たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

「TS少女ハルキくん」に学ぶ性教育

ドバト先生の創作エロ同人誌シリーズの新作4が出て、これがなかなかエロ漫画に対してのいいカウンター(あるいは性への直球)になっているので、軽くメモ。

 

TS少女ハルキくん(コデインガール) - FANZA同人

TS少女ハルキくん自慰編(コデインガール) - FANZA同人

TS少女ハルキくん2(コデインガール) - FANZA同人

TS少女ハルキくん3(コデインガール) - FANZA同人

TS少女ハルキくん4(コデインガール) - FANZA同人

コデインガール サークルプロフィール | 作品一覧「DLsite 同人 - R18」

DL.siteにもあるよ。

 

基本的にはTS(トランス・セクシャル、性転換)ものなので、そっちの性癖の人は迷わず買っていいと思います。

ハルキくんが女の子になった、つまり「少年→少女」もので、13歳フレッシュ新入生、先生との恋愛えっちものです。めちゃくちゃ若い性欲溢れていて、先生側も良識人なんだけどピュアに羽目外し気味でエロいです。

TS性癖じゃない人には、このシリーズ「性教育」として見ると結構攻めていてやばいぜ、って話で興味を持ってもらいたいわけです。

 


 

前提条件として、エロ漫画好きな人って作中に出てくる女性キャラクターを「女神」とか「ミューズ」とか「未来のイヴ」とか「アニムス」とか「アニマ」とか「イデア」とか、そういう風になんとなく感じると思うんですよ。AVもそうですね。あれが「リアルな女性」だと思っている人はいないと思う。

虚構と現実に線を引くがゆえに、アダルト文化は発展しているわけだし、だからこそアダルト文化でしか描けない表現がある。

ロリ漫画は特にそこが顕著で、作品に出てくる少女たちはみんな幻影です。幻影だから美しいんです。純愛ものにしても陵辱ものにしても、性欲を全部受け止めてくれる仮想の存在です。本当にありがたいです。

 


 

では「性教育」を描くとした時。当然ながらエロ漫画の要素の主要な部分はすべて崩壊します。そもそも前提条件が成り立たない。

エロ漫画だとコンドームつけてないの当たり前だったり、病気のこと念頭にない。ファンタジーなのでそれでいいけど、リアルにするとどこかで壁にぶつかる。

 


 

「TS少女ハルキくん」シリーズはロリ漫画にかなりまっとうな性教育をぶつけています。

 


 

最大のラインとして「先生が13歳の子とセックスする」というNGラインだけは越えています。

ここは英断だよなーと思う。多分恋愛はしてもセックスしない先生というルートでも描けると思うんだけど、セックスを越えた向こう側の性を描くとなると「事後」じゃないとブレーキがかかってしまう。セックスをした相手との身体と心の問題、というのを描く上ではそこは超えるべきだったんだなあ、と今4巻まできたから思う。

1巻の時点では「先生お前ーーー!」とは思った。

でもその「うわーー好き」という両者の雪崩れるような心理描写と性描写がエロいというのは重ねて書いておきます。欲望に押し流される姿、特にワンモアはエロいぞ。

 


 

TSものである、というのはすごく大きい。TSにすると、「性」の意識がキャラクターに常につきまとうようになりますし。

ハルキくんはリアル寄りな13歳、もうちょっというと10歳くらいの感性の少年。ここは作者がかなり慎重に描いていると思う。性に対してつっぱしる部分はあったとしても、その時期って「性」についてちょっと距離をおきがちだったりする。オナニーも経験がない子は多い。男女の性が別れて思考に溝ができたり、かと思ったらテレビやネットに影響されておままごと的お付き合いをしたりもする。んで男の子のほうが女の子より、幼い(この表現であってるのかどうか難しいですね)。

ハルキくんはもし男の子のままだったら、オナニーも経験していない、女子と付き合ってもさほど興味がない、男性女性の意識すらあやふやな子だったんじゃないかな。IFだけど。

それが女の子になったことで、男と女の性別、身体の変化、心理の個別化、恋愛の意味など一気に意識せざるを得なくなる。雪崩で。そこでの混乱は本当に子供。

 


 

2巻が面白い。

少女の体のハルキのまわりには、自然と女子が集まってくる。そこでちやほやされるんだけど、出てくる発言がこれ。

「やっぱ男子はだめだわーハルキが一番だなー」
「TSの子って可愛いしかっこいいしほんと最高だよー!」
「そうそう女子の気持ちも男子の気持ちも分かるしね」

女子だったら「だよねー」だったかもしれない。男子だったら「うるせー!」かもしれない。ハルキは「ハルキ」ではなく「男」「女」という性徴のシンボルに、悪く言えば思春期の子たちのおもちゃになってしまう。

ハルキだって別に男女両方の気持ちがわかるわけじゃないし、むしろどっちもわからない方。性自認の問題をかなり急角度に切ってくるので、ぎょっとする。

そのあとセックスシーンが入るのは「おれは先生としたいのか」「好きなのか」という問いを探るためでもあるのでキュンとくるし、結局なにもわからないよね、という流れになるのも「そりゃそうだ」感があっていい。

 


 

4巻は大きな転機で、性においての大失敗の話。ある意味とてもありがちで、性体験の有無に関わらず頭抱える人も多いんじゃないかしら。

ようは「異性の歓心を買う」という点。女性はこうあるべき、男性はこうあるべき。付き合ったら「普通」こうする。

性教育とは、この「普通」に惑わされないようにするためのものなんじゃないか。

性で苦しむ場合、ものすごい割合で「普通」に振り回されてしまう。大人になるとある程度知識と経験の量が蓄積し、総合値として距離をおけるようになってくる(と言っても絶対に性は客観はできないのを理解する含めて)。

ハルキくんはTSしたまだ幼い子。じゃあハルキくんを「普通」じゃないと言って良いのか(これは2巻のですね)、ハルキくんは「普通」になろうと異性の歓心を買うべきなのか。そもそも「セックスかくあるべし」は性差別なんじゃないか。

 


 

答えはね、わかんないね。わかんないですよ。ハルキくんと先生と一緒に、何が失敗で何がいいのか、考えてほしいのです。

5巻予告で描かれているのが生理用ナプキン。

エロ漫画では高確率で回避されるアイテムです。もちろんそっちに性嗜好がある人は、大事にしてほしい。生理が描かれると、性が生死や妊娠に関わることであるのを頭がよぎり、萎えがち。だから避けたい。それはそれで、良いと思う。娯楽だから。

でもこの漫画はエロ漫画でありつつ、性教育

切り込むみたいです。

 


 

全体的にエロティックでかわいらしいながらも、読後にモヤモヤが残るのが面白い作品だと思います。

多分だけど先生が苦手って人もいるとは思います。完全性教育だと思って読んだら、お前意思弱すぎだろ!ってなるでしょうし。でもぼくは前述の理由で、特に4巻に入ってから彼へ性意識への共感度は高いです。こういうのは賛否両論あったほうがいい、とも思うし。

最終巻出る前だから、おすすめします。

 


  

平成●●in明治夜●い村 - エロ漫画・アダルトコミック - FANZAブックス(旧電子書籍)
ぼくこの「平成JCin明治夜這い村」めっちゃ好きなんですよ。あちこちで言った気がする。

夜這いの風習がある明治時代の村とか、江戸時代の遊郭とか、平成のJCが飛ばされて性的に振り回される話なんだけど、それって「かわいそう」では確かにあるのかもしれないけど、割と強かに生きていける子もいるだろうし、そういう子の性ってキラキラしていてエロいよね、っていうのが詰まっていて、すごく描き方が珍しい。シンプルな感情論と結論じゃない。

「ハルキくん」も「夜這い村」も、作者はなんらか思想は有ると思うんだけど、それを押し付けるんじゃなくて、登場する子たちの生き様にたくして、あとはそれぞれ受け取ってくださいと答えをひとつにしていないのがいい。説教感まったくないです。あとネガティブっぽくみえてネガティブじゃないのがいい。きちんとエロくてエンタメしているのがいい。

 

エロ漫画だからリアルを超越するし、リアルを超越するから直接的には描けない人間の奥底も描ける。

そういうのをひっくるめてマンガとして楽しめる上で、女の子がかわいくてキラキラしていて、みんな身体感覚が敏感なので、エロいです。

おわり。

プリンター使わなくなったから使いたい話

プリンターを買い換えることにした。

ようやくだ。だって前買ったプリンター10年近く前だよ。だいぶ前にシアンが完全に詰まっちゃって、どうやっても変なしましまになっちゃってから、面倒くさくてそのまま放置。多分3年くらいそのままだった気がする。物持ちがいいんじゃなくてずぼら。

だって、プリンター使うのって請求書印刷する時だけなんだもの。黒出ればいいんだよね。フルカラーを欲し無くなってしまった。

 

新しく買おうと思って色々調べていたんだけど、びっくりするほど、どこの店にも在庫がない。オンライン販売も全然ない。ほとんどが「取り寄せ」。近所の家電量販店に電話して聴いたら「取り扱いはあるんですが、在庫はハイスペックなモデルが2つしかなくて…あとはお取り寄せで…」と申し訳無さそうにしていた。ハイスペックを売りつけようとしないいいお店でした。

なるほどな、これがリモートワークの影響なのか! なんて短絡思考でいた。しかし家電屋の友人に聴いたらそうではないらしい。

プリンターはでかい。幅を取る。だから店舗は基本在庫を持ちたくない。注文を受けてからの取り寄せが今は主流。なるほど、たしかにガンガン買い換えるタイプのものじゃない。

 

10年以上前はプリンターは必需品だった気がする。書類や課題を提出する際に紙で出すのが当たり前だったからだ。大学ではプリンターやコピー機に学生が並んでいたし(WiFi接続なんてそんなものはない)、仕事では書類のひとつの誤字のために全員分印刷しなおしたりしていた。

紙、使わなくなったよね。ほんとよかった。

印刷の費用は尋常じゃないし、間違えチェックと印刷の時間のストレスもすさまじいし、紙が貯まると邪魔で仕方ない。捨てるのもそれを作った人の前ではなあ…みたいなとこもある。書類が全部メール送信になるなんて、考えもしなかった。北海道でもメディアの仕事ができるのは変化のおかげだから、ありがたいったらない。

最近はメールすら使わなくなった。ダイレクトメールやLINEやDiscordやSlackなんかで十分だ。っていうかそっちのほうが確認しやすいから、最近だとメールを全く使わないで生活している人も多い。

 

学校の課題提出の際は先生側が困っていたこともあった。なんせ学生はネットで拾った資料をそのままコピペして出したりするもんだから、ひとつひとつ自分で書いたかどうか、確認しないといけない。分厚いレポート用紙をいちいち。それがデータ提出になったおかけで、1発で検索できるようになった。用紙を高く積み上げなくて良くなった。断然データのほうが楽。

仕事の書類だと、もらった書類の専門用語の意味がわからないことがたまにある。いちいち聴くのもなんだし、紙だとパソコンに打ち直さないといけない。でもデータならペッと貼ってパッと検索してなるほどと理解。楽。ごくたまにメールで届くビジネス文書をそのままコピペしている会社を発見して、ひとりニヤーっとすることもある。いや、挨拶類なんてそれでいいんです。

 

過去に戻りたいなんて一ミリも思わない。紙はないほうがいい。全部データでいい。一時期は「データと違って紙で保存しておくと整理しやすいことあるよな」とか思ってたけど、んなことはない。データだって紙だって、整理できる人はできるし、できない人はできないだけだ。

 

となってくると「プリンターいらないのでは?」という気持ちが強くなる。写真印刷はすごく重要だと思うけど、撮ってもデータでいいなあ、という気持ちがわいてきていて、あんまり印刷したことがない。

 

これ、プリンターがいらないのではなくて、ぼくが単に腰の重い人間になっているだけ。「やれること」を考えるとそれはもう山程ある。「必須じゃなくなった」のと「不要」は同じじゃない。

今回ほしいなと思ったのは、工作がしたかったからだ。ペーパークラフトが好きで以前は印刷してちょいちょい作っていたのだが、壊れてからやらなくなった。逆だよ逆。「壊れたからやらない」じゃなくて「壊れたけどやりたい」という気持ちを起こしたい。

かつては一眼レフのフィルムカメラ持ってパシャパシャ撮っていたくらい、写真は好きだった。なので、やりはじめればそっちもスイッチは入るんじゃないかな、という気持ちもある。

 

多分「コスパのいい機種です!」とかは、ぼくのような使い方ならあんまり考えてもだめかなーと思ったりした。絶対コスパにあう使い方しないもの。それで足が重くなるくらいなら、コスパ悪くてもいいから考えないで、やりたいこと、面白そうなことを探せよ、ってなる。

 

買い替えたところで、忙しくてなんだかんだで使ってないなあ、となる可能性はある。シンプルに、データを生活の中心に、という思いはまず変わらない。でも家電やPC関係、服や家具などどんなものでも、「このままでいいや」から一歩抜け出せる、ってだけでよいのかもしれない。

「ウマ娘」2期13話でテイオーとマックイーンが見せてくれた、美しすぎる夢のはなし

ウマ娘プリティーダービー」2期最終回13話を遅ればせながら見終わった。

全部の物語が終わって大団円、未来の新人の希望も映し、その後の本当に最後の最後。

トウカイテイオーメジロマックイーンの2人だけになった馬場。とても短いシーン。

多くの人を「泣いた」と言わしめるパワーは、これなんだと感激した。

ウマ娘」のテーマのひとつが、夢を叶えて形にして見せることなんだろうな。

それはキャラだけじゃなくて、スタッフのも、ファンのも。

誰かが夢を叶えた瞬間の感動って、つられちゃうじゃん。幸せになるじゃん。

 

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ぼくは最初あんまり興味を持っていなかったので、「ウマ娘」の話題を追い始めたのは本当に最近。アプリも後追い組。

そもそも競馬を全く知らなかったし、興味も一生ないと思っていたから。

だから見始めたのは、多くのファンが「泣いて仕方ない」みたいな声を上げ始めたのを見たあと。そんなに泣くことってあるのか?と。

というのも目利きのオタクたちって基本的にお涙頂戴ありきで作られたものには評価が厳しいからだ。

となれば、ここまで感動の声がガチあがりしているなら、多分これは本物なんじゃないか?と。

 

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本物だった。本物を越えた超現実みたいな作品だった。

一応女の子たちが出てきて頑張るスポ根もの、という枠組みの作品ではある。ただ、擬人化(って表現がこの作品の場合正しいのかな?)の元になっている史実の名馬たちの物語を拾い上げながら、うまく物語に昇華している。

たくさんの競馬ファンがかつて名勝負の際に涙したシーンを、もう一度しっかりと、誰かを中傷することなく、英雄の物語として組み上げている。

現実にあった出来事を、演義としてより伝わるように作り上げてくれた。

「おれたちはこの試合のここに感動したんだ、それを是非伝えたいんだ」みたいな作り手の熱量がすさまじかった。それを更にウマ娘たちの「本能」ともいわれている止められない情熱にひっかけて盛り上げているのだから、感動熱はさらに増幅する。

そんな莫大なスタッフとか競馬ファンとか競馬関係者とかウマ娘たちとかの感情をダイレクトに全力ぶつけられたら、観客側としては嬉しいとか悲しいとかを飛び越えて、感情が問答無用で揺れてしまう。

 

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感情の動きに対して、作り手が何一つ恥じらわなかったのが、よかった。

実際のところ細かいディティールとかに関してはそこまで緻密なものではない。このへんは「ガルパン」で「カーボンだから大丈夫」と言い切ったことで戦車の撃ち合いが出来たのと同じで、ウマ娘は異常なスピードだし道路に専用レーンがあるしすさまじい量食べることもあるしで、「そういうもの」という前置きとしての飲み込みは必須。

完全に割り切ったことで、造り手の競馬への愛がとめどなく、所構わずぶちこまれた。

史実の馬たちのエピソードがこれでもかと盛り込まれている。トウカイテイオー有馬記念での奇跡の復活とかのような大イベントはもちろん、マチカネタンホイザが蜘蛛を食べちゃった、みたいな細かいネタもスルッと入ってる。

 

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大好きで仕方ない物がある人が作る、丁寧な「大好き」の表現は、人の心を動かす、とずっと思っている。感動を産む重要な原動力の一つだと思う。

ウマ娘」は色々コメディも盛り込みつつ、この軸を絶対にブレさせなかったし、むしろやりすぎなくらい。

だから感動する前段階の、「この作品を作っている人は信じていい」という心の扉を簡単に開いてくれた。まるで作品全体が、馬が大好きな人が、いかに馬が素晴らしいかをこちらに寄り添って、わかるように丁寧に噛み砕いて、お話してくれているかのようだった。

おもしろエピソードが多すぎるゴールドシップを筆頭に、大食いのオグリキャップや、逃げまくりのメジロパーマーダイタクヘリオス、逆噴射のツインターボなど、登場する度にネットで史実を調べた。ああ本当に好きなんだなあ、と。

ツインターボはキャラとしては、二期10話であまりにも愛しくて泣かせてくれる最高のバカとして登場するんだけど、あれは本当に馬が好きな人ならたまらないだろうなって。めちゃくちゃ最初から走って途中で息切れして惨敗、というのが実際多かった中、93年オールカマーで狂ったような大逃げでぶっちぎる試合は、今も伝説らしい。それをあんな大舞台の美しい見せ方でやるなんて。

これ競馬ファンなら、ツインターボ出た時点で「やってくれるはず」と思ってたんだろうな。そうだったら、それがかなったんだったら、なんてうらやましい楽しみ方ができているんだろう。

 

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当然競走馬は生き物だから、何が起きるかわからない。

だから「もし」が、競馬ではめちゃくちゃ多いと聞く。もし出ていれば、もし休んでいれば、もし晴れていれば。

その「もし」を叶えてくれるから「ウマ娘」は人気があると聞いた。

大きいところだとサイレンススズカ。現実ではものすごいスピードで記録を打ち立てたヒーローだったが、天皇賞(秋)粉砕骨折予後不良安楽死になっている。だから「ウマ娘」一期で彼女が出てきた時、知っているファンはリアルタイムで見ながら不安でならなかっただっただろうな。

でもアニメではサイレンススズカはリハビリを越えて復帰した。怪我が治って生きて走っている「もし」の姿が見られる。

ウマ娘」たちを応援するファンと、競馬ファンと、スタッフが見たかったであろう夢があった。

 

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二期最終回のラスト。

トウカイテイオーメジロマックイーンはふたりきりで、誰もいないターフで、約束の勝負をする。

勝負の結果は描かれない。大事なのは「勝負をした」ということだからだ。

現実では二回目の試合はなかった。

でも作り手側は心の底から「もし」が見たかったんだろう。

実際に学校で勝負したのか、幻想なのか、あるいは天国でのふたりなのか。全くわからないけれども、「ふたりは勝負ができた」というだけで、あまりにも粋だし美しすぎる。

 

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馬が好きな人の夢が詰まった、とても幸福な、笑顔だけの空間を見て、どうしようもなく泣いてしまった。

ぼくは競馬を知らない。トウカイテイオーメジロマックイーンも見たことがない。

けれども競馬が大好きで、生きる馬たちが大好きで、勝負する姿が大好きで、頂点を極めた者たちの美しさが大好きなのは、おそろしいくらい伝わってきた。

 

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ウマ娘」を見ている競馬ファンは、見た感じ優しい人が多い。

競馬を「ウマ娘」から知ってほしい、と言ってくれる人が多く見られる気がする。

にわかどころじゃないので、元からのファンの方にはものすごく恐縮してしまうんだけど、とあるところで見たコメントが嬉しかった。

ウマ娘」は馬のことを愛しているから好きだと。

制作者の丹精込めた愛は、ちゃんと色んな所に伝わり、つながっていた。

それがまたね。泣いちゃうね。

 

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ウマ娘」を見て以来、ずっとネットにある馬の史実を追って読んでいる。面白い。解像度が一気にあがっていろいろなことが理解できて、馬たちの、関わる人達の生き様に圧倒される。

特にナイスネイチャの話は何度も読んでいる。連続で3着という名脇役みたいな立ち位置の馬。本来であれば3位ってすさまじいことなはず。でも1位が「もし」取れていたらな、栄光を受けていればな、って思いながらアプリで遊んでいる。ナイスネイチャに関しては馬場秀輝の話を読むだけでボロボロ泣いてしまう。本当の愛じゃないか。

 

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アニメのライスシャワーの回の描写とかゾクゾクするところがたくさんあるアニメだった。もっとどこかで語りたい気持ちばかり湧く。なるほどこの感動は、人に何らかの形で伝えたくもなる。アニメすごかったんだよ、でもこの出来事は史実に限りなく近いんだよ、と。

ただ、やっぱり映像で馬が見たい、走る姿が見たい。見ていないと知った気にしかなれない。

名馬名勝負映像集みたいなの、どこか出してください。今出したら確実に買います。もっと馬たちの生き様とドラマについて知りたい。