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たまごまごのたまごなひとことメモ

「少女素数」3巻、少女を描く難しさと、探究心

 
うーん。
このマンガをきちんと理解するのにはとんでもない莫大な時間がかかりそうなので、思ったことをとにかく書いて蓄積していこうと思います。
なんせ、このマンガ自体が「長月みそか先生による少女考察論文」みたいな作品なので、そうそう簡単に感想が書けない。
難解ではなくて、ぱらぱらっと読む分には「おもしろいねー!」で済むんですが、いざ「じゃあ少女ってなに?」と聞かれると極めて複雑。
その素数分解をしているのが本作ではあるんですが、覗きこむと簡単に見えたものが実はフラクタル化しているんじゃないかという状態に。じゃあすごい少女って複雑なんだ、と挑んでみたら意外とあっさりしていたり。
そんな「少女ってなんだ?」を描こうとしているから、このマンガは面白いし、興味深い。
 

●最大の難関「恋愛」●

一応このマンガを知らない人に簡単に内容を説明すると、ハーフの14歳のふたごあんず(金髪)とすみれ(黒髪)を描いた作品。兄はプロモデラーで、二人はお兄ちゃんが大好きな子供。でもちょっとだけ育ちかけの思春期まっただ中。
あとは、3巻までの時点では特に主だった物語はないです。
物語がない日常を描くことで、少女とはなんなのかを、第三者視点、兄視点、二人視点から切り出していきます。
 
で、「少女」を語る際に絶対欠かせないものがあります。それは恋愛。
ところが「恋愛」の描き方はすこぶる難しい。
恋愛をした時点で、まあ大人にはならなくても「子供ではなくなる」というのが一点。
自分を中心にした視点の生活から脱して、男性への目線が生まれてしまう、というのが一点。
 
難しいんですよ。
人によって「どこまでが少女か」の基準明らかに違いますもの。
たとえばある人は「セックスして結婚して子供ができても、心持ちが少女なら、いつまでも少女」というかもしれません。
ある人は「恋愛をした時点で少女ではなく『女』になるのだ」というかもしれません。
こと、二次元世界となるとその少女の幅もぎゅっと狭まります。好きな女の子キャラに彼氏ができてほしくない!という感情も芽生えます。キャラに魅力があるっていうことだからいいことではあるんですが、それで心が離れたらちょっぴり寂しい。
「少女素数」は今まで、あんずとすみれが「お兄ちゃんが大好き」+兄は妹を全然女として見ていない(ただしエロティシズムを感じていないわけではない、そこは造形に生かしている)、という設定があったため、ここはクリアしていました。
でもそれじゃだめなのですよ。「少女」を追求するのなら、「お兄ちゃん大好きな『子供』」のままではいけない。恋をし始めるギリギリの瞬間を描かないといけません。行き過ぎて少女に戻れないところに行ってもいけない。
 
「少女」というのは期間が決まっているものではありません。
あんずとすみれという二人以外にも少女たちは登場します。彼女たちも紛れもなく少女の時間を過ごしているんですが、二人を含めて一瞬の光なんですよ、「少女」ってのは。
 
これはある意味「少女」の定義になるのかもしれませんが、少女は終了するから「少女」です。少ないんです。
それを脱皮や羽化のように捉える人もいれば、単に大きくなっただけと捉える人もいますが、それはどっちでもいいと思います。「子供」から通過していく一瞬の光で、そのあとは「少女ではないもの」になる。
だから尊い
澁澤龍彦的なコレクション少女がお兄ちゃんの作るフィギュアだとしたら、こちらは通りすぎることで保持できない少女性です。
 
あんずとすみれにも、恋の瞬間は3巻でやってきます。
でもうまいんですよね、作りが。それまでの時点ですでに準備段階が用意されていて、ああこれはこの男の子に心惹かれるよな、という撒き餌がきちんとされています。
そもそも現実的にも、会ってすぐ好きになる……こともあるけど……ってよりは、会う回数が増えるにつれて好きになる、というのが恋ですもんねえ。
あと、視点が「お兄ちゃん視点」と「第三者視点」の2つ用意されているのもクッションになっています。あんずとすみれは「少女」であると同時に、お兄ちゃん視点があるので「子供」なんです。あとお兄ちゃん視点で「異性という特殊な存在」なんです。
お兄ちゃんがそこに惹かれて、究極の少女像を作るモデラーになっている、というのがまた面白い。なるほど、お兄ちゃんは「少女」を追求する作者であり、読者です。
お兄ちゃん視点の「あんずとすみれの成長」と、二人の視点の「成長」に大きな誤差があるのも、少女らしさそのもの。
 
果たして恋の行方は……というところに焦点は置かれておらず、「少女は恋をするとどうなるのか」という定点観測になっているから、このマンガは特殊なんです。
余談ですが、写真を撮るかのように二人を描いたカットが多かったこの作品、3巻では本当に写真のモデルとしてデビューすることで「生身の一瞬」と「作られた一瞬」を切り分けちゃいましたね。
詳しくはこっちで。
「少女素数」で徹底して描かれる少女像 〜少女を構成する「なにもかも」ってなに?〜
 

●少女は2つの側面がある。●

少女を素数に分解していく作品ではあるんですが、そこで「なぜ双子なのか?」という疑問は生まれてきます。
これが、3巻ではっきりと分かるんですよ。いやあ、確かに性格の違いはあったけど、そこか、そこなのか。なるほど。
 
あんずはやんちゃで、行き当たりばったり。元気はなまるじるしの少女です。
すみれはおとなしくて、人付き合いはそこまでうまくないけどまっすぐな少女です。
性格だけでもこれだけ違うんですが、決定的に違うのは恋愛観でした。
 
あんずにとっての「好き」は、子供の考えている「好き」に限りなく近い。けれど同時に大人が恋愛をする時にたどり着く結論の一つにも、限りなく近い。
すみれの「好き」は、ぶっちゃけていえば「わからない」。このわからないモヤモヤが恋愛なんだ、と気づきます。
全く違う2つの側面を描いていますが、どちらも「少女」なんですよ。
これもし片方だけ描いたら、「少女ってこういう子だけじゃないよね」となっていたかもしれません。
 
無論、100人いたら100通りの少女があるので、一概にまとめることはできません。
けれども二人対になる存在、けれども全く違う存在がいることで、少女の掘り下げが色々な角度からできてるようになっているんです。
まあ、この双子はわりと極端な美少女なので、そこにクラスメイトの、こういうとなんですが普通の女の子も交えることで、さらにうまく削りだしています。
 
少女ってなんでできているのか。マザーグースでは済まなくなって来ました。
個人的には、あんずが好きです。彼女の気まぐれさと、それでいて大人よりはるかに大人びて見抜いている鋭さ。「子供」と「女」が見事に入り交じっています。
この物語で一番怖いのは、事件が起きることでもなんでもなくて、彼女たちが成長することです。
だって、成長したら少女じゃなくなるもんね。
けれど成長して少女を終えないと少女を描ききれない。
なんというジレンマ。
そんなジレンマがあるからこそ、このマンガに描かれている本当に短い一瞬が、貴重すぎるんです。
 

少女素数 (1) (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ) 少女素数 (2) (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ) 少女素数 (3) (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ)
三巻表紙の、二人がからめた足が最高に素晴らしいんだ。
 
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