追い求めるのは美と性欲〜フィギュア・人形という名の偶像〜
以前いただいたコメントより。
『はじめまして。いつも楽しく読ませてもらってるフィギュアオタです
>ワンフェス2009夏
>一番下のフィギュアほしいなあ。
植物少女園というディーラーさんの「加菜子」ですよ。私もこの作品には惚れました・・・原作は京極夏彦の『魍魎の匣』だそうです。植物少女園、でググって頂ければ原型師さんの公式サイトが出てきます。ギャラリーページにすばらしい写真があるので、ぜひ。』
ワンダーフェスティバル2009夏 フィギュア画像ピックアップ - アキバBlog
植物少女園
ワールドイズマインを作っている方でしたか。「サイコ」の「箱入り千鶴子」も凄まじくて一回見て忘れられなかったのですが、これはすごい。ギャラリーで色々見られるので是非。うっとりします。
にしても、これらの作品は何らかの元ネタがあってフィギュア化されているわけですが、やっていることがハンス・ベルメールや四谷シモンと同じベクトルで、もうメロメロですよ。
●ハンス・ベルメールの子供達●
まあ自分も美術とかはよくわからないのですが、ハンス・ベルメールの人形が何らかの偶像なのは漠然とは分かります。
現代芸術は幾多の幻覚的な絵画やオブジェを生み出したが、ベルメールの人形は、そのなかでも最も強力な、最も刺激の強烈なものだと私は思う。それはイメージというよりも、オブジェというよりも、むしろ一種のフェティッシュ(呪物)であり、偶像であるような気が私にはする。子供が愛撫する人形のような、原始民族が崇拝する呪物のような、なにか芸術を踏み越えた危険な魅惑が、そこから放射されているような気がする。肉体の迷宮を踏み迷うベルメールの執念には、人類が遠い過去の闇の中に忘れてきた、あの呪術に似た願望がひそんでいるような気さえする。
<澁澤龍彦「ハンス・ベルメール 肉体の迷宮」より>
「ハンス・ベルメール:日本への紹介と影響」 (Bellmer-Japan)
人形好きの間では神格化されることの多いハンス・ベルメール。今でもその作品群を見るだけでぞっとするような強烈な印象をたたきつけてきます。色々な美術人形が出ましたが、なかなか超えられない存在です。
すでに人間の姿ですらない彼の絵と人形は、驚くほどに性の感覚を形にしており、いかがわしさ、エロティックさでパンパン。これが女性っぽさを表現しつつも、少女性がものすごく強いのも大きなポイントだと思います。
少女美を一度イメージの中に取り込んで解体して再構成。情念のような肉体への羨望が詰め込まれているこれらの作品は、完全に動かない存在としてエロティックな視線を受け止めることの出来るオブジェです。これらの作品は、見る人がエロティシズムを感じることに後ろめたさを覚えさせながらも、その感覚を受け入れるだけの力があります。体の奥底に眠る、不思議で見えない性の感覚そのものです。
これに影響を受けて、球体関節人形が日本でも一気に広まります。
創作球体関節人形は四谷シモンをはじめ、天野可淡、吉田良、恋月姫など有名な作家が次々と作品を作るようになります。そして面白いことに、ゴス文化やオタク文化と融合したり離れたりして、「美術作品」や「おもちゃ」の流れと別のところにスポーンと抜け出していきます。
どうにも「美術品」と言う枠は分かりづらいのですが、今の日本文化は「美術」と「おもちゃ」、「人形」と「フィギュア」と言うような境目をあえて壊している方向に進んでいる気が、大いにします。
●フィギュアと人形の間●
元々自分は人形大好きっ子だったので、フィギュアの存在には微妙に抵抗がありました。好き嫌いというよりは「フィギュアは何らかの元ネタがある」という印象が強くて、分けて考えていたのかなと。
「人形」って元来、キャラクター性がないわけですよ。いや、あるにはあるのですが、実際は持ち主や観客が自分のイメージを投影させる器です。昔のビスクドールもリカちゃん人形も、設定はあったとしても持ち主次第で性格付けは自由に変えることが出来ます。だから人形って買った後名前付けたりするんですよね。…付けますよね?
しかし「フィギュア」は基本的にキャラクターや元々の性格付けありきの場合が多いです。もちろん今は境界線がドロドロに溶けているので一概には言えませんが、キャラもののフィギュアを買って別の名前を付けるというのはあまり聞きません。また、元キャラがないとしても、モチーフになる人物の性格付けを、作家側が綿密に設定しているのがフィギュアの魅力だとも思ったりします。
あくまでも自分の視点での話なんですけどね。兵隊さんやUFOのフィギュアとかみたいな昔からある物に馴染んでいる人にしてみたら、実際に作れる物=フィギュアっていう感覚も大いにあると思います…あ、でもやっぱりキャラクターありきなんだなあ。
なんとなーく棲み分けはあったと思うのですよ。
そこに風穴を開けたのは、やはりスーパードルフィーシリーズだと思います。
もしかしたらその前から似たような路線の商品はあったのかもしれませんが、「自由にいじれる」「値段が手の届くレベル」「見た目が繊細」と、「人形好き」で「アニメ・マンガ文化も好き」な人にはどんぴしゃ過ぎるツボを突いてきたのは評価に値すると思います。
自分なんかはまさにがっつり飲み込まれたクチです。1から球体関節人形を作る腕はないですが、カスタマイズなら出来るわけですよ。だから世界に一体の自分の娘が手元に来るわけです。名前だってつけちゃうよ。
そんな話をしていたら、友人が面白いサイトを教えてくれました。
- アルテトキオ arte tokio web site -
「こどものじかん」フィギュアに目が引き寄せられますが、その下の『この「微」は、美。』の項目にびっくり。
関節無し人形ですね。大きさはSドルフィーと同じくらい。
10万円くらいするのでそうそう手を出せるものではないですが、これは一体ほしい。
ほしくて、かつどうにもならないような後ろめたさを感じるのは、その体の表現があまりにも少女的だから。
40センチドールのエロティックさに至っては、内山亜紀先生が描いたロリータの匂いすら感じます。
Sドルフィーがフィギュア的な側面を持った愛玩人形とするならば、アルテトキオは愛玩人形的な側面を持ちつつ、エロティックなイメージをがっちり引き受けている感があります。
うん。エロい目で見ていいと思うのですよ。性的なものを感じさせるくらい魅力的に作られているってことですもの。
「萌え」という語の中には、性的な思考が含まれていることは否めません。一部。
その性的な「萌え」が研ぎ澄まされて、性的な美を求めようとしたときに、一旦人形からフィギュアへと移行していたベクトルが、またフィギュアから人形へ回帰しようとしているようにすら見えます。
あるいは、人形の求めた少女感覚と、フィギュアが追究したキャラクター性のぶつかった中間地点。
●フィギュアという名の少女コレクション●
最初に紹介した「魍魎の匣」や「サイコ」のフィギュアは、やっぱり「フィギュア」だと思います。キャラクター性ありきですし。
しかしあのフィギュアからにじんでくる、何かを執拗に追い求めるような激しい執念がものすごく心を打つわけですよ。
美しい少女を箱に詰めておいておきたい、という感情は、人間の原初からある欲求の一つだと思います。
これだけ書くと「なんて非人道的な!」と言われそうですが、いわば美しい自然を額縁に納めたい、信仰する神様を形にしておきたい、というのと同じだと思います。
偶像なんです。
絵でも彫像でも、人形でもフィギュアでも、どこか根幹にその欲求は眠っている場合は多いと思います。どのような美しい少女像にするかは作者自身の選択になるのでバラバラですが、そのモチーフとなるものをアニメ・マンガなどのキャラクターから選び、題材にしているからこそ、美術品かと見まごうようなフィギュアもどんどん出てくるんでしょう。
ただし、二次創作という枠組みがあるから、どうしても美術品としてのハンコは押されづらいのですが。それでも、やっているベクトルはハンス・ベルメールと同じでしょう。
手元に少女の断片を置いておきたい、理想の少女を目の前に作りたい。
いわば人格を持たない、完全に客体化されたオブジェです。意志を持たず、動くこともままならない、ただ一方的に見られるために存在する彼女たち。だからこそ非常にエロティックです。
以前もちらっと書いたことがあるのですが、精巧に作られているフィギュアやドールを見て「ダッチワイフみたいなもの?」とか「これでオナニーするの?」とか言われたことがあります。
が、それは違うよと。
偶像だから。「触れられる」という禁忌を犯しているわけですが、触れつつも絶対その人形達の領域に自分は踏み込めない。はがゆい。そこが身もだえするほどにいいんです。自分の場合は。
その禁忌を犯すことに性的に興奮する人も実際にいると思います。それでいいと思います。先ほども書いたように、作り物が性的に興奮させるだけの力を持っているというのは、作家の注ぎ込んだ熱量の力そのものです。
ただ、それでもやはり偶像の向こう側に行くことはできません。
だからこそ、ひたすらにコレクション欲求が募り、とめどなく人形を、フィギュアをコレクションし続けてしまいます。
特殊な道筋を歩み始めている球体関節人形、異次元的なレベルにまで到達しながらも独自の美学を追究するフィギュア群。
澁澤龍彦が見たら、なんて言うんでしょうね。
ハンス・ベルメールが見たら…なんて言うんでしょう。
フィギュアもエロゲーもそうですが、18禁にしてしまうことで徹底的に表現出来るものはやはりありますね。商業エロマンガはそのへん難しさがありますが、同人も視野に入れると少女美追究に徹底した作品はやはりたくさんあると思います。そしてそれを貪るわたくし。
先ほどちらっと書いた「こどものじかん」については、色々思う所あるのでまた後日まとめてみます。
〜関連記事〜
写真の中に少女を閉じ込めて〜反逆する、作られた少女像〜
コレクション少女と、光を湛えた少女〜少女性イメージの描く二つの視点〜
この手はその少女に触れることが出来ないんだ。〜オタク世界の偶像少女達〜
「かわいいは怖い」。
神経に棲まう少女像を、「lain」から考えてみる。