たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

「ロック」は「反抗」してないとロックではない、なんてこたない

今日も「「メジャー」を生み出す」の話。
だってこれ面白いんだもの……。なんつーか、目からウロコボロボロ落ちてるから、自分のためにメモしないとまずいと思って。
いや、どっかでちゃんとまとめるけど。
自分に言い聞かせないと。
3・4章まとめ。
 

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「優しい」っていいことだと思う。
で、今の時代は「優しすぎる」。
「ゆとり」じゃないよ。そのもっと先。
 
昨日もちょっと書いたやつ。今、反抗期がないって話。
「感謝」が爆発するって話。
 

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ロックで「感謝」「肯定」「認め合い」してたらどうだろう?
「そんなのロックじゃない!」ってぼくは言ってたね。
ロックは反抗の精神。
破壊衝動。悲しみ。苦しみ。怒り。
ロクデナシなぼくを救ってくれるのはロックだ。って思ってた。
 
でもそれは、80・90年代の話。
時代が違ったらどうなんだろう。
それこそ、今。
 

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「大人は信用できない」というのはロック……あるいは反抗期の目玉商品。

そういう考え方はあまり好きじゃない、というか『それはその時代の価値観でしょう?』と感じるんです。俺らはもうすでに確立されたロックという分野のイメージを楽しんでいるタイプだから、そうした決まり事みたいなものは、あまり好きになれないですね

「THE BOHEMIANS」の平田ぱんだ。
 
すげーな!
ようはこの人は「ロックは空っぽですよ」って言ってる。
 
ロックっていうのは、音楽の「形」でしかない。リズムとか、スタイルとか。
ようは箱。
 
箱が空っぽだから、時代にあわせて入れるものが変わる。
「なにものでもない」からロックはいろんな用途に変わる。
 
あれ、なんか「ぶっ壊せ!」ってやり続けるより、変わり続ける方が断然ロックじゃん。
 

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もうなんかここで衝撃受けてうわーってなった。
なんせ、ロックに寄りかかってたからねぼくは。
だから、今だに90年代ロックから抜け出せないわけですよ。
それが悪いわけじゃない。だって「90年代ロック」という箱を愛してるだけだから。
 
ただ、それを今の人に押し付けるのは間違い。
好む人には渡すけど、好まない人にまで押し付けない。
「ロックかくあるべし」って、全然ロックじゃない。ただりーな。
 

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じゃあどうやったらロックが売れるんだろう、メジャーになるんだろう、というのは、どうしても商売としては考える。
だけど、別に今、メジャーデビューしなくてもいいからね。
ぶっちゃけメジャーデビューするよか、M3やコミケでCD売ったほうが儲かるんじゃないの?ってぼくは思う。
デビューのしがらみに囚われて、作りたいもの作れないより全然そっちのほうがいいよ。
そして、人の心に刺さるのって、そっちなんじゃないかな。
むしろCDレーベルに属するより、正しい意味で「メジャー」なものはそっちじゃん。
 

”売れる”ってこと自体が90年代の現象なんだから、今の時代に売れることを目指すのが、そもそもおかしいと思っています。

さっきの「ロック箱」でいえば、90年代は「売れるロック」だった。
今ロックをやるなら、「売れる」じゃないものを作らないといけない。
 
いや違うな。
何を持って相手に伝えたいか。
多分、「自己承認」「認められること」なんだと思う。
 

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認められるって難しい。
「自己承認」されるって、間違うと危ない。
例えばLINEで満足できたときに、もしLINEからハブられたら、この世の終わりみたいに思うんじゃないかな。
Twitterでリムられたとかそういうの。○○好きな人RT・相互フォロー。
外から見るとなーんてことない。
 

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平和すぎるせいかモラルが過剰に昂ぶり過ぎて、逆に厳しいなとも感じるんですよ

浅野いにお
この人もロックだなーと思った。
あ、空っぽの箱に詰め込める人、って意味のほうね。
 
正直に言います。
あんまり浅野いにお好きじゃなかった。
いやね、おしゃれなんだよ。って思ってたんだよ。申し訳ないことに。

「虹ヶ原 ホログラフ」は最高だった。
でも「ソラニン」はちょっとダメだった。あっ、きつい、って。
 

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「プンプン」は好きだったけど、どうしても「おしゃれ」っていう気持ちを払拭できなかった。
「オシャレサブカル」。
うわ、最低に失礼だな。でもそう思っちゃったんだもん。
そこがぼくのコンプレックス。
 
で、こういうぼくみたいな奴が、いっぱいいるわけじゃん。
訂正。いっぱいじゃないわ。少し。
 
浅野いにおは、こういう悪口を徹底エゴサーチするらしい。
エゴサーチって大抵作家は心やられることあるので、編集さんにストップかけられることすらある。
けど、エゴサーチする。平和すぎて「オレは下だから、上のやつは袋叩きにしていい」という人たちを徹底的に見る。心折れても見る。そうしないと描けないんだって。
ロックだ。

そういやこのマンガの中で、「ヤンキーに絡まれて以来、渋谷にいけないトラウマができた」って言ってたなあ。
その時ものすごく親近感わいて、一気に好きになった。今までのマンガが読めるようになった。
ぼくが、下から目線で「浅野いにお」に嫉妬というか、攻撃していただけなんだなーって、気づいた。
 

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以前は反抗期がない時代の「感謝」のあり方を書いたけど、浅野いにおは逆。

実際の今の人はみんな、ひねくれようにもひねくれようがないくらい満たされている。
だから結局、自分が今いるごく普通の環境、『親がいて友人がいること自体が幸せなんだ』っていう価値観をお互いに確認している。
そんなわかりきった価値観をわざわざみんなで確かめ合うことを、ずっと繰り返しているんですとにかく今の人は自分の環境や状況を肯定してくれるものを求めているんですよね。

「今更感謝なんてしなくてもお前らわかってるだろ、言うなよ、と。
 
ただここは、「どっちが正しいどっちが間違い」じゃないと思う。
ようは、「感謝」をしてもいい。けれども過剰に「感謝」に寄り過ぎたら、それは単なる依存になってしまう。
逆もそうだと思う。「感謝」を徹底排除して逆らい続けても、不毛なだけ。
バランス感覚なんだよなあ。
 
ただ、どの状況でもかわらないのは「肯定されたい」という思い。
肯定されるために、自己肯定するために、仮想敵を作る。
もしかしたら、エゴサーチするのは「自分が仮想敵になっているか」の確認なのかも。
 

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浅野いにおは、さっきの「ロック箱」と同じだと思う。
「なにか」にカテゴライズされたくない。
「なにか」になったとき、バランスをとってやじろべえになっていたのが崩れてしまう。
それと戦い続けている。
 

さっき浅野いにおが苦手と書いたけど、これはもう尊敬の念すらあった。
萌えマンガじゃねえか!と。
そんなサブカルの権化みたいな人(これがカテゴライズね)が、どうしちゃったのと。
あ、面白かったです。
ユートピアな現代に対して、ディストピア突きつけていて。
で、女の子めちゃくちゃかわいいのな。
 
これって多分、オタクに嫌われると思う。
「寄ってくんな」と。
その気持は正直ちょっとあったけど、もう「やってくれたな、すげえ!」が大きかった。
 
で、浅野いにおの目標は「打倒ワンピース」。
でけえ。これもジャンプ読者から嫌われそう。
 
でも、「何か」になって、固定ファンから裸の王さまになるよりは遥かにましかもしんない。
 

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なんだろう。
まだよくわからないけど、「ふつう」ってのは曖昧な言葉でも、悪い言葉でもないのかもしれない。
「バランス感覚をとれるすげー奴」のことなんじゃないかなあ?
そういうのが「メジャー」(マスとか売れるとかじゃない)を作るんじゃないかなあ?
 
5・6章に続きます。