たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

この百合の花園は、風通しのいい場所ですか、秘密の園ですか。〜クローズドな百合作品と、オープンな百合作品の魅力〜

「GIRL FRIENDS」第9話の衝撃。百合で「××でない」ことを考えてみる(真・業魔伝書庫)
森永みるく先生の「GIRL FRIENDS」についてのお話。ネタバレありです。確かにあの展開はショックでした。つうか「ヤリコン」って言葉が出てきて、お兄さんドキドキしちゃったよ。
 
はて、一番最初の大前提として。
なにはともあれまず、人にそれだけのショックを与えるということがこの作品のすごさなわけですよ。
この「GIRL FRIENDS」という作品、強烈なまでに主人公のまりちゃんへの感情移入の度合いが半端ないので、そりゃショックも受けますて。普通の少年・少女マンガだって、「好きだったあの人が、実は彼氏(彼女)がいてあんなことやこんなことを経験済み(過去形)」とかの展開があったら、「人の過去なんて気にしないぜ」とか思いつつも、3日は自分の中の暴れ馬を抑えるために理性が戦いますよ。
まあ、このへんは個人差があると思いますが。その上で「それでも君が好き!」ってのがGOOD。イイヨネー。
 
それはさておき、「百合的作品」は2つの観点で、作品に対する姿勢が大きく変わってくる、クセの強さがあるので、それを自分なりにおさえておきたいと思います。
一つは「主観」か「客観」か。
もう一つは「クローズド」か「オープン」か。
 

●私たちは、ヒロインの少女になりたいんだ。百合の「主観」と「客観」●

・キャラに共感する主観型
・キャラ達の人間模様を眺める客観型

どんな作品でもそうですが、こと友情や恋愛のような人間関係がテーマになる作品だと、読者がどの位置にいるかでずいぶんとキャラクターへの意識が変わってきます。
自分は乃梨子信者なので、「マリみて」を例にあげましょう。
とある人は、祐巳の語りや瞳子の苦悩に、自分の中の憧れや過去の経験を重ね合わせて、彼女たちの行動に一喜一憂します。
あっ、祐巳そこでロザリオ出せ!でも出せないよな!わかるよ!くー歯がゆい!
瞳子耐えているんだね…。こんなにも辛いなんて、私の方が先に胸が張り裂けそう…。
とか。
物語の進行状態次第では、キャラが苦しめば苦しむほど読者ももがき苦しみそうなほど苦しむ羽目になります。伝説になっている「レイニー止め」はまさにそれ。祐巳と祥子が破局するんじゃないかといわんばかりの関係に陥って終わったたゆえに、主観になっている祐巳の苦悩に飲み込まれて、読者の悲鳴があがったわけです。
 
一方、乃梨子や蔦子さんの位置は、その輪の中にありながらちょっと一歩ひいています。乃梨子なんかは瞳子が苦悩に陥った時や、解放された時に激しく涙を流すわけですが、それはやはり当事者でありながら、ちょっと離れた位置から見ているがゆえの感情でもあります。
もっともっと離れて、1クラスメイトの視点、もしくは神の視点になっている人もいるでしょう。冷静に分析する客観視です。
 
百合の場合、女性同士ということがエッセンスなので、「その感情がどこまで踏み込んだものなのか」が非常に重要な要素になります。
たとえば、AさんとBさんの関係も、客観で見たら「まあ友情の深いヤツだよね。」ととらえられるかもしれません。しかし主観で見たら「こんなに高ぶっている感情、抑えられない感情があるんだ。あなたにしか抱かないんだ」という思いが伝染して、かなり作品の、キャラへの特別な感情が深まっちゃうわけですよ。

GIRL FRIENDS」より。
とにかく主観的な表現が多いので、呼んでいけばいくほど純粋で「性」の感覚がピンとこないほどピュアなまりちゃんにシンクロします。
もちろんこれを「あはは、めんこい感情だね」と客観的に見るのもあり。自分はこの作品の場合は、シンクロする方かな。
 
百合ワールドの主役の一人になりたいか。
百合ワールドの箱庭を外から眺めていたいか。
この視点がかみあわないまま「あのキャラの感情は恋愛かどうか?」という話をしてもかみあわなくなっちゃうんだろうな、と思うのでした。特に、あまり攻めの姿勢に転じない、受け合いながら距離を模索する分野だから、なおなお。
 

秘密の花園で永遠の時間をすごすか。世間の荒波の中で成長するか。●

クローズド…「秘密の花園型」
オープン…「現実と成長と人間関係型」

百合作品に限らず、女の子だらけの作品は男性不在の場合が多いです。
実はそういう作品でも「男性の心理の代弁者」のようなキャラがいる場合が多いんですけれども。
しかし女の子が閉じた空間の中で、あまり広くない世界観の中で出会った「あなた」とだけ、共にすごす二人だけの時間はあまりにも美しい宝石です。そしてそれは、今の百合文化の中の一つの目的地でもあります。
これを秘密の花園型」とします。
舞台が女子校が多いのは、これを求めるのに最適だから、というのもあります。まあね、ほかに女の子だけの空間って…あー、アイマスなんかもそうですね。男キャラは姿すらないし。だから二次創作で百合が生まれやすいのも納得です。ちなみに、やよいx伊織最高。あと、律ちゃんx真!
はい、話がそれました。
そもそも恋愛という感情自体が、一対一で、特に若い時期は相手のこと以外何も見えなくなってしまうくらいなんだから、それなら余計な人物をどんどん脇に回して、二人のキラキラと輝く結晶のようなイチャイチャが見たいんだぜ、という人は多いでしょう。
自分もアニメキャラで百合妄想するときは二人ワールドにするために、色々なシチュエーションを考えます。どうやったら二人きりになれるかなー?と。
 
こなたが数日学校にこなかった時に、かがみがすげー不安になっちゃって、家まで行って、実はそうじろうはゲーム買いに行って不在、ゆうちゃんは姉さんのところに戻っていて、そんな中徹夜ゲームプレイして衰弱していたのを見つけて「バカッ!心配したんだから!ど、どうしようかと思って…」とかいって泣き出したりして。ほら二人きりだ。
 
秘密の花園型を好む人は、「男性不在」を好む場合も多いです。
そりゃそうです。最終的に二人の関係がどうなるか見たいのだから、なら最初からいなくていいよう、という話です。ただし、「100%いらない」ではないのもミソ。最終的に二人の結晶ができるかどうかが重要なので、サブキャラや引き立て役なら気にならんのです。
また、その場合あくまでも「ファンタジーとしての結晶」を求めているのが最初から分かっているので、突然現実的なものを交えられるとかなりその空間が揺らいじゃうんですよ。これ百合に限らないと思うのですが。
たとえば、「ハルヒ」のSOS団や「らき☆すた」のようなピュアな空間の中で、たとえばヤリコンの話が出てきたりとかしたらおいら泣いちゃうよ。
 
きっと、性的なものとは全く無関係な、「ステンドグラスで出来た箱庭に脚を踏み入れないで!」という視点になっているんだと思うんですよ。
これは現実逃避、っていっちゃえばそれまでなんですが、むしろ作品がそれだけ魅力的で、純粋な美しさと協調性に満ちているから感じさせられるもの、と見たほうがいい気がします。こっちの押し付けをするのではなく、あくまでも希望として、憧れであってほしいものってあるんです。これは男女ともに。少年たちに対しても同じことが言えます。百合じゃないですがこのへんも同じかもしれないですね。
『ハルヒ』と『絶チル』を比較してみる。(Something Orange)
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一方、百合作品の中でも、年齢が比較的上(大学生や社会人)である場合などは、視点が大幅に広くなるため一人の人間にかかわる相手が格段に増えます。そうすると「女の子だけ」というのはありえなくなります。男性の影が絶対ちらつきます。
女の子同士でひかれあうようなほど美しい子なら、男が手を出そうとしないわけがない。時にはつきあったりエッチしたりもします。合コンもします。
が!
それでも最終的に、「あなたと一緒にいるこの時間がとても好き」となった時の作品のキャラの描かれ方たるや!過去に色々あって乗り越えたからこそ、彼女たちは大切な絆を育むこともあります。
これを「人間関係型」とします。幅が広い、という意味で。
この場合、どうしても男性は地球の半分いるわけですから、考慮に入れざるを得ません。それはいらないなあ、と言う「秘密の花園型」が好きな人ももちろんいると思います。これは好みの問題。
しかし、「百合」という言葉は、最近は「ガールズラブ」だけを指す言葉ではなくなってきています。
二人の関係が、友情以上のかたい絆で結ばれている時に、それに名前をつけることができない関係でも「百合だ」と言う場合も多いです。むしろそちら方面を見事に描ける作家さんが最近増えつつあります。
 
極端な話、お互い彼氏がいても、最終的に戻ってくるところが女性同士、そんな百合もありです。個人的にそういうの大好き。マンガで言うと「MAKA-MAKA」とか。これは好みのわかれそうな作品ですが。
MAKA-MAKA (Vol.1) MAKA-MAKA (Vol.2)
最近では、友情以上の親密さ全般をさして「百合」ということもあります。これは線引きが出来ないし、しても仕方ないところ。自分の中で線引きをするのはいいのですが、それがお互いそれぞれ違うから、色々な作品が生まれる部分だと思いますので、曖昧な方がいいのです。
 

●百合やBLの向かう先は、一方向じゃない。●

たとえば、百合好きな人、BL好きな人で「エロがあってこそでしょ?」という人がいます。また「エロはなしで!プラトニックで頼む!」という人もいます。
それを一本化して、「プラトニックでなければいけない」「現実的ではないファンタジーに意味があるのか」と議論していたら、きっとこれから芽生えるすばらしい作品が埋もれてしまいそうで恐ろしいです。
確かに性を「0」には出来ないジャンルなので、どうしてもストッパーがかかる部分があっても仕方ないのですが、だからこそそこで、その作品が描ける最良の方向性を求めていって欲しいなあと願います。時にはそれが、百合好き・BL好きをふるいにかけることもあるでしょう。特に百合はまだ分化しきれず、「百合」という単語の中に個性が押し込められる場合がありそうなので、今後もっと広く広くなっていってほしいなと願うばかり。

GIRL FRIENDS」より。たまらないほど、張り裂けそうな不安。
そう考えるなら、森永みるく先生の「GIRL FRIENDS」が、合コンの話や男の影がちらつくことで、こっちがやきもきさせられるのは、描写が巧みでそれだけ繊細に描かれているからだと思うのです。最初に書いていたように、きっとLITさんは感受性が強いので、それだけ「主観的」に感情移入して、「クローズドな世界」を本当に愛しく思っていたんだと思います。それだけの影響力を与える作品ってすごいよね。
レイニー止め上等。さあかかってこい、こっちもハンカチかみ締めながら、ジレンマで苦しませてくださいな!祐巳瞳子をじっと待ちながら、解放された時に「ああ、本当に長い期間じっくり書いてくれて本当によかった!待っててよかった!」と思えた、あの気持ちをくださいな。
 
あ、でも「BLUE」みたいな、青春の一瞬のきらめき、みたいな終わり方も好きです。
つまり百合が好きです。ええ。そういうことなんです。
 
GIRL FRIENDS (1) (アクションコミックス) くちびるためいきさくらいろ (IDコミックス 百合姫コミックス)
 
もっかいはっとこ。さー、マリみて新刊の出番だ!キラキラひかればいいんだ!
マリア様がみてる―キラキラまわる (コバルト文庫)