たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

「おしっこ」という性癖が、オタク界隈でさらりと語られることについて。〜二次元と三次元の性癖と罪悪感〜

WEB拍手より。

有村です。お世話になっております。
「ロリおしっこ」というのは、個人的な話をすれば二次元・三次元を問わずそれでないとオナニーしても射精に非常な困難を伴うというくらい、自分にとっては深刻な性的嗜好なのですけれども、こういうところであっさり「自分はおしっこ物好き」と書いてしまってもかまわないくらいには「カジュアルなアブノーマル」になっているんだなあいまや……と感慨深かったです。かつては、たとえオンラインであってもこんな性癖知られてはまずいと脅えつつ過ごしていたのですが。
ちなみに「おしっことロリは相性もいい」については、ブクマにもコメントしたように三次元ロリ(=児童ポルノ)においても長い伝統があります。おしっこ物の児童ポルノビデオを紹介している三次元のロリコン雑誌におしっこ物のロリコンエロマンガが掲載されていたような時代もありました(児童ポルノ法施行以前、97年ごろには実物をいくつも見ています)。そういう経路で何かしら二次元へのフィードバックが行われていたかもしれません。まあ……そのあたりに触れるのは、それこそ社会的にハイリスクすぎますけれども、現在では。

お世話になっておりますー。
おっしゃるように「カジュアルなアブノーマル」化しているのは本当に興味深いところですよね。
ほかにも例としては「アナル」とか「足コキ」とか・・・「ロリコン」もそっか。そうですよね。バックベアード様のAA一枚で突っ込まれるくらいで済むんですもの。
もちろん実生活ではそれは言えないですが、ネット上のごく一部では「変態!」で済まされる程度で済むようになりました。
 

●キミは一人じゃない。●

個人的にはそれはいいことだと思います。
SMスナイパーの記事で永山薫氏が書いていましたが、性癖自体は隠す隠さざるにかかわらず、どうしようもないものだけれども…それは一人じゃないよ、ほかにも仲間がいるんだよ、と知ったときの涙をこぼしたくなるような安堵感!
 
変態性癖に対しての安堵感。
一見すると「なんだそりゃ」と思われるかもしれないんですが、これが意外としんどいものです。もちろん「おしっこ」物が好きだからといって、見ないと死ぬわけではないです。
だがしかしですよ。日々「おしっこものがすきなんて信じられない」「気持ち悪い」と言われたらどうですか。それは「オタクなんて気持ち悪い」「害悪だ」という偏見とも通じる、言葉の暴力でもあります。でも言い返せないんです。
 
理解はされなくてもいいです。認められなくてもいいです。受け入れられなくて当然なのです。
ただ「そういうのもあるのね」とスルーして、一方性癖を抱える側はただ静かに嗜みたい。
そこに・・・たとえばLOがあれば。そして「お前ロリコンだな」という友人がいれば。ほら人生は上々じゃないか。
 

●「三次元ロリ」はダメ絶対・・・本当に?●

はて、このいただいたコメントで一番大事なのは後半だと思うんです。
現在では「三次元ロリ」は、建前上であってもやはり「ダメ」といわざるを得ません。
というかやはり少女たちに迷惑がかかることがあって、人生を狂わせるのはそりゃだめです。実行するのは。
だがしかし「俺は二次元ロリだから大丈夫、三次元ロリはダメだ」という言葉をたまに聴くわけです。でも、それってどうなのかしら?と時々不思議に思います。
 
ロリコン漫画誌はかつて、ロリ写真と合体したような「サブカルチャー雑誌」の一つでした。
ある面において、同等の価値を持っていたといえます。これはどっちがいいわるい、どっちがすき嫌いではなく、「おしなべて少女ってかわいいよね。」というすごい単純明快なものだったと思います。
それが色々事件をへて、今は写真は排除されました。
仕方のないことです。
しかし、それは三次元ロリの人の罪ではありません。三次元ロリの人はむしろ「子供達を守るためなら」と涙を呑んだことでしょう。自分がどんぴしゃでその時代を生きていたわけではないので明言まではできませんが、苦労のない特殊性癖はありません。それがかなわぬものならなおのこと。
 
そして今、二次元です。
二次元は誰も傷つけません。不愉快に思う人もいるかもしれないのでこっそりとやります。
あくまでもつつましく、あくまでも自戒をこめつつ・・・。そして、豊かでメランコリックに。
でも「キショい」ことには変わりありません。「自分の中の性癖は危険をも秘めているんだ」という思いは0であってはなりません。「LO」が多くのロリコンじゃない人にも支持されるのは、そういうマイノリティな性を持ち、感受性強い人が刺激されるからでしょうね。
 
しかし時代はちょっと変わってきました。
「俺は二次ロリだから、三次ロリは死ねばいい」という、ロリ内格差社会?みたいな発言が増えてきました。
えー。それって、ちょっと違うよう。
どっちも自分の性癖を抱えて、苦労して生きてきているんじゃん。三次ロリ=犯罪者みたいなことを言うのは大きな間違い。むしろ三次ロリは「決して人に認められない」ことを分かった上で、自分と・認めない周囲と・けなす人々と戦って生きています。
実はわかってるんです、二次ロリも、三次ロリも、後ろめたい趣味であることは。そして、みんな怖いんです。
たださ、その中で優劣つけても仕方ないと思うんだな。
 

性的嗜好は決して「悪」ではない。それをどう理性で保つかが問題だ●

断罪すべきは、その一線を越えて犯罪に走る人のみ。もちろん自分達もその可能性を持っているけれども(ロリに限らず、レイプはいつ起きてもおかしくない。働け理性。戦え心。)超えた人は切り捨てて後ろ指さされるべきでしょう。
 
LOのキャッチコピーにこんなものが。
「憂鬱でメランコリック、とてつもなくロマンチストな人々へ連帯と新年の挨拶を贈る。」
そう、協力じゃない。共闘じゃない。「連帯」
それはマイノリティで、後ろ指さされる趣味だ。
だから超えてはいけない線がある。それを超えることでぼくはキミを蔑むだろう。だが同時に他の人も蔑まれるのだ。
だから、みんなで守らなければいけないんだよ。それは三次元ロリも、二次元ロリも、同じだよ。と。
その連帯感がとても重要だし、かけがえのない力にもなっていきます。
だから、「全部三次元ロリのせいだ!」と言うのは間違いだという気がしてならないのです。悪いのはその人でしょう?と。むしろ三次元ロリ趣味を持っていても、手を出さずじっと我慢を重ねている人はえらいですよ。変えることのできない性癖を、みなに色々言われるその茨道の中で何も言わずじっと耐えていることはほめられるべきことです。
二次元ロリもそうですね。一般的には認められる趣味ではないです。だから、何かを言われても無理やり押し通すことはしない。ただ「黙して語らぬ」それが後ろめたくも好きなものがある人間の生き方。
 
「おしっこ物」はそんな曖昧なラインを行き来する貴重な部分かもしれないですね。
いやいや、もちろんネット上で「実は俺現実でも少女のおしっこ見るのが」とか暴露する必要はないです。それを言うのが後ろめたかったらだまっていればいいです。だって、それを言ったら間違いなくいやがる人だっているんですもの。
そして嫌がる人はなにも悪くない。「見たくない権利」も存在するからです。その嫌悪する心をもってしっかりと生きているのはとても立派なことなのです。
 
心の奥に眠っているそれらの性癖は、お互いが理解しあえることはなかなかありません。ただ連帯感をもって、いがみあうことなく、守るべきものではあるんじゃないかな・・・とメランコリックに考えたりしました。
ロリコンはいがみあうことなく、ただ心に連帯感を秘めて生きていけばいい。なんてね。
にしてもメランコリックって便利ね。
 
えー、もっとぶっちゃけますと。
とらのあなの帰りに事故して死んだら、目も当てられないことになるので「絶対死なない!」。
そのくらいの気迫があったら長生きできそうだよ、ね?
 

●おしっこシンドローム

WEB拍手より。

おしっこものは、自覚はじめの思考から、切羽詰った言動、出せてほっとした至福の表情、あるいは間に合わなくての絶望的な表情など、コンボも見事ですよね。他の小技との相性も抜群です。
生理現象なためどんなキャラにも合うため、強気やクール、おませなキャラが余裕をなくしてゆくのも楽しめますしね。

男性から見ると射精的なビジュアルとしての側面もあるため、重要ですよね。どんな子でも絶対するし!
ここに書かれているようにバリエーションに富んでいるのもいいなー。
うん、エロかといえばエロなんですが、別ベクトルの重要な心の穴を埋めてくれると思います。人間て不思議。

自分も小さい方はむしろ好物なのですが、大きいほうはダメダメな人です。
というよりも、お尻から出るのが精液とか、卵とか、綺麗っぽい水とかであれば、羞恥効果が征服感と相まって好ましいんですけど、茶色が混ざると嫌悪感を覚えてしまうんですよね。
リアルのイメージが強すぎて萌えを消してしまう、という意味では、リアル姉妹持ちは、そういう嗜好を持てない、ってのと通じているのかも?

ウンチョスは自分もだめです。
それは「汚い」「臭い」「なかなかとれない」という現実の経験をたどっているから、とも考えられます。

実際おしっこもそうなんですよね。中島ちづな先生やぢたま某先生はさらっときれいなおしっこを描きますが、実際にこれが放置されてアンモニア臭漂ってきたらやっぱりヒく人の方が多いです。リアルとファンタジーの間なんだと思います。
まあ、もちろん中には「そのにおいがいい」という変態さん(敬意をこめて)もいます。いるよ。
それを嫌悪するもよし。その気概を買うもよし。
ようは手を出すか出さないか。自分が手を出すのなら蔑まれるでしょう。
あらためて「YES!ロリータ、NO!タッチ」はいい標語ですね。
 

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余談ですが、「LO」は二次元三次元についてあまり言及していません。
ただ、二次元だろうが三次元だろうが、その性癖ゆえに人生の苦しみを感じている人に「ここにおいで、このファンタジーの園にその思いのたけをぶつけておいで!」という両手を広げることはしていると思います。そこには二次元だの三次元だのはありません。耐えている人すべて、です。
でも違法アップローダーと、性的犯罪者は一切遮断。切り捨てます。
こう書くとおおげさですが、LOみたいなマイノリティな性の雑誌がないと「生きていけない」と感じる人もいると思うんです。
せめて、黙して語らず、一生懸命隠れて生きようとしている人のエールでありたい、そんな雑誌なんじゃないかなあ。
ほかのエロマンガもそうですけどね。大げさな話ですが、エロマンガによって「性的に」じゃなくて「生き方的に」救われる人もいると思うんだ。
人間の「性」という切っても切れない、そして後ろ指さされがちなこのジャンルが重要なのは、そんなセラピー要素があるからだと本気で思っています。
余談ですが、町田ひらく先生作品のような作品があることで、セラピー効果を得る女性もたくさんいるとも思っています。
 

男性・女性ともに、セラピー要素のかなり強いエロマンガ二本
とくにアリスくらぶの方の大山田満月先生作品とみかんR先生とナヲコ先生作品は必見。エロがいかに人間の心を深く描くか味わうことができます。特にナヲコ先生の作品は、現在だと賛否両論飛び交う作品だと思いますが、純粋な愛情と、越えられない年齢差と、全くどん底しか見えない未来を性を通じて描いた傑作。一度は見るべき。
ながーくなりましたが、エロマンガってやっぱり、誰かが苦しむことのない、重要な「癒し」だと、思うんだな。