たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

「マイマイ新子と千年の魔法」を迷わず見に行ってほしいんですよ!!!!

マイマイ新子と千年の魔法」見てきました。

「マイマイ新子と千年の魔法」公式サイト(2009年公開映画)

えーと、見に行った動機はすっごい不純でした。
名作劇場の女の子がすげー好きなわけですよ自分。ナンとか。ジャッキーとか。カトリとか。アンネットとか。だからとりあえず絵を見たときにロリコン的な魂がうずいて、「この生脚は見に行かねばなるまい」と思って突貫しにいきました。事前情報もあんまりないので「なんか子供向けの、文部省的な『いい』映画なんだべなー」くらいの気持ちで。なんか教育的なのかなーと。
「感動の」とか「名作の」とかが宣伝文句につくと一気にひねくれた見方しかできなくなるスレた映画の見方をしてきた結果が、こういう思い込みだよ!
 
いやあ、全く持ってとんでもないですわ。
この映画、話題にならないのおかしいだろう…。
何かと比較しても仕方ないんですが、アニメのクオリティ、ストーリー、描写力、ともに宮崎アニメと同じくらいのレベルで話題になっていい、とんでもない作品ですよこれ。
子供向けアニメじゃないだろう?! 思いっきり大人向けじゃあないか!?
 
決して「昔はよかったね」という懐古主義的なものでもない。
「感動の超大作」という名前を付けるのも違う。お涙頂戴な作りじゃない。マナー正しいよい子ちゃんの姿でもない。なんちゃってジブリでもない。
子供達が裸足で地面踏みしめながら生きている世界と、ぶちあたる現実の強烈な壁を描いた、人間の心の奥底を「いい」「悪い」含めて色々な意味でほじくるどえらい作品じゃないか。
Twitterでpencroftさんが書かれていたこんな言葉に、心から同意します。

マイマイ新子は日本映画史/世界アニメ史において「事件」なのですが、それをどう伝えればよいのか困ります。

そう、この作品は「事件」だと思う。洒落にならないほどの事件だ。
自分は絶対面白いと思う。確信してる。でもそれをどう伝えればいいかすっごく、すーっごく難しい!
ただ、この作品を見ないのはものすごい損失なんじゃないか?と自分は信じたので、必死になって何か書いてみます。胡散臭いこと書いてるなーと思ってもいいです、それで見に行っていただけるのなら! 
 

●1、徹底した子供の目線●

この作品のすごい点の一つは、徹底して子供の目の高さで描かれているところです。
文字通りカメラの位置が子供の目の高さ。むしろそれよりちょっと低いくらい。
大人が見ている「世界」と、子供の見ている「世界」って全然違うんです。高さが違うだけで見え方が全く違う。それをきっちりと描き分けています。子供にしか見えない世界に入るには、子供の目線にあわせなければいけません。
 
主人公は、おでこにつむじがあっていつもピンと髪の毛が立っているのがめんこい新子と、東京からの転校生の少女貴伊子。
絵柄的に対称的な二人。新子は田舎臭さ丸出しで、明朗快活元気の塊みたいな女の子です。一方貴伊子はおしとやかで物静かで少し内気。
ここだけ見ると一見、新子が貴伊子を引っ張っていく、というよくある話にも見えますが、子供の世界ってそんな単純じゃないわけですよ。

パンフレットより。
確かに明るい新子はすぐに貴伊子に興味を持ちます。とはいえいくら明るくて元気な子でも、躊躇とか、未知な世界への距離感とか、子供ながら二思っているより複雑な気持ちが沸く物です。何も考えていないようで、すごく気を遣っているんです。
貴伊子も気が弱そうでいて、初めて学校に来るとき精一杯の虚勢を張ります。初めての登校日、学校に香水付けて行っちゃったりします。そんな絵に描いたような流されるだけの「弱い子」じゃない、色々理由とかをもって、考えて行動しています。
子供の社会も、色々な子との人間関係が複雑に入り組み合って出来ています。私とあなただけ仲良ければいい、というわけではないです。お父さんとお母さんに甘えて…ともいきません。
 
けれども、子供には一つ才能があります。ありとあらゆるものを楽しむ、という才能です。
新子は都会から来た貴伊子の未知の世界に、圧倒されるし驚いたり憧れたりもします。氷を使った冷蔵庫を使用していた時代に、機械(ガス)式の冷蔵庫を使っているだけで驚きなのです。
でも新子は自分の住んでいる田舎を、すっごく誇りに思って楽しんでいるんです。もう嬉しそうに自慢するんです自分の住んでいる所のことを!
彼女の目線から見た山口県の田舎の町は、無限の可能性を秘めたフロンティアなんです。大人は「何も無いところ」と言うけれど、新子はそんなこと全然思っていない。彼女の小さな体には、この町は大きすぎるし、楽しいことが山盛りなんです。
目線が子供の低い位置に据えられているこの作品、子供時代に見た世界の輝きの追体験が出来ます。ぎっしりと描きこまれた情報量の多い背景の中を、新子と貴伊子は大冒険するように駆け回ります。

時折、急にアングルが俯瞰にかわることがあります。その視点はまるで、子供達をそっと見守る、何千年も生きていたこの土地の目です。
子供達を、そしてたくさんの人々や生きとし生けるものの死を見守ってきた、そんな目。
 

●2、空想が現実になる世界●

新子はとびっきりの空想家です。赤毛のアンみたいなものですね。アンよりさらにおてんばですが。
舞台になっているのが山口県の周防の国。1000年前には大きな屋敷もあったそんな土地です。彼女は1000年前にいたであろう少女を空想します。その空想は大人目線で見たならば確かに子供っぽいものですが、映画自体が子供目線で捕らえているので、「空想」も「現実」と何ら変わらないんです。そこにある、あった、と思えば、あるんです。
時代がクロスオーバーし、平安の都と新子達のいる世界が入り交じる描写が実に見事。「魔法」というにはいささか和風ですが、空想によって生まれる世界はなるほど魔法みたいなもんだ。
 
子供の頃、現実よりも大事なものとして空想した何か、人それぞれあると思います。いわばごっこ遊びの延長です。「無いものを演じる」なんて面倒臭いこと考えません。ある、と思ったらある。それで十分じゃないか。
新子と貴伊子の目が見ている世界には、それは「ある」んです。あると信じられたときに、世界のなんと輝いている事よ。どこまでも広がる楽しい世界が、スクリーンいっぱいに広がります。子供の頃見ていた楽しい世界のビジョンが、きちんと形になって残された、それだけでこの作品の価値は存分にあると思います。

彼女らが思い浮かべた平安の時代のお姫様が、奇しくも世界に名を残す「この世界を楽しむ術を知っている女流作家」になろうとは、彼女たちも思っていないはず。
もっとも大事なのは有名かどうかではなく、彼女たちがその子のことを見つけられるかどうか、です。
しかし、子供らしい思いと行動は「心温まる」なんて言いたくなっちゃう部分ですが、世の中そんなに甘くない。
 

●3、「昔はよかった」ではない●

舞台は昭和30年。
懐かしのアイテムがてんこ盛りで出てきます。なのでその時代を知っている人にはより楽しいのは間違いないでしょう。
しかし、この作品懐古主義で出来ていません。「今この瞬間」を生きている彼女たちにスポットを当てています。
そもそも「人間が住む場所」というのは今も昔も変わらないわけで、今から1000年前にだってその土地で楽しんで生きていた人もいるんです。加えて1000年後にこの土地に生きている人が、自分達のことを、今自分達がしているように夢想することだってあるはずです。
 
ノスタルジックが産む感動って絶対ありますが、懐古主義にしがみついたのでは作品もそれなりのもので止まってしまいます。新子と貴伊子が出会った、というのは時間の流れの一環に過ぎません。その後二人が永遠の時間を過ごせるわけじゃない。時間はどんどん流れて、いいことも悪いこともひっくりめて動いていきます。
その全てが、実際に起きている事実。
 
この捉え方の独特な描写が何せすごい。前半はキラキラ輝くような空想世界と田舎の光景が広がるのですが、楽しいだけじゃない世界が後半怒濤のように押し寄せてきます。今苦しいことがあるように、この時代も苦しいことはある。1000年前だってあった。だから「いつがいい」じゃなくて、いつだって変わらないんですよ。
あるのは、起きた事実と信じる気持ちだけ。眩い生も、どんよりした死も行きつ、流れつ。
 

●4、現実の不条理でどうにもならない壁●

新子は基本的に前向きで活発な子です。彼女と貴伊子がニコニコしながら幸せな日々を送るだけでも、きっと作品としては面白かったでしょう。
しかし子供達が笑顔でいる間にも、現実は非情に流れていきます。
大人が子供達を守っているから、あまり非情は子供には及びません。それでも大人の都合で壊れてしまう子供達の日常も存在します。どうしようもない、諦めるしかない出来事だってやはりあるんです。
世界ってきれいだよね? 世界って楽しいよね?
そう信じたいのに、さっくり裏切られる。
切ない、と言う言葉では言い切れないような絶望と虚無感は、大人になるまでの間に誰しも味わうものです。その挫折の記憶を突いてくるようなギャップと、本当にどうにも自分達には出来ない状況が襲ってくる様は圧巻。子供が想像していた「恐ろしいこと」よりも遙かに理解の出来ない薄暗くてドロっとした世界が、実際にはあるんだ。そんなことを妥協一切無しにきっちり描いてきます。そして何より、恐ろしいほど明るく光り輝いている世界なのに、死の匂いがぷんぷんしている。
 
このへんが子供だましじゃない、本作品のすごいところだと思います。子供や大人の境目ではない、人間の根源にある強烈な虚無感に指を伸ばしてくるんですよ。絶望してしまいそうになるほどの深淵を覗き込みそうになるんですよ。
子供時代は、いつか終わりが来るんだ。
 

●5、裸足でしっかりと歩けよ●

この作品に出てくる子供達は、みんな裸足です。裸足でしっかりと大地を踏みしめて駆け回ります。学校のシーンなんかは全部裸足なのも、今となっては逆に新鮮。
貴伊子は最初、裸足で歩いてすっごく痛がるんですよ。そりゃそうです靴履いてないわけですし。でもそのうち、みんなと一緒に慣れていきます。
裸足で歩くってことは、その場所の生の状態をそのまま受け入れると言うことです。
同じように、住んでいる場所の幸せを体一杯に受け止めるし、同時にそこに起こりうる恐ろしい出来事もストレートにたたき込まれることになります。土の感触はあったかいけれども時には痛い。
観客は、丁寧に描かれたこの作品を見ることで、自然に裸足になります。彼女たちと同じように、楽しいことも苦しいこともいっぺんに味わうことになります。
 
正義がどうのこうのとか、子供らしさがどうのとか、そういう理屈じゃ通らないものがいっぱい詰まってるんですよこの映画。
楽しい!と感じるものはすごく楽しいし、どうにもできないことも襲ってくる。そういう事実が何もかもひっくるめて映画の中に詰まっているんです。
もちろん新子と貴伊子の気持ちを通じてそれを見ているので、基本的には新子視点で体感することになりますが、出てくる人間全員の思いが決しておろそかにされていません。全ての人間、大人も子供も合わせての感情や心の機微が背景や小さなカットにびーっちり詰まっています。「正解かそうではないか」も含めてひたすらに詰まっているからすごいんですよ。無理な着地点はないし、答えもすべて観客にゆだねられます。
ラストのシーン、色々な感情や思いや、そして信じてきた空想の世界を背負って、大量の物が観客に投げかけられます。それをどう受け取るかは各自次第ですが、何かしら感じるところは絶対あるはずです。
 

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物語が非常に緻密に作られている作品なんですが、アニメーションの技術も半端じゃないです。
昭和30年代の「普通の生活」をそのまま描き出す丁寧な日常描写だけで、結構クる人多いんじゃないかと思います。都会っ子だった人は貴伊子の視点で、田舎っ子だった人は新子の視点で。年齢は違えども、丁寧に描かれた日常は人の心を刺激します。
日常のものが普通に動く、ってアニメを作る場合、もっとも難しいものの一つなんじゃないかなあ。
 
また、人工物への描写のこだわりがそのままストーリーに絡んでくる構成も面白いところ。
たとえば川が用水路になっているのを背景できっちり描いているんですが、それが1000年前の都市計画の名残であることをほのめかすことで、新子の空想がより一層リアルになるんですよ。またそこのたたら場で鉄をひたすら作り続けていた人達の偉大さがあるから、今のこの土地があるんです。
自然は確かに素晴らしいけれども、その中で生きるために努力してきた人間の人工物の尊さをも描き出しているから、この作品はすごい。
 
はて、監督はtwitterでこう書いています。
Twitter / 片渕須直

社長は「今映画館がガラガラでも全然怖くない、千年後に売れてればいい」というのですが、もう少し早めに売れてて欲しいです。

うん、これだけしっかりしていたら評価する人は絶対沢山いるはずでしょう。
いるはずでしょうけれども、1000年後じゃちょっと切ないよ!
自分もかなり遅くなってから(しかも不純な動機で)見に行った側なのですが、これがスルーされてしまって、見ないで過ごしてしまうのはあまりにももったいない。正直題名と宣伝の仕方で損をしている気がするんですが(その分見た時の反動がでかくて強烈なんだけども!)そういうのに、いっそスラッと騙されてでも見に行った方がいいです。
 
とりあえず今日は12月1日。映画の日ですよ。
もう勢いにまかせて見に行ってほしいです!
いかんせんぱっと見が地味で、キャッチーな生き物も出てこないので印象が薄くなってしまうのですが、見れば伝わるタイプの作品だと思うので、是非今見られる人は見に行ってください。ほんと。まじで。1000年後じゃ遅いよ・・・!
 

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余談。
大人視点も途中少しだけ混ざるのですが、その描写は片淵須直監督の作品「BLACK LAGOON」を彷彿とさせます。そういう見方で見に行くのもありではないかと。


多分、一番クるのは、「名作劇場」を見て育って、その上で色々な酸いも甘いも経験した大人の人達じゃないかなと思います。こう書くとうさんくさくなるかもですが、えらい鳩尾にずっしり来てしまって後半涙ダダ流しでした。あかんのよ、子供が成長する過程で何かに翻弄されるとかほんとダメなのよ!
もうすぐ公開の終わる場所、まだ公開されていない場所等あると思いますが、今の内に是非!
 
〜関連リンク〜
一部の記事は致命的なネタバレもあるので、注意! もう見終わった人はインタビューやメイキングは必見。
asahi.com(朝日新聞社):映画「マイマイ新子と千年の魔法」 片渕須直監督にきく - マンガ+ - 映画・音楽・芸能
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■マイマイ新子、6回目と7回目■: 550 miles to the Future
【サブカルちゃんねる】劇場アニメ「マイマイ新子と千年の魔法」が見せる魔法
WEBアニメスタイル | 【artwork】『マイマイ新子と千年の魔法』第1回 イメージボード(1)
メイキング・オブ・マイマイ新子
プレセペ特集[マイマイ新子と千年の魔法]
超映画批評『マイマイ新子と千年の魔法』70点(100点満点中)

マイマイ新子と千年の魔法』は、たぶん興行的には相当厳しいのではないかと心配している。
なぜならこのアニメーション作品は、その良さを理解してくれるであろう対象年齢層が非常に高いためだ。はたしてそうした人々に、適切なプロモーションを行っていけるか。
(中略)
批評家としては一番まずい事なのだが、この映画で私は大いに感動したものの、その理由がわからないという状況に陥った。つまり、説明はできないが、とにかく心を打たれたのである。

ほんとそんな気がする…。子供向けですよ!ってあんまり言わない方がよい作品かもしれないです。子供もシンクロして楽しめると思うけど、うーん、途中分からなくなってしまうかもしれません。
とりあえずもう一度見に行こう…だめだ、一回でどうこうスッキリできる作品じゃなさすぎる。
 

ニコニコだと原撮がアップされていて、非常に貴重な映像だと思うので、アニメ好きの方は是非。
 

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