たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

シンエヴァ、アスカを愛してきた話する(ネタバレ)

エヴァの最後を見届けてきた。

なので惣流・アスカ・ラングレーの話をする。これを「お気持ち」とかいう人がいるなら別にそれでいいけど呪いが噛みつきにいきます。

以下シンエヴァのネタバレ。

 

 

 

 

 

 

アスカが新劇場版で「惣流・アスカ・ラングレー」ではなくて「式波・アスカ・ラングレー」になったことで、当初から「???」があったんだけど、それがだいたいわかったのが今回ということに。なるほどね、綾波シリーズみたいなものなのね。

ぼくはTV版からずっとアスカという存在に激しい衝撃と性欲と愛情と恋愛と恐怖と畏怖と憧憬を抱いてきて、だから「式波」とかいわれても「好きなの惣流なんだけど…まあかわいいからいいや、フィギュア買ったお!」みたいな気持ちと「なんだよ惣流を返せよ、惣流はどこにいったんだよ!」みたいな気持ちがせめぎあってきていた、イマジナリー惣流・アスカ・ラングレーを胸に飼いつつもLASだった大人。それがもう二十数年。長いね。

 

今回出てきたアスカは28歳に成長した立派な精神を持った女性、式波・アスカ・ラングレーさん。14年彼女の世話をしてきた(のか?)っぽいケンスケと共に歩むことになったのもよかった。てか28歳のケンスケめっちゃ加持さんっぽいじゃん。14年間ぼんやりとシンジが取り込まれている間彼のことを好きで苦しんでいた彼女を支えていたのがケンスケだと思ったら、いいよ、そりゃよかったよ。

てかあれは恋人というより父娘だったし。あのケンスケは紳士すぎるので14歳の身体のアスカとセックスはしてなさそう。28に戻ったっぽいので今後は仲良くやってな。あんな半裸で歩き回る14歳少女に全く欲情せずに14年生きてきたのならそれはそれで聖人すぎるけど。

抜いたら「最低だ」なのが惣流・アスカ・ラングレーで、抜いてもいいぜっていう勢いでスタッフ見せてくるほうが式波・アスカ・ラングレー。「破」のプラグスーツもそう。なんか生命力に満ちていて、式波さんは健全。

 

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ラスト、式波がシンジに会いすらせず離れたことで、完全に惣流・アスカ・ラングレーではない一人の存在「式波・アスカ・ラングレー」になった。物語としては良かったと思う。だって鬱病なシンジと鬱病なアスカで一緒に居ても何も幸せにならんのはもうわかってるし。

ただ、そのふたりのただれた関係がぼくの心を打ち続けていたから、式波が受け入れづらかった。

旧劇場版で惣流・アスカ・ラングレーは泣きながら首を締めて殺そうとするシンジに対して「気持ち悪い」という一言を放って終わるんだけど、ぼくにとってのアスカは「拒絶してくれることで自分が自分でいられると認識させてくれる存在」だった。だから惣流の「気持ち悪い」は最高に個・碇シンジを真正面から見ていたし、映画を見ているぼく(アスカ好き!って言っていた自分)をも「拒絶」してくれたことで、「私とあなたは他者である」という「個人」にしてくれる存在だった。

けれども式波は「破」の時点から割とシンジには距離が近くて、クラスメイトとは接しない逆の性格。以前の「Q」で14年待ったことからの反発といい、今回の「シン」での「好きだった」発言といい、ひとりのツンデレになったなあ、という印象がすごくのしかかる。人間に、キャラクターになったな、という印象がすごく強い。拒絶するとか受け入れるとか、そういう面倒くさい距離感がなくて、いい塩梅で人間と人間になってる。

 

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惣流・アスカ・ラングレーは「ぼくを拒絶してくれる価値観」としての意味合いが強くて、そこに惹かれていた。

その上で壊れゆく彼女の手を誰かが引いてほしいという二次創作的なものを求めて、LASをあさり、漫画版を読み、育成計画でにやつき、鋼鉄のガールフレンド2ndでときめき、傑作二次創作「Re:Take」に触れた。そこにいたのはは惣流・アスカ・ラングレーであり、「理想化した惣流・アスカ・ラングレー」という別人格でもあった。そこの境界を都合よく味わってきてしまったのが、ぼくがこじらせてきた一番めんどくさい部分でもある。アスカはツンデレじゃないよ、いやでもLASにおいてはツンデレに至る過程もあってもいいけど、ぼくに対しては「初めての他者」なんだよ、みたいな。「好きだ!」と「嫌ってくれ!」を、シンジを通じて見ていた気がする。

 

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式波・アスカ・ラングレー惣流・アスカ・ラングレーモデルのことを知っているのかどうかわらかないけど、「破」でアスカの乗ったエヴァの首を絞め殺す判断をできなかったことにたいして「Q」でシンジに怒り、「シン」でまさかの答え合わせをした。優しいね。今回みんな優しい。

ここでのシンジの判断、ひいてはその後の今回のシンジのエヴァに乗る乗らないの判断も含めて、すごくヘヴィな人間としての決意と戦いみたいに描かれてるけど、アスカがぶん殴ったのはもうちょっとあっさりした、告白するかしないか、めしを食うか食わないか自分で決めろよレベルの感覚なのかなーという風に、今回のでなおのこと感じた。

そこに自身の幼いときの苦悩や戦いが重なって見えて憂鬱が止まらず……式波さん、普通の女の子だったよ。概念的なサムシングじゃなかったよ。あなたは血の通った14歳の少女で、酸いも甘いも知った28歳の女性で、でも甘えん坊な女の子だったよ。ケンスケに褒めてもらってくれな。頭なでてもらおうな。

 

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惣流・アスカ・ラングレーは今回はいないし、どういう風になっているのかも検討がつかないけど(ループとか色々)、結局人格を剥奪されて「拒絶する存在」「初めての他者」のまま宙ぶらりんになってしまった。浜辺でむちむちびりびりプラグスーツなのは多分旧劇場版のもじりだろう。でもそこにいた成長したアスカは多分28歳の式波。わざわざ照れさせて、旧劇場版みたらこっち思い出すような上書きをされてしまった。いや、良かったよ。良かったけど。

ようは「惣流・アスカ・ラングレー」はもうどこにもおらず、その代わりに「式波・アスカ・ラングレー」というシンジを引き上げて成長させる人間が登場、ただし今回は演劇が終わったので惣流の演じたものもろとも舞台上から退出、というぼんやりした扱いなんだろう。

(今回あんまり深読みしても意味がない構造の映画なんじゃないかなと思っているので映像のまま受け止めるつもり)

 

惣流・アスカ・ラングレーは舞台装置のままだったなって。

式波の存在の救われ方は最高レベルに丁寧だったと思う。レイとカヲルくんが救われたのはTV版を見ていたファンならちょっとキュンときたと思う。カヲルくんが泣いたシーンは激しくよかった。エヴァがなかったらレイもカヲルくんもシンジに意識を向ける必要ゼロだもん、輪廻の輪から放たれた。加えてひとりだけ、エヴァと関係なく「シンジのにおい」という個に直接興味を持ったマリが残ったってのも、説得力がある。

式波はケンスケの父性を受けて、どうするんだろう。正直みんなが最終回でぼこすかカップルになってイチャイチャするのはあんまり好きじゃないんだけど、エヴァに関しては人間再生のテーマが入っていることもあり、新たな生命を生んで育て繁栄せよ、というのは解答の一つだと思うので、納得はできてはいる。

 

いや、物語として納得できても、自分自身が咀嚼できない。

ぼくがエヴァンゲリオンに囚われていたのは、「でもだめなんだ」「うまくいかないんだ」「諦めるしか無いんだ」「ぼくは誰なんだ」「お前は私じゃない」「ぼくのせいにしないでよ」「ぼくが悪いんだ」「人は人といると傷をつけるもの」「私と一つになりたい?」「私の中に入ってこないで!」という強烈な心理的憂鬱感をそのまま描いて、溜め込んでくれたからじゃなかったのか? ハリネズミのジレンマが絵本で解消されたみたいだったけどそれでいいのか? 人が接するのってやけどするものじゃなかったの? 笑顔で男女で歩いてる彼ら彼女らは、人の拒絶と需要の線引きが器用にわかりやがってるじゃないですか。……よかったね、正しい、とても正しい。映画としては本当に完璧、しっかりまとまっている。それと「そうじゃなくてその…」という個人的悶々は全く別のもの。「エヴァはめんどくさいものを見せてくれる」という思い込みによる悪補正。

 

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ちなみに今回の綾波が人間と接することで初めて自意識を受容でき、自己を形作れたシーンは心から楽しめた。あいさつをおまじないと称するシーンも丁寧で泣きそうになった。今までのエヴァが厳しくされることと反発することで(ATフィールドだね)自己を作っていたのなら、今回はATフィールドを交わらせることで自分の形が見つかったと言うか。

旧劇場版では女性たちがひとつになろうと迫りきて自我を崩壊しかけていた感覚をぼくがうけたのを思い出すと、だいぶ違う。人とつながるのには握手したり芋拾ってあげたりで十分。あと風呂は命の洗濯だったね。

 

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式波が救われた今、シンジを「気持ち悪い」という必要がなくなった。拒絶すること、してくれることがなくなった。理不尽極まりなくて鬱病をそのまま絵にしたような傑作「Q」で式波が殴ってきた時はちょっと、惣流が戻ったのかと思ったけど違った。

「Q」の時より「シン」のときの方がはるかに大人で仕事も格が上で、結局シンジにはなんにも教えてくれなかったようにすら見えた。情をかける必要も、拒絶する必要もないから。だから旧劇場版よりはるかに親切で「守ってくれる」側として立ち回っている分いい距離感だというのに、式波はシンジ目線にたったときとても冷たく、遠い存在に見えた。同じ目線にいないと、拒絶すらしてもらえない。

 

拒絶、してほしかったな。

でも惣流・アスカ・ラングレーはそこにはいないんだ。

 

式波、かわいかったな。幸せになってほしいな、なんていわなくても勝手に幸せになるんだろうな。よかったな。ただ、ぼくが好きだった惣流・アスカ・ラングレーはもうそこには、何も残っていないんだね。

 

実は今回の映画、ケンスケとアスカが共に生きていく匂わせがあるのは、アスカガチ恋勢派にとってのちょっとした救いだったりする。ケンスケのような明らかに中学時代モテない男でも、自分の特技を生かしてこつこつがんばり、大人として他の人を受け入れる度量があれば、かつて高嶺の花みたいだった同級生の女の子とも共になれるってことなわけで。…式波に対しては好意抱いていたっけ? 惣流には抱いてたよね。

LAS派には特大の地雷だったけど、「エヴァンゲリオンのない世界」だったらまあ、あのふたりが相性いいわけないわなというのもわからんではないので、作劇に対して文句はないです。ただLAS二次創作の道は残してほしかったぜ!

 

ぼくは今回の映画で式波にはさようならができたけど、惣流・アスカ・ラングレーへの感情はかえって混沌としたままになった。

ありがとね。一生イマジナリー惣流・アスカ・ラングレーに拒絶されることで自我を保とうと思う。

結局、ぼくの見て勝手に愛していたのは、生きた存在「惣流・アスカ・ラングレー」じゃなくて、惣流的なぼんやりした概念への執着、あるいは刷り込み。そこにセンチメンタルを見つけて悦に入っているだけ。わがままで独りよがりで、愛情のふりをした自己愛だ。おっとエヴァっぽいね。

正しくはない。「エヴァの呪い」とよくいうけど、呪われたふりをしているのはいつだって自分の方。まあでも、心が1ミリ休まるんだったらそれも楽しみ方のひとつ、と気づいてアスカジャンキー生活を25年続けることになる。

旧劇場版のエヴァンゲリオンが視聴者の自我をシンジを通じて見せていたのに対し、今回は呪いに囚われていたかもしれない観客をゲンドウに反映したことで滅ぼしたんだろう。

ゲンドウが自身とユイの過去を振り返るシーンの不気味さ哀れさは旧エヴァのシンジそのもの以上だったし、20年の間エヴァ好きアスカ最高と囚われていたぼくを振り返るかのようだった。気持ち悪かった。

もっともぼくも気持ち悪いままで、銃で撃ち抜かれても脳みそこぼして好きな女の子惣流・アスカ・ラングレーの面影を追いかけるゾンビでも、それはそれでいいのかもな、って思った。

面白かったです。

 

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追記

決意したシンジが旧劇場版ラストの浜辺のアスカに「ぼくも好きだったかもしれない」的なことを言って決別するシーン、あれが惣流だったのか(バカシンジっていうセリフがあるので。宮村優子的にはLASファン向けサービス&ラブレターだったらしい)、あるいは28の式波なのかで、ものすごい見え方がかわる。式波は過去の記憶が惣流と全然違うことから別物なのはわかるし、となるのあのシーンはパラレルなルート(元アスカ派生の別の惣流なので)を飛躍していることになる。当然式波は赤い浜辺の記憶と経験はないはず。

多分象徴としてのシーンなので、シンジが「惣流」と「式波」というエヴァンゲリオンの演者に対して「おつかれさまでした、クランクアップです」みたいなことを告げる意味合いなんだろうな、というふうに受け止めた。だからあれは惣流でも式波でもない、「シンジ」「エヴァンゲリオンの世界」に対しての「アスカ」の表象。びりびりむちむちのプラグスーツも「お色気要員、お疲れ様だったね」っていう軽さすら感じる。旧劇の該当シーンの病み具合と比較にならない。

シンジの口を通じて自分も「好きだったかもしれない」といえたアスカファンは、とても幸せな卒業が出来たと思う。「好きだった」という事実を残して前にすすめるのは、大人だ。

ぼくはまだむりなので、あの浜辺で泣きじゃくりながら「好きだ、25年間好きだった」って這いつくばって、勝手に泣いて自分を慰めて、立ち直れないってわかってイマジナリー惣流に拒絶されて諦められるようになるのを待ちながら、「鋼鉄のガールフレンド2nd」のマンガを読もうと思う。大傑作です。

新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に

新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に

  • 発売日: 2019/08/01
  • メディア: Prime Video
 

 

 

 

 

 

アホみたいに分厚くてアホみたいにロリへの熱意と哀しみが詰まった同人誌「東京ロリンピック」を読め

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コミケなくなりました。オリンピック延期しました。2020年。

なのに208ページ(普通に立つ)の極厚ロリアンソロ同人誌「東京ロリンピック」が出た。企画編集は左カゲトラ氏。

なぜそこまでして出す!?と思ったんだが、これは今年出さねば行けない本だ。オリンピック前後の狂騒、実施できなかったからこその困惑、色んなものが「ロリコン」の思いとかぶって、めちゃくちゃブルースになってる。よく出してくれました。

2020年5月という、極めて奇妙な今じゃないとだめなんだよ。全体的に後ろめたい気持ちになることでロリコンが救われる本なのよ。

 

 

この本の一番の感想は、「ロリへの視線が甘くない」。少女がいい意味で都合がよくなくて、血が通っている。甘くないし、大人側も「犯」であることがわかっているからこそ、ロリを渇望できる。でも陵辱ものが多いというわけでもないんです。

 

主催の左カゲトラ氏の漫画「Killer tune kills me」は、スポーツ選手が少女を事故から助けたことで脚を失い、守ってもらった少女が世話をするべく通っているうちに性的関係に…という話。罪悪感スタートながらも、割と女の子もそれはそれでみたいになっているぬるま湯。多分普通はここで終わるだろうし、そのほうが良い。なのに、やっぱり男側は自らの「犯」であることはすごい意識していて、結果ぼんやりした幸せを壊しそうになる男の駄目なところが、ほんとロリコンってクソだぜ!気持わかるけどな!っていう読後感に。はい、甘受して手を出すロリコンはクソなんです。そしてクソって言ってくれたほうが、読む側のロリコンは安心できる。

佐伯氏の「上京2020」もそういう点でラストの落とし所のクソ感最高。離婚した夫婦、母との仲がこじれた娘。オリンピック観戦のため父親の元にやってきて、幸せな時間をすごす2人。しかし父親は彼女に手を出してしまい、彼女もそれを受け入れた…エンディングは最悪。男に同情の余地がほとんどない中、傷だらけながらも強かに生きる女の子の血塗られた道の強烈なエモーショナルは、本当に一貫して佐伯節。女に生まれたことを苦しみながら性の中で幸せを欲し生きようとするスタイルは、佐伯氏初期から貫いている理念だなあと痛感。

じねん氏のはオリンピックのボランティアで出会った青年と少女の話し。2人がいつしか意気投合し、実は少女は中学生だとわかり、それでも行為にふけっていく。ハッピー方向に見えて読みやすいし、読後感もわりとエロくてさわやか。なんですが、これオリンピックボランティアに対して、アッパー系リア充に対して、相当なヘイトが眠っている。ボランティアの我慢に対してバランスを保った先がロリとのただれた生活って、ロックだ。少なくともラブラブポジティブじゃない、ただヘイトを出せるようになっていく成長物語ともとれる。すごい絶妙なさじ加減。

あわじひめじ氏はやっぱ、こうじゃないとな、というのびのびした感じで歓喜。またたく間に開始される陵辱、画面外の枠外の怪文書。とても商業で出せない毒。悪ノリとナード感とブラックユーモアあってこそのあわじひめじ節。今回のは風刺とまでは言わない、世間に中指たてながら、ロリにオーバードライブ。同人誌ならではで最高でした。

荒草まほん氏は、オリンピックネタじゃなくて新型ウイルスの話に舵を切っていて度肝抜かれた。オリンピックテーマの本の中、よくこれトップに持ってきたな!最高の編集か!「東京って怖い」という感覚はオリンピック、新型ウイルス、共に多くの地方民が感じている曖昧な不安。同時にそんな気にしていない東京民の感覚。ぼんやりとした意識のすれ違いを、もやっとしたロリエロ関係に落とし込んでいるのは本当に見事。

 

どの作品も「ロリ」に対する芯が強くて、これが左カゲトラ氏が編集する、ロリに魂を注いで生きてきた作家たちの「ロリ」感なんだ、と痛感。今は商業だとなかなか見られない、貴重な作品集。というかおそらくどの作品も、その作家さんの単行本に収録できないと思う作品ばっかり。
だから、売れて欲しい!
奇しくもオリンピックがないことで、より批評性が増した、類まれな本。
買う人は、表紙がクジラックス氏、裏表紙が東山翔氏だという時点で、大体路線はわかると思う。それを踏まえた上で。おすすめしたい。

 

2019年お気に入りのロリエロ漫画8選


今年もよろしくおねがいします。
振り返る感じで2019年のお気に入りロリエロマンガを8作品ピックアップです。

 

木谷椎「ゆいちゃん撮影会」

ゆいちゃん撮影会 FANZA特別版 - エロ漫画・アダルトコミック - FANZA電子書籍
ガツンとロリ路線に移行した木谷椎氏。「デジタルぷにぺどッ!」(何度見てもすごいタイトルだ)に連載している、うっすら影が見えつつハッピーラッキーな連作「泡のお姫様」シリーズに対して、ハードコアロリ雑誌「MateL」連載のドス黒い作品を集めたのが「ひめはじめ」「ゆいちゃん撮影会」
2019年に出た後者は、性のねじれがグレードアップ。と同時に最悪の展開の中にほんのちょっと光が差し込ませて、一方的に奪うのではなく、男女ともそこそこしたたかに生きていくのが面白いところ。
「三人寄らば」ロリコン男性三人が女児を騙してテントの中でまわし続ける、えぐめの作品。ラストこの女の子を処理するには…となったところで、芽生えていた情で物語が動き始める。
「そのまま、見てて」は露出癖のある2人、成人男性と少女の奇行の話。どう考えても露骨にアウトなことを、衆目の前で行い破滅する様は、解放感抜群。
重いロリものが多いけれども、不思議な心の自由があるのがとても癖になる。

枡田「むすめさんをください!!」

むすめさんをください!! - エロ漫画・アダルトコミック - FANZA電子書籍
これはデジタル作品集なので電子書籍のみ。成人男性と少女のガチガチの恋愛を描いた作品群なんだけど、甘々かというとちょっと違う独特な空気感。中でも顕著なのは「夏のエキストラ」。夏に実家の海の家に手伝いにきた男性が、親戚の子供に好意を向けられていて、面倒見ているうちにふと、少女の中に女の子の「生」を見てしまう。この瞬間の描写が超秀逸。深夜2人で海辺を走りながら、少女が飛びついてキスをするシーンは幻想的ですらある。
お互い好きあっている幸せなセックスが描かれるんだけど、ちょっとだけ成人男性側が距離をおいているのがポイント。それでいて結果一緒にいるんだよなあというシメもいい。学校の先生と生徒の幼くもまっすぐな恋愛「初恋宣誓」も、無邪気な少女に対して大人側が距離を置こうとしているくせに、本当は夢中になっている微妙な表現がいい。インモラル感はないけど後ろめたさはあって、それを越えるくらい愛がある。

響樹はじめ「少女ポルノ」

少女ポルノ - エロ漫画・アダルトコミック - FANZA電子書籍
これもデジタル作品集なので電子書籍のみ。ハッピーから最悪まで詰まった作品集で、基本的に「ロリコンはどうしようもなくダメ」という思想が軸にあるので、エロシーンの淫靡さを楽しみつつ、読後どうしようもなく落ち込める傑作ぞろい。「さよならの黄昏」は、10年前に子供に手を出していた教師の話。少女が転校してから10年、少女の幻想に縛られていたのは教師側だけ。大人になった少女の姿が、彼だけを過去に置き去りにする描写は、純文学的な香りが漂う。
問題作「俺と君は愛しあっていたはず」は、居候をしていた男性がその家の少女にむりやり手を出し、陵辱していく話。少女側は嫌悪感でいっぱいなのだが、男性目線のモノローグを追っていくと、ある瞬間から少女が自分を愛したのだと幻覚のようにスイッチが入っていく。だからこそ、救いがまったくない。
非常に雑誌「LO」が持つ「ロリコン」問題思想が濃い作家なので、是非復活して続きを書いて欲しいんだけど…これは一話描くごとに魂摩耗してると思う。

まめぞう「ちいさいあなはどうですか?」

ちいさいあなはどうですか?【FANZA限定特典付き】 - エロ漫画・アダルトコミック - FANZA電子書籍
アナルものはそんなに読んでいないぼくでも超安心して買えるのがまめぞう氏。水瀬伊織の同人誌から商業まで全部安心して買える。インモラルなシチュエーションでも、漂う幸せ感で、性欲を飛び越えて心の充実感半端ないので、疲れている時によく読む。
「兄妹で正しく愛し合う方法」はお兄ちゃん大好きな妹の話。好きな人が兄だからエッチできないと悩み中の妹。しかしアナルセックスを知って、お兄ちゃんに慣らしてもらうようお願いすることに。実際の行為のシーンよりも、兄が妹のために自分の性欲をぐっとこらえ、妹は異物感に耐えるためオナニーをして我慢しようとする…という妙に健気なシーンが双方かわいくてエロい。愛じゃん。
アナルへのこだわりは強いものの、極端な描写はなくてプレイが丁寧なので、アナルロリマンガ初心者におすすめ。

甘露アメ「少女儚し散らせよ処女」

少女儚し散らせよ処女【FANZA限定特典付き】 - エロ漫画・アダルトコミック - FANZA電子書籍
褐色ロリ好きには神様のような作家。日焼けではない。南国からやってきた義理の妹が、お風呂でのスキンシップを勘違いして勉強してきて…という褐色ロリ好きなら誰もが夢想する究極シチュエーションを「妹かるちゃーしょっく!」で超幸福に描写。続編の「妹こみゅにけーしょん!!」ではそれから二年たち、勘違いではなく自らの意思でセックスを求めていく…この時間による変化、イチャラブ度倍増し。多幸感。
南国の不老不死の少女を追ってやってきたオカルトライターの話「南国の孤島に不老不死の少女を追え!!」は、ロリババア専門誌「永遠娘」掲載の作品。褐色肌に必要最小限以下の衣装、身体の文様に装飾品。ロリババアならではの成人男性を上回る行動力、なにもかも最高。同人誌で続きも描いている。

関谷あさみ「ラフスケッチ」

ラフスケッチ【電子特装版】【FANZA限定】 - エロ漫画・アダルトコミック - FANZA電子書籍
コミックバベルの表紙をたびたび飾っては心くすぐってくる関谷あさみ氏の最新単行本も、センチメンタルと、大人の男に憧れる少女と、なんだかんだでダメな男とコンボで、淫靡なエロシーンのあとに頭を抱えさせられる。この巻は氏の作品集としてはどちらかというと甘めの優しい作品が多いが、連作「先生、」シリーズは性と成長のねじれがむき出しになっている。ある小学生の女の子は、先生に告白をした。けれど先生はきっぱりと断る。少女が中学校に進学した時、彼女はその中学の別の先生に抱かれた。NTRではない、成長なんだろうけれども、どうにも釈然としないものがこみ上げてくる。恋の意味もわからない。わいせつってなんだろう。女の子たちは一生懸命恋愛し、男たちは流される。これぞ関谷あさみ作品の醍醐味。
ただ、ダメな男って、なんだかちょっとかわいく見えるのがずるいんだよなあ。

さつよ「♡♡♡するオンナノコ」

○○○するオンナノコ【FANZA限定特典付き】 - エロ漫画・アダルトコミック - FANZA電子書籍
日焼けボーイッシュ少女といえばさつよ氏。女の子の性への好奇心と、自分に人は興奮するんだろうかという不安がかわいい。「卒業と制服とボーイッシュ」は、クラスメイトたちからは男としてしか扱われていない少女が、成人男性と身体と恋愛の関係になっていく様子を描いた連作の一つ。2人はセックスを当たり前のように重ねているものの、男性の方は「男の子と間違われることのストレスが、エッチをする反動になっている」と考えており、女の子として見られるようになればこの関係は成立しなくなる、と考えていた。しかし卒業後新たな制服に袖を通した時、2人は少女の「女性」に気付かされると同時に、お互いの気持も理解し始めていく。このシリーズは服装や身体などの外見が「男」「女」を意識させるシーンが多いものの、最終的には2人裸で、純粋に愛しい相手として認めていく様子が胸にくる。
ひたすらエロに興味がある「目覚めちゃったから」の少女が、無邪気に先生の性を欲する様子と、それに抗えなくなる先生の心理など、明るいんだけれどもどこか心にひっかかりがあるエロ描写が巧みだ。

砂漠「女の子のおもちゃ」

女の子のおもちゃ【FANZA限定特典付き】 - エロ漫画・アダルトコミック - FANZA電子書籍
表紙の薄暗い特殊な塗りがこの作品集を表していると思う。かといってネガティブな暗さではない、インモラル性。
作品はハッピーエロスからホラーテイストまで。プレイ場所は暗めで、ちょっとじとじとしている。「昼すぎの夢」は近所の双子の女の子が部屋に上がり込んで、成人男子とえっちしまくる内容。女の子たちがよがりながら快楽に溺れる様子が、昼間なのにカーテンがぴっちり閉まった真っ暗な部屋の中で表現される。2人がそれぞれ挿入される様子が1Pの大ゴマかける2の見開きで描かれているのは妙な迫力。カーテンを開けた後、2人はしれっと帰っていなくなる。まるで一時の夢のようだ。
「自分が嫌い」の主人公の少年は、ある日学校でクラスメイトにレイプされていた少女を発見してしまい、助けたいと願った。彼女を体育館倉庫に連れて行ったものの、気がつけば彼もまた、少女のことを抱いてしまう。結局彼女はどういう状況でクラスメイトに犯されていたのか、また自分のことを誘惑してきたのか、何一つわからないまま。残るのは、女性への不信感だけ。舞台が倉庫なのもあって、最初から最後まで背景は真っ暗だ。
くっきりした線と、白黒の濃淡が特徴の作家。全く膨らみのない胸と浮いたあばらが美しい! 

 

まだまだお気に入りはあるんですが、とりあえずこのくらいで。

電子書籍オンリーの単行本が出始めたことで、本の単行本まで時間がかかっていた作家さんの作品が入手しやすくなったのはうれしいなあ(ただしぼかしは雑誌掲載時と同じ)。