たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

そのまま突っ走るか、平穏に戻るか。分水嶺で止まってしまった人のための「惡の華」3巻

押見修造先生の惡の華」が好きでしょうがない隊です。
マンガの面白さや技巧もさることながら、文系男子の悶々とダメなところをえぐられまくり。
むき出しにされた神経をなでられるような心地悪さが楽しくて楽しくて。
簡単にあらすじを書くと、好きな女の子の体操着を持ち帰ってしまった少年が、クラスの嫌われ者の変人少女仲村さんに見られて、脅されはじめる話。ところがその好きだった女の子佐伯さんにはバレないまま、どうしたことか付き合うハメに。
好きな女の子の体操着を盗むという悪。 マンガ『惡の華』の中学生悶々パワー(エキサイトレビュー) - エキサイトニュース
さて、嘘をかかえた少年はそのまますすめるの?
すすめないんだなこれが。
 

●狭い世界●

まあ、ぶっちゃけて言えばほんとたいしたことじゃないんですよ。
ちゃんと謝れば、まあ嫌われるかもしらんけど死にはしない。
しかし、この少年春日君にとっては人生の一大事なんです。
天地が滅びるかのような恐怖……まあ子供ならそうですよね。
 
「学校」という空間の視野の狭さ、「田舎」の町の閉塞感がもー、とんでもないんですよこの作品。
まあ人が死んだりはしませんが、この閉塞感、押切蓮介先生の「ミスミソウ」を思い出します。
それより悩みのスケールが小さいのに、閉塞感に溢れているのがこの作品のすさまじいところ。
大人になって忘れかけていた、子供の頃の怯えがよみがえってきます。

これはとあることをして朝、春日君と仲村さんが帰ってくるシーンです。
もう山の狭間にある小さな町なんです。
ところどころに、町を囲う山が描かれるので、圧迫感あるんですよ。
下のコマは二人が「成し遂げた」状態だから、ガツンとひらけているはずなのに、上のコマの圧迫感に勝てていない。
 
感覚的な言葉ばっかりで書いていますが、ほんと感覚に訴える作品です。
とにかくインナー。とにかく囲まれていて、とにかく抜け出せない。
 
春日君の位置ってなにげにおいしいはずなんです。
クラスの美少女佐伯さんと付き合って。
変人あつかいされているけどエキセントリックなのが魅力な仲村さんに振り回されて。
ハーレムマンガならハッピーなシチュエーションですよ?
でも全然羨ましく見えません。

むしろ哀れにしか見えない。
まわりはゲラゲラ笑う少年少女。自分のいる位置がさっぱり見えなくて、自信なんて到底持ち得ない。
ただ、ボードレールの「悪の華」を読んでいるのをお守りにして必死に自分を保っているだけです。
まわりで気楽に笑う奴らの中でただ震えるのみ。
春日君の視線は泳ぎます。
なんでかって? 体操着盗んだ犯人だから、ってのはもちろんですが。それにしても悩みすぎてる。
彼の中には「自分」がないんだ。
 

●この世の果て●


今回の三巻がもう好きで好きで仕方ない理由のひとつは、このシーンがあるからです。
春日君と仲村さんが逃げ出して山を越えようとするシーンなんですが、「山の向こうは何があるのかな?」ってセリフが彼ら・彼女らの視野の狭さそのものを表しているじゃないですか。
 
何度か書いたことあるともいますが、自分も妄想に責めさいなまれることがたまにあるんです。
この世界は実はみんな自分に嘘を付いているんじゃないだろうか?
自分のことをみんなが騙しているんじゃないだろうか。
自分が見ているのは偽物の世界なんじゃないだろうか。
子供の頃からの妄想というか、不安なんですが、今でも部屋にこもって作業をしているとこの不安が沸き上がってきます。
窓の外の向こう側の世界は、滅んでいるんじゃないだろうか。自分に見えていないだけじゃないだろうか。
この不安を断ち切りたくて旅行をよくするようになりました。人ととにかく会うようになりました。
 
だから、仲村さんの発言すげージワジワ来るんですよ。

仲村さんでも、本当にそうなっているとは思ってはいないでしょう。
でも、そう感じる、というだけで悶々とするだけの十分な理由になります。
 
世の中に二つの人種があるとしたら、この「曖昧な不安を抱えている人」と「理性で納得できている人」でしょうかね。
時として「曖昧な不安を抱えている人」の爆発力の方が巨大な推進力にかわったりします。
現状で満足できないから冒険に出るのです。
 
とはいえもう一つ。
冒険に出られるのは一握りの人間で、残りは「不安を抱えたままうずくまっている」のも忘れちゃいけない。
 

●飛び出せるのかい?●

さて、春日君の視野はすごく今狭くなっていますが、そこに現れるのはヒロイン二人、変人仲村さんと、常識人佐伯さん。
かわいい女の子二人に囲まれてるなんておいしい環境に見えますが、じつはそうじゃないです。
変人仲村さんは「飛び出して自分を見つけたい、全部ぶっ壊したい」という想いの具現化。
佐伯さんは「今の常識をそのまま信じておく、壊したくない」という安定の具現化。
どっちを選んだほうがよいかでいえば、まあ堅実なのは後者でしょう。
しかしこの作品、二択じゃないんだよもっと人間しょぼいんだよ情け無いんだよ!と突きつけてくるのです。
そんなに人間単純に出来てないんだな。

仲村さんの気まぐれで、もう佐伯さんと付き合っているにも関わらず自転車で二人で「山の向こう」に自転車でいこうとしたとき、春日君には仲村さんはこう見えました。
めちゃくちゃで、相手の言うことを聞かず、制御どころか会話も成立しないエキセントリックな子ですが、春日君の心を惹いて離さない強烈な魅力が仲村さんにはあるから、かわいくみえちゃうのです。
ちなみに仲村さん、クラスではハブ状態ですので、他の子視点(例・佐伯さん視点とか)で見たらこんなにかわいく描かれないでしょう。あくまでも春日君視点。
 
実際読んでいると、あまりの破天荒さと、少年の悩みのかきまぜっぷりに、いい加減にしろという想いは湧き上がるんです。
春日君の「嘘をついてしまった」という悩みをいたずらに弄んでいるのです。
しかし弄ぶ理由がないわけではないのがじわじわにじんでくるから惹かれてしまう。
彼女と一緒にいると苦労しかしないのは分かっているけれども、自分の中のドロドロした青春の暗闇を全部むき出しにして大爆発させる何かをもっているのも分かっている。それが春日君は、好きなんだな。
ぼくも好きです。
頼むからほおっておいて、もういいから来ないで、悪魔! と思いつつも、やっぱりどこか来てめちゃくちゃにしてくれることを期待している。
 
一方、佐伯さんは自分の心の闇を照らす光で「いてほしかった」キャラです。
天使扱いなんです。
でもそれって、彼女そのものに向き合わないように、目を背けているんですよ。
人間は人間、天使じゃない。

すげえなあーと思ったのはこのコマ。
ああそうか、佐伯さんのことは本当に春日君は好きだろうけれども、生身を魅せつけられた瞬間こう見えたのか。
佐伯さんの本泣きを描いたコマですが、話の流れで彼女のこの顔が出てくるとギョッとするんですよ。
あくまでも世界を見ているのは春日君の目。その彼が佐伯さんをこう見ている。
天使じゃなかった。生身の、時に顔を歪めるような人間としての少女で、それが怖いんです。
中学生の時、異性に触れるのが怖いってのはやっぱりありますが、それがこのコマ一つでガツンとたたき出されるからすごいのですよ。
 
2巻までは本当に春日君視点で描かれているので、「佐伯さん=天使」で、佐伯さんの心の中が全く見えないんです。
クラスのかわいい子、ってなくらいで。
しかし3巻になって一気に彼女も爆発します。
ドロドロで、悶々としていて、溜め込んでいたものが。
まあ仲村さんのソレに比べたらはるかに「普通」なんです。中学生の平均値として、という意味において。
とはいえ、仲村さんのエキセントリックさの現実味のなさのほうが、読んでいて陶酔するには心地良いくらいなんです。
ようは、春日くんは仲村さんのムチャっぷりのほうが心地良くて、佐伯さんの運んでくる現実が怖くなってきている。
 
「ダメな男」の権化みたいな感覚になってきましたが、でも実際そうなんですよね。中学生だもの。
女の子二人に挟まれている構図は見た目いいけれども、実は「お前は破壊妄想の世界に行けるのか、現実にとどまれるのか」を付きつけられている状態です。

そして、同じ泣いているのでもこう描かれるのが仲村さん。めちゃくちゃかわいいんです。
春日君、君多分仲村さんが好きなんだよ。
まあ好きと言っても、吊り橋効果的なものかもしれませんが。
 
ぼくは仲村さんが好きです。
現実逃避したいんでしょうな。
この人といれば違う自分になれるかもしれない、だからひっぱっていって、というかなりダメな視点。自主的に動いていない。
そして選択を迫られたときに、きっと逃げ出す。
よええ。
「心の闇」とか言っておいて、結局その程度のダメゴミクズクソムシなんです! って開き直れるようになるそんな作品。
自虐もまた陶酔のひとつ。答えなんてどこにもないよ、いつまでもどうにもならない思春期だよ。
思春期って、春を望んでも全然手に入らなくて、思っているだけで悶々とするから思春期なんだよ多分。

3巻で表紙は主要3キャラそろっちゃったわけですが、このあとどうなるんだろう?
しかしやっぱり一巻のインパクトのでかさ半端じゃないですね。
3巻の春日君の独白のシーンの描き方は必見。すごい。ものすごく人間的にダメなのが共感できてすごい。マンガってこういう表現できるから面白いなあ。

あわせてききたいダメ人間。
一瞬タモさんが映るんですが、これがもう何とも言えない顔をしているのが。
うむ。