たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

いざ大人になっても、大人になった気がしない

今日も「「メジャー」を生み出すの話」。
昨日が3・4で、今日は5・6章。
少女漫画家の宮城理子咲坂伊緒の話。
 
すまん、どっちもそこまで詳しくない……。
 
「マーガレット」が苦手なのよ!!
花とゆめ」と「プリンセス」はいけるの。好きなの。
なんつーか、ちょっとしょんぼり側じゃないですか。あとファンタジーというか。
あと「なかよし」と「りぼん」はいける。ぼくが幼いから。
最近の「なかよし」は尖りまくってるけどな。西炯子恋と軍艦」、松本ひで吉さばげぶっ!」、星野リリィ「きぐるみ防衛隊」、瀬田ハルヒ「出口ゼロ」……。もうマンガエリート育成機関になってる。
「出口ゼロ」とかガチデスゲームマンガだからね。プリキュアと同じ雑誌に載ってるとは思えない。
 
多分、「なかよし」は深く狭い、背伸びしたい女の子と、ぼくみたいな大人ファンに向けて作ってるだろうなー、って思う。
これはこれで、大正解なんじゃないかなー。
もっとやれ!って思いますもん。
「きぐるみ防衛隊」は、キスをするときぐるみが変身するマンガなんですが、2組は少女と青年なんだけど、1組は少年と青年だからね。
さすがBL隊長星野リリィ、ぶっこんできやがる!最高!
 

                                                                                                                                          • -

 
で、こうなってくると「なかよし」のように売れているメジャー雑誌が、必ずしも王道とは限らなくなる。
少なくとも「花ゆめ」と「なかよし」が「王道」ですかと言われたら、うーん、めっちゃくちゃ好きだけど、好きだから「ちがうなー」っておもう。尖ってるなとおもう。
ぽちゃまに」が売れる時点で、そうおもう。
 
これって、AKB48やジャニーズが売れるのと同じかもしれない。
どっちもいいんだよね。売れてるんだよね。
ただ、「コアな特定ファンに売る」という姿勢。
 

                                                                                                                                          • -

 
じゃあ王道っつったらなによ。
王道……王道?
白馬の王子さまとか? べただな。

昔ながらの”お姫様と彼女を守る騎士”というパターンを、現代風に持ってきただけなんです。その点ではむしろ古典的

これは宮城理子の談。
テレビドラマになった『メイちゃんの執事』の作家(これは知ってるぞ!)。
他には『ミカド☆ボーイ』とか。
 
この「お姫様と騎士」っていうのは『メイちゃんの執事』の話。
ようは、メイちゃんに、いろんな執事がつく。イケメン。であえて執事だから、一歩さがる。
ここな、ポイント。一歩下がる。
騎士じゃん!
 

                                                                                                                                          • -

 
守ってもらいたい。
すっごくシンプルだけど、それって王道……って言葉は雑だな、うーん。
普遍的な願望だと思う。
 
メイちゃんは、美形の執事にお仕えされる。お嬢様学校に入る。
羨ましいね。
けどメイちゃん実はそんなに幸せじゃない。
事故で両親を失い、お嬢様として厳しすぎる義務を負い、「あなたの行動ひとつで莫大な金が動き大勢の人の運命が変わる。いい加減悟りなさい」とか言われる。
羨ましくないね。
 

                                                                                                                                          • -

 
なんだろうこのギャップ。
宮城理子はどうも、甘いお菓子の家に招き入れて、はい幸せになーれ、ってしたくないらしい。

今、女の子に友だちがいないのが流行ってるんです。というか友だちを描かないんですね。女友だちがわからない

 

                                                                                                                                          • -

 
これ、ちょっとわかるんだよなあ。
女の子っていうと変かも。
「少年少女に」が的確な気がする。
 
昨日一昨日も書いてるけど、とにかく内輪があればいい。
LINEでつながっていればいい。もっといえば、彼氏・彼女がいればいい。
狭い。めっちゃ狭い。
 

融解するオタク・サブカル・ヤンキー  ファスト風土適応論
熊代 亨
花伝社
売り上げランキング: 86,148
そのあたりはこの本が面白い。
ファスト風土」っていうのは、コンビニがあってネットがあってショピングモールがあってAmazonがあって、もう都会にでなくていい、近隣で済んじゃう土地感のこと。ファーストフードのもじり。うまいこというね。
そうなってくると、「オタク」「サブカル」「ヤンキー」として尖る意味がなくなってくる。
だって、近くに仲間がいるんだもの。反抗しなくていい。
アニメみて、しまむらいって、ショピングモールいって、エスニックな店に入って、フィギュア買って、家に帰る。
どれか一つに傾倒しなくてよくなった。
 
こうなると、人間のつながりはすごい濃いように見えて、実は半径がめちゃくちゃ狭くなる。視野も狭くなる。
LINEで悪口言われたら、自殺したくなったりする。
 

                                                                                                                                          • -

 
この感覚は、TwitterYouTubeに、いじめ画像や悪ふざけ動画をアップするのに通じてる。
慣れている人は「これは世界に向けて見えているんだから、やっちゃだめだろう」って言うのが当然わかる。やらないし、アップもしない。
やっちゃう人がいるのって、正直理解できないと思う。
思うんだけどいるのが事実。
 
それはきっと、視野がものすごーく狭くなってきているから。
周りが世界の全てだから、周りにウケてもらいたいな、って貼っちゃう。
 
自分たちが思う「メジャー」は、狭い世界のメジャーでしかない。
クラスター化」って言葉が適切なのかなー。わからんけど。
 

                                                                                                                                          • -

 
実際読者からは、甘い展開にしてほしいと宮城理子は言われるらしい。
けどしない。

ちょっとお砂糖でコーティングして。甘いものを入れつつも、それに釣られていただいた方にちょっと岩塩がありますけど、というつくり方を意識しているんです

昨日書いた、バランス感覚の話だと思う。
浅野いにおは「何かに属さない」ことでバランス感覚を保っていた。
宮城理子は、あまーい調理をしながら、がちっとした刺激をちゃんと入れてバランスをとっている。
 
読者側のぼくとしては、確かに甘い作品大好きだけど、時々ガツンとカウンターもらうほうが、実はちょっと嬉しかったりする。
叱ってもらいたいって、このへんと通じるのかも。
 
もちろん、世界が半径3メートル(by川本真琴)とか半径85cm(byアゴアニキP)なのも大事だけども。
一端外にでないと、その大事さってわかんない。
 

                                                                                                                                          • -

 
その一方で、『アオハライド』(これもわかるぞ!)の咲坂伊緒は、あまりそういう加減をしていない。
なぜなら、彼女には武器があるから。
それはなにか!

特別じゃない自分っていうのが強みじゃないかな、と今は考えています

すげー!って思った。
「普通」っていうことを、自分で理解できていて、そう言えちゃうのが。
 

                                                                                                                                          • -

 
「普通」って、たいてい悪い意味じゃん。
「今日どうだった?」「普通」
「この子と仲いいの?」「普通」
絶望した!
 
そもそも「中庸」「普通」ってありえない。幻想。
「真ん中」って存在しない。
だけどさ。
もし空っぽの箱があって、そこに自分をすんなり入れられるなら、それはとてもフラットなことだと思う。
意図して「おれはこうだ!うりゃ!」じゃない。

”わたしだったら、こうしてた。みんなはどう?”という思いで描いて、それが”その気持ち、わかる”と言ってもらえると、楽しさを共有できていると感じる。その一瞬で、読者と”つながった”という感じがするんです。

                                                                                                                                          • -

 
咲坂伊緒が思っていることが面白い。
「大人って大したことねえ、と思いました」
悪口ではないのね。
「自分自信の経験として大したことなかった」
 
すげーわかる。
 

                                                                                                                                          • -

 
ぼくは子供の頃「大人になるのかー、大人かー。すごいなー、なれるのかなー」って不安でしたよ。
特に中学高校。
親が働いているのを見て「ぼく絶対働けない、怖い怖い」って思ってたし。
お金を手に入れるっていう感覚が(バイトはしたけど)ほとんどなかったし。
「責任を持つ」とか、とても思えなかった。
 
で、今。
大人になった……?
全然感じない。えーと……普通。
教員時代は「先生」を演じなきゃ、って思っていたので、すごく必死だった。
けどさ、それってやっぱ「演じてる」だけで、本質的にはいつも「あー、育ってねえなあー」って思っちゃう。
 

                                                                                                                                          • -

 
本の作者・堀田純司は、「変わったのは若者ではなく、むしろ大人のほうと言うべきなのかもしれない」と書きます。
そうかも。
親と子が友だちのような関係になって、子供にガンダムエヴァを見せて。
 
大人が大人になりきれてない、とは言わない。やっぱ、何かしらの肩書もって、大人にはなるのよ。
ただ、「大したことねえな」
大人になって、「うわー大人になったぜー、大人ってすげえな!」っていう人ほとんどいないんじゃないかなあ。
偉い人(ってなんだよ)ほど、自覚してると思う。
公私は、使い分けるんだよね。
 

                                                                                                                                          • -

 
面白いなあと思ったのが「社畜」という言葉の変化。
今は「社畜」といったら「おれの私生活の時間、会社に吸い取られてるよ辛いよ!」って意味。
過去(もう戦後とかもっと前)の「社畜」といったら「結婚をし、定職につき、働くべき」という「大人社会(公的社会)に参加すべし、さもなくば人にあらず」ってくらいだった。
 
どっちがいいではなくてね。
私生活を軸に「社畜」って言えるってことは、公的社会に所属しなくてもいい時代になった、という意味でもある。
仕事なかったら死んじゃう!ってことないもん。仕事休みだったらめっちゃ遊ぶよ?
 
昔気質の人は「公的社会に」を経験しているから、若い人に対してそれを押し付けた時に、反抗精神が生まれたんだと思う。
でも今は、私生活をおくれて、かつ「大人って大したことねえな」を感じている大人が相手だから、反抗のしようがない。
もう仲良しよ。「なかよし」よ。
あ、マーガレットか……。
 

                                                                                                                                          • -

 
あるホラー映画で、若い人がキャンプで真っ先に殺されるのを「若さへの罰」だと言ってたそうな。
若い子たちの乱痴気騒ぎって、大体殺されるよね。
サメ映画や人喰い映画なら、まず真っ先にくわれるよね。おっぱいぷるんぷるんした女の子たちが。

大人が若い人にあれこれ言いたがるのは、若さに嫉妬しているからでしょう

咲坂伊緒って人はほんと、切り込むなあと思った。
ぶっちゃけ、それはあるよ。
 
大人と子供の決定的な違いは、「失敗ができないこと」。
中身がどんなに子供であろうとも。責任が生じるから。
 
こういう「わかるわかる」を咲坂伊緒はもってる。
すごい。「普通」だ。いい意味で。
だから無理に「今どきはこうだから、こうしなくちゃ」を描かなくても、ストレートに恋愛を描けば、ストレートに受け入れられる。
 

                                                                                                                                          • -

 
それこそ『アオハライド』なんて、ど直球だよね。
ストーリー説明しようとすると「あ、なんか昔見たことあるわ」って感じになる。面白いんだけど。
でも、実は再生産を意識してるわけじゃない。
単に咲坂伊緒が感じたことをそのまま描いた(ってことは大人が感じたことだわな)ら、そのまま受け入れられた、ということ。
 
咲坂伊緒宮城理子浅野いにお、それぞれやり方はずいぶん違うなーと。
でも「バランスをどう保つか」の一点に関しては、みんな同じなんだよなあ。
下手に迎合しない。
これが「メジャー」を「作る」の……か?
よくわからん。
 

                                                                                                                                          • -

 
ひょっとしてこの本って「普通とはなにか」「メジャーとはなにか」「バランス感覚とはなにか」を追求する本なんじゃないか?
タイトルが「売り出す」じゃないのはそこなのか?
 
7・8章に続きます。