たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

カワイイは正義を超えて世界そのもの「明日ちゃんのセーラー服」

明日ちゃんのセーラー服 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)

ぼくの中で、「描く少女が全て美しい」作家として、おおた慶文と並んで崇めている博の「明日ちゃんのセーラー服」。
もう表紙がやばいよね。「かわいい」っていう名前の鈍器で滅多打ちにするつもり満々だもんね。好き。
 
セーラー服のアイドル・幹ちゃんに憧れる、小学6年生の明日小路。
1学年クラスに一人しかいない田舎の学校に通う彼女は、セーラ服を着たいがゆえに蝋梅学園に入学。
お母さんにセーラ服を作ってもらい(?!)学校に着ていくことに。
ところがそのセーラ服は昔のもので、現在はブレザーだった(!?)。
それでも彼女は思いを曲げることなく、クラスで一人セーラ服で通うことになる。
 
いやいや色々おかしいでしょう! 特にお母さん、調べなさいよ!
って気はするんだけど、作者の前作「ゆめくり」はもっとファンタジーな作品だったので、作風に慣れていたらあんまり気にならないと思う。
 
トーンをあまり使わず黒ベタで、はつらつとした少女たちを、全てのページに描いているので、もー眼福。
特に、わりとやんちゃで素朴で元気いっぱいの小路が動くシーン。アニメーションかパラパラマンガみたいに、動作一つ一つを、枠のないページに描かれるという特殊な手法で表現。
これが少女美の研究成果、と言わんばかりの身体表現。かなりびっくりするマンガ術なので、これは見てほしいなあ。
 
おおらかさゆえに彼女にはどんどん友達ができる。彼女自身、今まで友達がいなかったので(田舎なので)「友達百人できるかな」スタンス。楽しそう。かわいい。
やっぱセーラー服で通したの自体が、彼女の本質的魅力の表現なんだよなー。ゆるがない、純粋、ついかまいたくなる。
美少女ってほんと見ていて、ドキドキじゃなくて安心します。
 
ゆめくり 1 (MFコミックス アライブシリーズ)
「ゆめくり」はさらに、温泉舞台なので眼福度高し。ずーっと見てたくなる。

胡蝶しのぶさんかわいいし蜜璃かわいいしアオイかわいいし善逸うっとうしい「鬼滅の刃」6

鬼滅の刃 6 (ジャンプコミックスDIGITAL)
ほんと「鬼滅の刃」は、生真面目・炭治郎、口枷鬼妹・禰豆子バーサーカー伊之助、ヘタレ善逸の4人体制になってから、面白さがうなぎのぼり。
一巻のヒリヒリした復讐に向ける炭治郎の追い詰められた感じもたまらなく好きなんだけど、兄妹の生真面目に対してコメディメーカーを2人くっつけたことで、エンタメバランスが抜群によくなってる。しかも三者三様の戦い方+禰豆子のチートな爆発力で、戦闘にもバリエーションが出てきた。
 
6巻は蜘蛛にやられて壊滅状態になった一同+鬼殺隊が一旦休憩する箸休め巻であり、鬼殺隊のトップ連中と鬼の下弦・上弦のメンツ紹介。もっとも顔出し程度だけど、キャラのクセがチョロチョロ描かれているので楽しい。
特に鬼殺隊の恋柱・甘露寺蜜璃はなんなの! 強いの!? 何にでも惚れたりときめいたりする乙女でしかないんだけど、こういう子が一番強かったりするんだよなあ。
 
最初からギャグキャラとして出てきていた善逸の「使い方」がどえらいいい具合。絵柄と時代背景、炭治郎の一途さと、禰豆子の耽美な見た目でどうしても作品が重たくなるのを、善逸が動くことですごくまろやかになる。
そもそもおっかない相手が来たら「逃げたい!」って思うし、かわいい女の子がいたら「仲良くなりたい!」って考えるし、腹が減ったら「食べたい!」とまんじゅうをあさる。ある意味全員が戦闘狂なこの世界で、実はむしろ真人間な方。
身体がボロボロになった面々が「機能回復訓練」で女の子隊員に稽古を付けられている時。炭治郎と伊之助はぐったりしてるのに「幸せ!! うわああ幸せ!!」と超思春期男子しているのは、とても好感持てます。女の子には嫌われます。
アオイ、しのぶ、カナヲとカワイイ子だらけなのでまあ、ハッスルするよ、してくれてよかったよ。炭治郎と伊之助そういうの興味ないし。
 
大分ストーリー比重とシリアスさがキャラごとに分散されてきている中、ちゃんと最終的に禰豆子に物語が戻ってきているのがすごい。
禰豆子があれをああするのは、ちょっと驚いた。そうかおさえこめるのか。

終わらない日常はだいたい嘘で出来ている

がっこうぐらし! 1巻 (まんがタイムKRコミックス)

がっこうぐらし!』が始まり、わーっ!という展開に驚かれている人も多……。
多くないよなー。だよねー。
原作あるし、みんな怪しい怪しいって煽ってるし。構えて見ちゃうよね。
 
ぼくは原作の『がっこうぐらし!』が本当に傑作だと思っていて。
それは「虚構」だから。
実は「虚構でした」じゃなく、「虚構」ありきではじまって、みんながその虚構にすがっていくことで、活路を開いていく。
しかもその上、虚構を崩さぬまま卒業式をちゃんと迎える。(5巻)
あそこまで行ったら、もう「虚構」じゃなくなるんだよ。
(ちなみに「がっこうぐらし!」はコミックスとアニメが全然違うので油断できない。太郎丸があんなに出番が多いのと、みーくんとめぐねえが一緒にいるのは既におかしい)
 

●ウソの上に成り立っている「キルミーベイベー」●

キルミーベイベー (7) (まんがタイムKRコミックス)

ここで思い出すのは、『キルミーベイベー』。
これも虚構の上に成り立つマンガです。
 

一巻。
メインはやすなとソーニャとあぎりの3人しか出てこないという、とんでもなく人数を絞りに絞ったマンガ。
もっといえば、必ず出るのはやすなとソーニャしかいない。
その二人の間で、隠し事がある。
 
やすなとソーニャのバランスを改めて考えてみます。
基本的に、ソーニャは別に誰かと関わりたいわけじゃない。
むしろソロで動いたほうが殺し屋としては動きやすい。
ところが、やすながソーニャのことを気に入ってべったりくっついてくる。
振り払えず、気づいたら腐れ縁みたいになって、思わず構ってしまっている。
 

好きだなーこういうやりとり。
ツッコミしてくれるのわかっている人間のボケ方です。
 
で、気づく。
ああそうか、ソーニャには「やすなの知らない、知り合い」がいるんだ。
組織っていう知り合い。
 
やすなは?
やすなに友達はいるんだろうか?
いるのかもしれない。少なくともこのマンガでは描かれない。
 
ソーニャはやすなのことをある程度知っている。
だけど、やすなはソーニャのことを、ほとんど知らない。
 

●あの子はソーニャのことをまだ何も知らない●


元するめ工場にいった時の話。コラでも2次創作でもなく、本物。
ホラー回だということもあって、おかしな存在が登場したり、オチがバッドエンドだったりと、ある意味キルミーらしい回でしたが、狂気度は今まででダントツに高かった気がします。
 
問題は、上のコマを見た時のやすなの感情。
誰が死んでようとショックは受けると思う。
友人が死んでたら、そりゃショックも受けるだろう。
ただ、これが「オチがある」と楽観視しづらい。
なぜなら、ソーニャは殺し屋であり、いつ殺すか、殺されるか、分からない、ありえるから。
 
昨日、ソーニャに手を振って帰った。
次の日の朝、ソーニャは学校に来なかった。
先生は「急な用事で転校」と言っていた。
やすなが見たソーニャの机には、物一つ残っていない。
 
そんな日が来る可能性は、やすなだってわかっているはず。
だから殺し屋をやめさせようとしているんだし(最近やめさせてないな?)。
 
ただ、やすなとソーニャの日々は、安定していけばいくほど、ソーニャの「虚構」がやすなの「現実」にすり替わっていく。
やすなは、ソーニャのことを何も知らない。
でも、多分だけど。
「知らない」ことは、やすなは「知っている」。
 

●「普通」なんてそもそもない●


何度か紹介している「キルミーベイベー ファンブック&アンソロジー」より、今井哲也版キルミー。
ソーニャ側の心理が描かれることは本編ではほぼありません。
だって、それは全部「言ってはいけないこと」だから。
 
やすなとソーニャの暮らす日常は、一見普通に見えます。
でも普通ってなによ。
ソーニャの「普通」は、毎日人を殺すこと。
それは他の人にとって「普通」ではない。
 

人を殺すことはギャグとして描かれる「キルミーベイベー」。
ただ、慣れてはいても、好んではいないんじゃないかな。
 
例えば。
親友と話している時に、相手が嫌いだとわかっている話題は、避けると思う。
それが思いやりだから。仮に軽いウソみたいになっても、いわゆる「方便」。
他にも「聞かれないから言わない」こともある。ウソではない。
でも「内緒」ではある。
 
ソーニャも同じ。わざわざいう必要がないというのもある。
しかしそれ以上に「言ってはいけない」から人殺しの話題は避けている。
それはウソだ。ウソをいうのも仕事だ。
ソーニャがやすなに聞かれないから言わないことは山ほどある。
ただの「内緒」だ。言ったら、もしかしたらソーニャのみならずやすなに被害がいくかもしれない。
 
ソーニャとやすなの日々が保たれるには、「虚構」の「普通」を用意しなければいけない。
 

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近藤るるるの「アリョーシャ!」を思い出します。
アリョーシャ! 01 (ヤングキングコミックス)
彼女も暗殺者。隠して生きています。
とはいっても彼女の使命は「普通(この普通はマスの人間が過ごす普通)の学校生活」を送ること。
しかし狙われる。だから、殺す。それを、他の子は知らない。
 
ここまでくると、吉良吉影とかも「虚構」をもってして静かに暮らしている人間。
吉良吉影が罪だと言って滅せられねばならないのなら、ソーニャもいつか滅せられるんだろうか?
 
殺人というとどうしても大きな話になっちゃうけどね。
でも多くの人が、自分の全てをさらけ出して生きているわけじゃない。
人によって使い分けたり、秘して棺桶まで持っていく思いを抱いていたり。
 
どこかで「虚構」を持つことで、日常は静かに続いていく。
 
 
 
 
 
 
 
おわり。