言いたいことだらけです。だけど「終わった」ことは理解して、「よかったよ、本当によかったよ、ありがとう」と言えるようになる道を選ばないといけないこともあります。駄々こねて悲しみたい気持ちがないわけじゃないけど、それは好きな作品に対して失礼だから、と理性が心を抑えます。
寂しいよ。名残惜しいよ。すんごくつらいよ。でも作品は、終わり。あとは自分でそれをどう心の引き出しに整理して入れるかです。
あふれさせるもよし。自分で整えて並べるもよし。
ああ辛い。好きな物に出会ったら終わりが来るんだからもう好きな物は増やさないようにしたい。なんて嘘っぽいことを思いながら、やっぱり好きな物は好き。誰がなんと言おうと、好きになってしまうものってあるんです。
出会って、別れて、名残惜しんで。オタクはたくさんの「決別」を繰り返して大人になっていきます。
 

●Ride on Shooting Star●

大好きなアニメにGAINAXの「フリクリ」があります。

フリクリ DVD-BOX
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破天荒で意味のよく分からないような話で「何事?」と物語が始まるのですが、二話から一気に加速、少年が見た自分・世界・大人・女性などがセカイに飽和。それがパンクして世界を破滅させてしまうエヴァンゲリオンも素晴らしく面白いのですが、「フリクリ」は何もかもが安らかに一体化するのを選ばず、がっちりと「決別」するから、好きです。
主人公の少年をむちゃな扱いばかりする、だけど大人の女性としていつも見ていたハル子さん。最終話で彼女についていって、どこまで永遠にその破天荒な日々を楽しむ選択肢もありましたが、この作品はがつんと決別します。決別させられたというか。
それを大人になるときの「痛み」として、the pillowsのメロディーに載せて描かれるのはむずがゆくも心の琴線をひっかく感覚でいっぱいでした。

さようならさようなら。
きっとあなたは同じ時間軸で、幸せに暮らしていることでしょう。
ぼくも、元気です。
さようなら。
 
マンガやアニメの中で決別する姿を見て、そして自らもその作品から決別をする。
痛いけどそれでも愛している、そんな経験を重ね、繰り返して。
案外、幸せだと思う。
だから今日も、好きな作品を掛け値無しに大事に思い続けるのです。いつかくる決別の日を覚悟しながら。
 

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青いなあ。
とりあえず面影をおいかけて、ベスパがほしいです。ほしいですベスパ。

 

Fool on the planet
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the pillows
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the pillowsはすごくよいですよー。大好きです。
友人が話していたんですが、「pillowsってどことなくセカイ系」と言われて納得。もちろんいい意味で。少年期に見ているセカイなんですよね。
是非とも、いやもうなにがなんでも、もし「惑星のさみだれ」がアニメ化したら、音楽はpillowsでお願いしたい!ビスケットハンマー!