たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

楽しいを共感できる、そんな私たちの青春!「チェルシー」2巻

女子高生よ、3分の舞台のために輝け!「チェルシー」

ぬあー!
チェルシー、二巻で終わりなのか!!!
短いよ!もっと見たかったよ!
でも、確かにここで終わるのは正解でもある。これはなんとも読んだ後に残るものが半端じゃなくでかい!
逆に言えば二冊で読めるので、人に薦めやすい作品でもありますね。
本当に面白い、「お笑い」を目指す女子高生4コマ。萌え系だと思ったらデコピンくらうようなかなりガチな良作だと思います。
ただ、最初に書いておきますが、密度がものっすごく濃いので、気楽に読める4コマを期待しているとボリュームに圧倒されると思います。物語密度とギャグ密度がぎっちぎちにつまってます。キャラクター数も多いので、何度かカラーページのキャラ表を見ながら確認していくことも必要になります。とは言っても性格の描き分け上手いので、読んでたらすぐに覚えられます。
読み慣れていないと、とにかく読むのに時間がかかります。ボリュームがある、といういい意味で。
しかしそれぞれのキャラがきちんと行動をし、全員が自らの道を歩み動いている。非常に優れた群像劇になっています。
なんといっても、彼女たちは全てを手に入れないのがいい。
青春って、万能じゃないんだよ。
 

●広がる世界●

一巻ではかなーりいい加減な道筋で「お笑いやろう!」と決まって、4人組の「チェルシー」が結成されます。
学園祭ではライブが行われ、きちんとチームとして「お笑い」をやりはじめるところまで進むのが一巻。
ところが一巻の時点で、かなり結束しているように見えて実は色々なところで破綻しています。
割と4人とも全力でネタ作ったり練習したりしているんですが、負けるときは負けるんですよ。
彼女たちもスポコンじゃないし、時に手を抜いたりもする。
それでも「努力」を努力と思わず楽しんでいるからこそ、この4人は輝き始めます。
たった3分かそこらの時間のために。ねえ。
 
リーダーで突進爆死型のユキ、メガネのツッコミユウ、超絶天然お笑い体質サチ、お笑いに向いてない引っ込みじあんのシノブの4人で結成された「チェルシー」。最初はこの内輪から始まります。なんせユキの思いつきではじめたことですし。
しかしそれは徐々に輪を広げていきます。クラスで、学校の舞台で披露されます。
そしてさらに外に、第三者に魅せる立場に回ります。
お笑いなんだから、当然見てもらわなければいけない。
と同時に、見せる人間側も他にもたくさんいる。ライバルです。ここで一気に人間関係が外向きに広がっていきます。
 
極めて外側に向いているオープンな作品だと思います。自分の輪に絶対閉じこもらないし、外野視点も描いているので彼女たち4人が面白いかどうかを見る観客の位置に読者は据えられます。
こうかくと「じゃあ他人事じゃん」と感じるかもしれないんですが、この作品のすごいところは外野からの視点なのに、彼女たちに共感できるところです。
全体を読んで初めて分かる感覚なので非常に言葉では説明しづらいんですが、たとえば。

中盤から出てくる、チェルシーのライバル役になる「ロッキン雅」という女子高生お笑いユニットがいます。
最初のうちは本当にライバルで脚を引っ張り合うんですが、気づけばこんな熱い関係に。
でも「イイハナシダナー」で終わらせない。その下のコマのように「お前ら恥ずかしいよ」と。
テンションがすぐにあがるユキと、それを遠くから見守る視点両方が盛り込まれていて、カチカチと切り替わるのです。
「青春ねぇ」と言っているのはロッキン雅側の相方、歌子。
このぽっちゃりした子が非常ーに重要な読者視点を代弁しているので、気にしながら読んでみると面白いです。
 

●お笑いの道は険しいけれど。●


お笑いの事務所にて。
今までは内輪でごたごたやっていたからいいけれど、こういうドロドロもさらっと描くんですよ。芸人の上下の世界は怖いね。
だが、これが現実だ。
 
じゃあこの話は生々しいお笑いの世界を描いているか、というとそれはNO。
違うんですよ。確かにところどころ生々しいんです。
でもその険しい部分すらも、チェルシーの面々は楽しんでいるんですよ。
この感覚が、努力を努力と思わない、楽しいことのためならいくらでも笑顔で楽しめるというポジティブな思考になっていきます。
熱血じゃあない。けれど熱血な人と同じ地点まで、笑顔で駆け上がっていく。これがチェルシーの魅力。
 
ほんと、最初にも書きましたが思い通りにはいかないんですよこの作品。
そもそも「思い通り」ってなんだろう?
勝つこと? スターになること? お笑いの頂点に立つこと?
それは大事です。とても真剣に大事なことです。
しかしチェルシーの見ているものってそこじゃないんですよね。
そもそも彼女たちのお笑いの思考は、「笑ってもらうため」じゃない、「共感したい」なんです。
一巻の時に引用した会話をここでまた。

「傍から見たら意味わかんなくて、何が面白いの?ってことかもしれないけど、私たちの中ではすごく面白いこととかってあるよねー」
「そうだなあ」
「その『おもしろさ』を自分たちの中で終わらせないで、見てる人たちに伝える作業…共感してもらう作業。それがお笑いだと思うんだよね私は! 絶対楽しいよ!共感してもらえたら!」

この結論自体は賛否両論あると思いますが、こういう考え方をする子がいても、面白いですよ。

特にメインヒロインのユキの突っ走り方の根底は全てここなんです。
楽しいことしたい。その楽しいがみんなに伝染したらいい。
だからぶっちゃけ、勝ちとか負けとか二の次なんですよ。
まーこの考え方だったら、「お笑いの頂点」には立てないですね。
でも逆に考えたら、「共感することを楽しみたい」という人がお笑いの頂点に立つことが「思い通り」とは到底思えません。

楽しい、その思いが内側の、自分たちだけのものになっていない。
かといって外側向けのためになりふり構わず身を捨てるわけでもない。
「自分が楽しくありたい」「みんなと共感しあいたい」この二つが揺ぎ無いベースとしてあります。
 
結論として彼女たちが向かう先は、結構意外、それでいて結構なるほどな地点です。
そういう意味で、読み終わった後にものすごくいろんなものがこみ上げてくるんですよね。
「本当にいいの?それでいいの?」という思いも。
「それでこそ青春だ、まだまだ思いついたままに今を生きろ!」という思いも。
これはすべて読者に託されます。読者がチェルシーの子達と共感した時間を通じて、どう感じるかは自由。
きれいに全てをまとめるタイプの作品ではなく、余韻がものすごく残るからこそ、非常に面白いんです。
 
正直、チェルシーの3年生の生活も見てみたかったです。
ロッキン雅の活躍も見てみたかったです。
さらに学園祭で何をするのかも、クラスでどんなキャラを演じるのかも、チェルシーとして次に何をするのかもみたいです。
でも描かれない。ここで終わり。卒業エンドじゃないから逆に想像力かきたてられます。
チェルシーはまた、お笑いの事務所に入って頑張ろうとするのか?
思いつくまま風のふくままに進むのか?
それも読者の想像次第。
この終わり方まとめ方は本当に異質。打ち切り的な終わり方でもなく、ちゃんと彼女たちの今後の生き方の続きを匂わせつつ、しっかり思考の方向性が最初から比べて成長しています。
「今」を生き続ける少女達の「楽しい」探しの旅、またの名を「青春」は、まだまだ終わらない。
 

ほんと読み終わった後の余韻のでかさがハンパないよ!
この続き読みたい!と思いつつも、これ以上描くと蛇足にも見えるんですよ。だからもう、モヤモヤが止まりません。彼女たちの選んだ結論、選び続けている今、きっちりしたオチではなく曖昧な感覚によって選ばれる道筋。この感覚は4コママンガとしてはかなり異質だと思います。でも曖昧なことって一番現実には多いんだよなあ、と思い返しながら、チェルシーのメンツの「楽しい」に共感できる本当にすごい作品。
シバユウスケ先生の次の作品が楽しみでなりません。同時に、4コマの新しい「曖昧を楽しむ」感覚の世界を垣間見た、というのは言い過ぎではないと確信できる作品です。きらら系4コマは「中身がない」と見える場合がありますが、「中身がない」んじゃなくて「瞬間を生きている」だけなんだよと。中身は後から着いてくるぞと。実際「チェルシー」はかなり実のある作品だと思います。