たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

「まんがの作り方」に見る、「作家はネットにある意見を見るべきなのかどうか」問題

平尾アウリ先生の「まんがの作り方」は、題名に反してそれほどまんがの作り方を描いた漫画ではありません。
女の子二人を中心とした人間模様を描いたマンガです。
なのですが、やはり二人とも「マンガ家」という前提があるため、ファンタジー的なほどぽやぽやした二人の世界にも現実は入り込んできます。
実際のその辺の話は今回はおいておいて、ちょっとだけ気になった点をピックアップ。
 

●「ネットなんて見るな!」●

何かを作る、何かを発表するということは、必ず誰かに評価されます。
ネットのない時代は、その評価が表に出ることはほとんどありませんでしたが、今はきちんとした批評から、チラシの裏の悪口まで、何でも見えてしまいます。よい評価も、悪い評価も。
あな恐ろしや。芥川龍之介が今の時代に生きていて、痛烈な批判もついつい見ていたらどうなっていたことやら。ルイス・キャロルはサイトを立ち上げた後に、すぐに閉鎖しちゃうのかな。三島由紀夫はネット上で論戦するのかな。
まあそんなifを話しても仕方ないのですが。
 
ネット上はもちろん悪い評価ばかりではありません。むしろ全体的にきちんとした感想を探して回れば、「よい評価」の方が多いかもしれません。
しかし、10の褒め言葉があっても1の批判で人の心は簡単に折れます。

ヒロインの二人はマンガを描いているのですが、この森下は比較的ネットの評判を気にするタイプのようです。
自分の名前を入れて検索する子、なんでしょうね。
そして痛烈な批判にあったのかなんなのか、すっかりへこんでしまいます。
 
一方、先輩の方は昔、強烈なトラウマが出来たために「ネットは見ない!」というスタンスをとっています。

掲示板に書かれた、心ない批判の数々。
今となっては笑い話ですが、当時の彼女の心を踏みにじるには十二分でした。
先輩はこうして「ネットは見るな」をモットーにしています。
 
さてはて、このへんがなんとも難しいところ…。
そもそもなんでネットで感想を見るかと言えば。

そうそう。「いいこと書いてある感想は読みたい」んです。
いいことというのは「べた褒め」という意味ではないです。よい点、改良すべき点をきっちり書いた、真摯な態度の文章、と言うことだと思います。
(ちなみに彼女がどう捕らえているかは作中では分かりません。)
森下は前向きな子です。だから「自分の糧にしよう」としてネットを見て、そして心折れるのです。
 

●見た方がいい人、見ない方がいい人●

自分の考えなんですが、「ネットの感想を見て育つ人」と「見ない方がいい人」の二種類があると思います。
基本的には、ちょっとやそっとのことではめげない精神力と前向きな心を持った人として鍛え上げられていくのが一番の理想でしょう。
そう、その理想に乗っていける人もいるんです。多少のことではめげない、むしろそれを糧にしてどんどん育てる。
耐えて吸収して大きくなれる人は、どんどんネットでの評価を見ていけばいいでしょう。ノイズはたくさん混じっていますが、きちんとした評価を見抜く力も磨かれていくはずです。あとは自分の確固たる軸をぶれさせずに突進あるのみです。
 
しかし、ノイズに埋もれて、心が折れて、自分を見失ってしまう人はムリにネットに漂う無数の評価を見る必要は無いと思うのです。
確かに「精神力が弱い」と言われるかもしれません。しかし、その人の感性を磨く時間が「耐える」時間に割かれてしまい、結局作る時間を失って心も摩耗するのでは元も子もありません。はっきりいってその時間は、大きな損失です。
その人にも編集さんはいるわけで、編集さんを通じて正しい評価がノイズの中から選んで渡されるのなら、自分でそれを選択して苦しみ悶える時間を別に取り分ける必要は無いです。
 
「こうでなければいけない」という解答はありません。
とりあえず「全員がネットの評価をすべて取捨選択し耐えられる新人類」になることはできません。書く側に「書くな」とも言えません。あ、意味もなく嫌がらせをしたり口汚く罵る人も稀にいるので、最低限のマナーとTPOは守るべきですが。
作家は「見る」か「見ない」かを選択していかないとなりません。
その選択に対して誰かが口を挟むことは出来ません。
 
ただ、「作家」が評価されると同時に、「評価している人」もまた評価をされることを忘れてもいけないとは思っています。ネットに書き込む人もまた、みんなお互い評価される対象です。自分の書いた感想や評価は、その作家本人からも感想や評価を持って見られています。
もう一つ。作家にとって一番怖いのは「評価すらされないこと」。だからそういう意味では、「見える」ネットがあるのは偉大です。
 

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このマンガはかなり浮世離れしているテンポが面白い作品です。
その点については別の機会に書きたいのですが、今回の「ネットの批評を見るかどうか問題」については、ばっさりと「見るな」と言い放ちます。なぜなら、お互い評価する人間が側にいるから。
それが下手をすると閉鎖空間になる恐怖もあるのですが、まあそれはこちらの考えてあって、ふわふわしたこのマンガの中では適用されません。
ただ、彼女の述べたこの考え方は好きです。

作品を作る人は必ず「苦しい」ことはあります。無い人なんていません。
やめちゃおうかな、なんて思うこともあります。
しかし「糧になる」ことが分かっていたら、「やらないともったいない」と思い、貪欲なほどに突き進む。その心意気、好きです。
まあそれも答えかどうか分からないのですけれども。貪欲になりすぎてパンクしては元も子もありませんし。その人のペースってものもありますし。でも少し頑張らないと伸びないのも事実ですし。
 
ああ難しいな。
辛いことあっても作り続けるなんてなんでなんだろうな。
…多分、その答えが分かったときに、その人は「作品を作る人」であり続けるんだと思います。
 

この作品が「マンガ作り作品」かと言われると首を傾げます。「百合作品」かと言われるとこれも首を傾げます。自分が見て考えている視点と、すっごく別の道をひょろひょろ進むような不思議な感覚の作品なんです。どうもここに出ている二人の女の子の感覚は別次元の生物のようです。そこが面白い。会話のテンポ、思考の回路、時々吹っ飛んでいるなあと感じさせられますが、すんなり二人の仲がまとまっていくから、この世界はこれでいいんでしょう。なんとも飄々とした空間です。