たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

わんこ系少女達が溢れる「チュー学生日記」から見る、エロとシチュエーションのバランス感

エロマンガの話なので収納なのですよー。
 
 

岡田コウ先生の「チュー学生日記」は本当にダイレクトに心のかゆいところに手が届くいい漫画ですねえ。
一作目の「恋するぱんつ」よりも年齢層的には上なので、中○生ゾーンが好きなロリゾーンはもちろん、楽しめます(個人的にはもうちょっと年齢低いのも読みたいけど!)。
で、今回ロリ属性がそこまでない人でも楽しめる出来になっています。
というのも、エロマンガとしての作りがちょっとテクニカル・・・いい意味で伝統的だからです。
 

●わんこ系彼女●

前半は、タイプの違う学生二人に好かれるというドリーミンな中編「ぬくもりを」。
片方のヒロイン森川がもーんのすごくかわいいんですよ。
一言で言えばわんこ。
本当に犬なわけではないです。
こればっかりは100の言葉よりも1つの絵。このカットを見ていただけば一目瞭然ですね。

超わんこです。心の目で耳が見える。
掛け値なしに人を慕い、ただひたすらに側にいたいと願い、一緒にいるときは難しいことを考えず心の底から嬉しさを表現する。
まさに「わんこ」な森川、最初読み始めるとなんか裏があるんじゃないか、なにか計算があるんじゃないかとすら汚い大人の自分は考えてしまうのですが、一切ないです。
純粋も純粋。
そもそも、こんな目されたらねえ・・・信じるしかないですよ、そうでしょう?
 
色々物語的な計算を読者側がしていけば、穿った見方ではありますが、非常に抜けている子なのも事実なんです。
おばかさんなわけではないです。でも「このテンポで大丈夫なんだろうか?」という危うさはあります。
 
エロマンガにおいて、その危うさは実はとんでもない武器。
これは漠然とした考えでしかないんですが、エロを描写する時って、非日常か、日常的かの二つに分かれると思うのです。
だけど、ファンタジーなだけじゃ実感がわかないから物足りないし、日常的なだけでは漫画としての楽しさがない。
この作品自体はどちらかといえばリアル日常寄りですが、起きていることはちょっと性的に非日常です。
その綱渡りのバランスぎりぎりを攻めて行けば行くほど、エロくなる。リアルに振りすぎず、極端なファンタジーでもない、現実味のある一滴と、ほんのちょっとの危うさが、人間の内部にある「性」の感覚に働きかけます。
 
森川の存在って、一見「都合がいい」キャラに見えますが、実際はそれだけではないです。
もちろん、ここでこうしてくれたら俺死んじゃうくらい嬉しい、というのをうまーく掬っているのですが。

彼女自身もまた、本当に先生が好きで好きで仕方なくて、止められない事を理解しています。どうするべきなのか分からず苦しんですらいます。
傍から見ると良い子オブ良い子なのですが、良い子であるがゆえに「やよいちゃんの心配する振りなんかして、先生とのきっかけがほしかっただけなんだ。ウソツキなのは私の方」と自己嫌悪に陥ったりします。
「わんこ」系キャラであるがゆえに、嫉妬もものすごいんですよ。
ここが一滴のリアル。
そして、嫉妬も複雑になりそうな事情も全部飲み込んでしまうほどの非常識な関係を許容してしまう、むしろそれを望んでしまう。
これが一滴のファンタジー。
 

●読者と作者の望んでいるもの●

ものすごくほどいて書くと、話自体は森川と野島(やよい)の二人が先生のことを好きになってしまうという三角関係もの。
ポイントになるのは野島と森川がある面においては極めて対極の存在なのに、逆の面では非常に似ていることです。

また野島がかわいいんですよ・・・。
ツンデレのテンプレートのようにすら思える台詞が、物語を読んでみるとそう言わざるをえないだろうなと感じさせるタイミングで入っているバランス感覚が非常に絶妙です。
 
そう、読者的には「ツンデレ」って性癖として非常ーーーーーにありがたいわけですよ。少なくともぼくはすきだね!
しかし通り一辺倒にしてしまっては本当に消費しておわりになってしまいます。
エロさを生かすためにその属性を活かしながら、いかにしてキャラクターの自我をも大事にしてイキイキとのびのびと動かすか。
やっぱりキャラクターが自らの意思をもって、恋や愛という動機を元に行動するほうがエロいわけですよ。漫画というメディアで物語をつづるわけですもの。
 
森川は暴走突進型のわんこキャラですが、野島は引いて構える側のわんこキャラ。
ねこキャラに近い感じもしますが、離れた位置でこちらをもの欲しげについ見つめて寂しそうな目をしているあたり、根っこは同じです。アプローチの仕方が違うというか。
うまい具合に読者が欲するであろうものと、作者側の描きたいものの曲線の交わったところを引き出しています。作者自身、あとがきで本当は野島はつり目キャラにするはずだったけどもワンコみたいな娘っこになったと書かれていますね。
表紙が森川ではなく野島になってしまうほどに、野島のキャラは危ういバランス感覚で研ぎ澄まされたキャラです。そんな女の子が様子をチラチラうかがいながら覗き込んでくるのですもの、エロい気分にならないわけがない。
 

●結論ではなく、何が起きているかに興奮するベクトル。●

物語であるからには何らかのオチが欲しい、と願うのは人間のパターン心理の一つだと思います。
色々読み知ったことだからこそ、当然こうなるであろう、という刷り込みがあります。そこにストンと納得のいく結末があったり、あるはとんでもない逆転があると、傑作として語り継がれることもあるかもしれません。
ところがそのオチを削ってあえて描かない手法もまた存在します。「どうなったのか」が分からない。
物語的には不完全燃焼を引き起こしかねない難しいテクニックだと思いますが、これってうまく利用すれば、非常にセクシャルになります。
 

この作品集、前半はもうイチャイチャラブラブな三角関係を描いているのですが、後半の「メジルシ」はなんと寝取られもの。なので寝取られ系が苦手な方は要注意です。ですが、寝取られにこれで目覚める人もいるんじゃないか?とすら感じさせる描写力でした。
見ての通り、すっごい妹ちゃんかわいいのですよ。しかもこの二人のえっちシーンのまあー濃いこと濃いこと。一回のえっちのページ数がものすごく多いため非常にねちっこい、というのもありますし、ストーリーの流れをうまくシチュエーションに組み込んでいるためそこにもぐりこんでしまう心理にシンクロしちゃうんです。男性は男性キャラに・・・だけではなく、この少女の心理にも。
正直この作品、自分は寝取られる流れとその後の後日談まで含めて、少女側に感情移入して激しく興奮しました。
 
で、結論はないんですよ。
納得の行く一つの結末にたどり着こうとしません。

一番この漫画で重要なのは、おそらく「少女が寝取られ困惑する」「その後に兄を不安になりながら欲する」「事実は兄には明かされない」という強烈なシチュエーションです。徹底的にこの背徳感と、寝取られ後のエッチがいかにドキドキするかを描くことに力が注ぎ込まれています。
あるのは、少女が拒みきれなかったという「事実」。
その事実こそが最大の調味料として作用しています。
 
エロマンガはオチらしいオチがないことが多々あります。
それは物語と、読者の興奮を誘うシチュエーションのバランスが持ってきた結果で、何とも言えない後味の悪さやモヤモヤとして歯切れの悪さに興奮する人間の心理をすくい上げるテクニックの一つです。
前半の「ぬくもりを」も、すっきり落ちているようで実はモヤモヤしたものがわざと残されていたりします。そもそもこの後この関係はどうなるのか?答えは全て読者側に託されます。あとがき漫画的なもので後日談も描かれていますが、非常識な関係が性と軸とした関係で保たれている不安定さもまた感じられます。
だが、その不安定さが・・・エロい。
 
先程も書いたように、エロマンガはリアルとファンタジーのバランスの調節が必要になります。
それは性行為の最中の浮世離れした感覚を追求した結果でもあります。とことんまで感覚的にはリアルに、しかし起きている出来事的には非日常的に。
どちらの作品も、少女達が感じる極めてリアリティのある心理状態を丁寧に極限まで描きながら、とことんまで突き詰めて性の刹那の快楽を描いているからこそ、最高潮のエロさと興奮を引き出すことに成功しているように感じます。
 
ほんとに曲線と曲線がぶつかったところをうまく拾い上げた作品集です。
ああ、自分も森川と野島に挟まれたい。
 

「好き!好き!好き!」という作品ももちろん好きですが、なんらかの障害があったほうが燃え上がっちゃうんですよねえ。その障壁の高さの差こそあれども。
それにしても岡田コウ先生のわんこ系少女は、一貫してめんこいですね。「恋するぱんつ」の「おおおっ、来た来た来たキター!」というシーンは、別にえっちシーンじゃないし自分が女じゃないというのに、女性的に感じている感覚を疑似体験出来ていつも大変なことになります。
 

MONOGUSA(岡田コウ先生オフィシャル)

ヘドバンしながらエロ漫画!  岡田コウ『チュー学生日記』
まんがさんぽ  ■チュー学生日記 (岡田コウ)

どことない緊張感がふとした一言で崩れる際が秀逸。

いやーほんとね。そのある一言がもう、たまらないほどに素晴らしい。
ちなみに小冊子がついているところもあります。小冊子は作中キャラ達が出てきて、そんな性に流される少女達を客観的に見た、ちょっと淋しげな味のある話になっています。
ものすごく主観的な描写もうまいけど、こういう客観的な視線の使い方も本当に見事すぎて、その結論全部を読者に委ねられる感覚が強烈です。