たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

「かみあり」に見る、日本人の信心のカタチ

以前WEB拍手で教えてもらった「かみあり」なんですが、この作品の中に住みたい!と感じるいい世界ですねえ。
物語のテンポ、オチのリズム、キャラクターの性格などマンガとしても面白いんですが、それに加えて日本人の無宗教雑宗教的な意識が軽快に描かれているのが非常に楽しくてならないんですよ。
 

●やおよろず●

日本には何にでも神様がいる、という言い方をすると一瞬微妙に首を傾げそうになりますが、そのあと「あー、いるかもしらんなあ」と適当な考えになってしまいそうです。
というのも、一応はっきりした神様というのは存在していますが、そういう名前のあるものじゃなくてもアニミズム的に森羅万象に対して神様が存在する古神道的な考え方が存在するから。
特に使い古した物には神が宿るという九十九神の意識は、現代も生きていると思います。神様というよりも「物がかわいそう」「物が喜んでいる」などの擬人化に近い考え方です。

ちょっと分かりやすいシーンを引用してみました。
神無月は神様が全て出雲に集まる、ということは出雲は神在月として神様だらけになるはず、ですが、いかんせん日本のありとあらゆるものに神様が宿るのですから、その数たるや半端ではありません。
このへんは「かみちゅ!」などの作品でも描かれています。あちらもファミコンの神様など、とても現代的な神様がポップに描かれていました。
実際に九十九神になったか、と言われたらどうにも「?」ではあります。しかし「なんにでも神が宿る」というよりも、「なににでも人格が宿るように見える」という言い方だとわりとしっくりくるわけです。極端な話、カタチがないものであっても人格があるかのように扱うそんな日本人。
 

●宗教とかわりといい加減な感じで●

とはいえ、神社で祭られている神道では、厳密には万物に宿るほどの神様はいなかったりします。ここからここまで、という範囲があるんですよね、本当は。
しかし古神道神道がごちゃまぜになってしまっている上に、神仏集合で仏教徒もミックス。加えてキリスト教的思想や祝日もトッピングしてえらいこっちゃになっております。よく引き合いに出される「クリスマス祝って、大晦日祝って、正月祝う。」というのはなんとも日本人的な色をよく表しているもんですが、その他にも気づいたら実は由来があった…なんていう日常の一部はものすごく多いと思います。宗教的意味があるものも、今は意味がないアイテムになっている…そんないい加減さ。
ちょっと思いついたところでは、日本でもよくやる「乾杯」。これは中世ヨーロッパで、お酒には悪魔が宿っていて、飲むと悪魔が悪さをするので追い払うために行われた儀式です。とはいえ日本ではそんな意味も知らず、普通に乾杯しまくりですよね。
 
そもそも神道や一部の仏教の神様達も、海外由来のものが多くあるので、そこに境界線を引くのはむりっちゅうもんです。
たとえばこの人。

弁財天さん。
弁天様はヒンズー教サラスヴァティーと同じです。とりこまれたというか、応用したというか。
こんな感じで、今となっては意識の中でもっともっとバリエーションは増えています。
ここで話題になっている弁天様の裸神像はこれですね。
江ノ島の裸弁天 - Tomotubby’s Travel Blog
裸もありなのかー。セクハラですねー。セクハラか? 芸術というよりも秘宝館的なにおいがします。
弁天様をはじめ七福神は、今やマスコットキャラ扱い。行事の時にかわいらしい絵柄で描かれることもあれば、パチンコのキャラになったりとかも。
一応神様ですがもうなんでもありですな。
 
その柔軟な思考は逆に色々な作品群を産みました。
世界中の神様をモチーフにした物語の数々です。文学もあればゲームやアニメ・マンガのようなものまで。ありとあらゆるものに、ありとあらゆる神様が描かれます。
宗教によっては神様の形を作ることのないものもあるにもかかわらず、日本人の想像力はなんでも形にしてしまうんだからすごいもんです。
もちろん他の国でも、神話をモチーフにした作品というのはたくさんあります。モチーフにしたというよりも、共通のテーマのあうものを探していたら神話から離れられなかった、という結果論かもしれません。また、「女神転生」シリーズのように意図的にガンガン放り込んでいる作品も多いです。あそこまで神と悪魔とがごちゃ混ぜになって存在している作品は世界でも稀なんじゃないでしょうか。
「なぜ神様をモチーフに作品をつくるのか?」という疑問については、作者なりのかなり明快な解答が出ているので、読んでみてください。なかなか面白い発想でした。
 

●偶像とアイドル●

神様、というのは厳密に突き詰めると非常に難しいです。そもそも人間がわからないから神様なんじゃないかという気すらしますが、この作品では神様という存在を一言で仕切ってしまっています。もちろん、この作品内定義です。

「人の心 思い 願いを形づけた存在」

なるほど、こう切り取ると分かりやすいです。
数多くの人に信仰される創造主も神様、近くにあって大事にしていた物も神様、お金も神様、お客様も神様、アイドルも神様。なんでも「人の心」が集まっていれば神様です。
だからこんなのもアリですアリアリです。

萌える観世音菩薩☆
「ねーよ!」と突っ込みたくなるところですが、そもそも仏教神道の神様仏様ははるか昔から、分かりやすいように、かつ人に馴染みやすいようにパロディ化されてきています。
最近ではマンガ「聖☆おにいさん」が、ブッダとキリストが仲良くする俗っぽい世界観で話題になりましたが、多分探したら神様の衣装を着たキティちゃんとかいっぱいあると思います。
 
加えて、昨今の「萌え」の偶像化は、元々形のない神様の偶像化とも非常によく似ています。
イラストとか、フィギュアとか、です。
本田透氏は「フィギュアは現在の偶像」という話をしていましたが、いやはや全くもって。「アイドル」だって語源は偶像なわけですから、二次元のキャラクターや実在のアイドルがもてはやされて偶像のようになるのも、もっともなことです。
一応昔から強く信仰されている観世音菩薩像とコレは別物。名前は同じで視点が異なるとこうなる、という例です。なのでこの作品の中では、キャラクター化された一時的な娯楽から産まれた神様を流行神と呼んで切り分けています。さすがに同じにするわけには行きません。民俗学的にも特定の時期に一過性で取りだたされる神様のことを実際こう呼んで研究されているそうです。
いわば、元祖(真の元祖なんて形ないんですが)が原作とするなら、その後に作られた偶像やキャラクターは二次創作、というわけです。
確かに仏師の作る仏様は、本物を見たわけではないので偶像。今のデザイナーがキャラクターにしちゃっているのも偶像。全部二次創作。だけど全部神様扱い。この切り取り方はよくできている上に分かりやすいなあ。

新しい神様は常に産まれ続けていますが(九十九神的に)、今まであった神様が変幻し続けているのも事実。
外国でも北欧神話などはネタにされやすいので、数多く流行神はあるわけですが、日本の多さはひょっとしたらダントツかもしれません。あんまり宗教に対して宗教だと思っていないゆるい考え方があるから、なんでしょうね。
 

●神様のいる日常●

神様の意味を、上記に挙げた「人の心の形」とするならば、日常的に神様は側にいることになります。
とはいえ、見えません。当然。
それが見えるようになっているのがこの作品。

ヒロインの二人、左のマイペースな関西人幸子と、真面目で苦労人のエミがその日常をほわほわと暮らしていくのがこの作品。萌えマンガというよりも、非日常な日常を楽しむマンガです。
なにせ、この世界居心地がいい!ヒロインの個性が強いせいもあるのですが、とにかく出てくる神様が「オリジナル」じゃないことが多いのですごい俗っぽいわけですよ。ほんと、通りすがりに神様がいたよ、というレベル。怒りもすれば笑いも泣きも嫉妬もします。ゲームに夢中になったりもします。
神様が人を産み、人の心が神様を産んだ。そんな共存関係だからこその心地よさ。加えてノスタルジィに浸るだけではなくて、現在のオタク文化が産んだ二次創作の流行神がわんさか出てくるので、そのへんもちょっと「あいたた」な感じで楽しめます。
 
ほんと、厳密ではない意味の「神様」って、その人ごとにたくさんありそうです。今も何万体と発生していそう。
それこそ恋愛に没頭したり、食べることに執着するのも神様みたいなもんですし(あるいは悪魔?)。
オタク文化的にはそうだなあ…エヴァの神様くらいならいそうな気がするんですがどうなんでしょ。
 

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のほほんとした世界に世界中の神様が入ってきてどたばたする様を、きちんと説明しているのがこの作品のすごいところだと思います。なるほど確かにそういう神様もあるわな、と。
作者さんは漫才がお好きなのか、非常に1話のテンポが軽快で、オチも決めてきます。この話作りにのってくる神様達の関西人っぷりがステキ。
なにはともあれ自分基準でほにゃほにゃ動いちゃう幸子がかわいいのなんの。順応はやそうねー。
あらためて、比較しながら見る意味でも「かみちゅ!」はもし見ていない人がいたら必見です。ボケツッコミメインな「かみあり」と比べるともっとまったり、恋愛要素もふくみながら青春しております。いいよーいいよー。