たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

愛した本に耽溺すること。

大人になってから「大人買い」を覚えてしまい、浪費することにエクスタシーを感じてしまっている自分がいます。昨日の買ったもの写真見たら明らかですね。これにくわえて文庫本とか買ってるからたちが悪い。読むスピードがついていけてないです。一旦ストップしなきゃ。
そうなると、読むのも「こなす」ように読んでしまい、好きなのはこっち、とりあえずもういいかなってのはこっち、と本棚の配置も分けてしまいます。
 
「今日の早川さん」逆鱗(coco's bloblog)
かーっ!
「読むたびに新しい発見のある本ってありますよね」という早川さんの意見には、心底同意ではあります。本や音楽や映画を視聴するときって、その時々の気分で大きく物事は変わって見えますしね。特に音楽ジャンルはそうかもしれません。一回聞いて感動してもう聞かなくていいや、ならその程度。
しかし、「文章」となると別物のようです。
自分は「銀河鉄道の夜」と「不思議の国のアリス」と「寺山修司少女詩集」はバカなんじゃないだろうかと思うくらいサルのように繰り返し読んでいます。もちろんいいわけのように「読むたびに新鮮りゅん☆」なんて言いながら、いわばコーヒーのように気分転換用にカバンに必ず潜ませています。いや、実際その時々に新しい発見ありますよこれらは!(妙に強調するのはちょっと岩波さんの言葉にギクッとしてるから。)
 
んじゃ、岩波さん(左)の言葉、間違いかというと、これごもっとも。
結局自分が「銀河鉄道の夜」をどのように読んでいるかというと、流し読みなんですよね。読むたびに確かに気持ちリセットされるし、その言葉がアルコールのように全身を廻って最高に気持ちよくなるんですよ!んじゃ本当に読み込んで理解してその本に敬意を払っているかというと、すいませんカナブンよりすいません、って気分です。喫茶店でお茶のみながらだらだら読んでるくらいです。書物という物に向き合うというよりも、嗜好品、一服のタバコ状態です。大好きなんですけど、言葉一つ一つをめでているとはお世辞にもいえません。
でもラノベやSFやホラー・推理小説、マンガだったら少年マンガや少女マンガなんかなら、別に楽しければいいじゃない?なんて気持ちもやっぱりあるんですが、この言葉にはグサっときました。

修行中とは言いつつも、まだ本を読み始めたばかりの幼い頃、必死に世界を理解しようと一冊一冊の本を丹念に大切に読んでいたあの頃にはもう二度と戻れないような気もしますし。

ミヒャエルエンデの「果てしない物語」「サーカス物語」を夢中になって読んだ小学生の時。「ゲド戦記」のテーマの重さに苦戦しながら読み解いた中学生の時。宮沢賢治寺山修司に出会い、その一言一言をノートに模写した高校生の時。その時の気持ちを自分は持っているのか?
なけなしの小遣いでハードカバーを買って、一言一句まで大事にしながら読んでいたあの気持ちで本に接しているのか??
どうしてこんなに本が好きになったんだろう?
きっと、このときの、「こんなに好きな文章があるんだ!こんなにすばらしい言葉があるんだ!」という気持ちが、根を張ってるからなんだろうなあ。
やっぱり、本が好き。
 
ついでに、オタなので、マンガやアニメにも置き換えます。
今はPC録画ひょいひょいー、DVDもちょっとがんばれば買えるー、でなきゃレンタルー、という気持ちになっちゃってて、夢中になってその日のアニメ放送時間を心待ちにすることがなくなりました。マンガも発売日が待ち遠しくて書店に毎日通い、買ったら全ての本にカバーをしていた日々。今は積み本。
これはまずい。
もちろん新しいものを次々に取り入れて数をこなすことで増える知識もあるし、娯楽として読む楽しみもメディアの形だと思います。しかし、子供のときに夢中になって感じた世界への快感を、取り戻すことはできないけど、手を伸ばす努力をしてみるのもいいかな、と思いました。
とりあえず読もうと思ってまだ読んでないレーモン・ルーセルの「ロクス・ソルス」とリラダンの「未来のイヴ」ちょっとマジモードで読み込んでみるとするか。何ヶ月かかってもいいや。
といいつつ、今日もお守り代わりに「銀河鉄道の夜」をかばんに潜ませるのでした。ライナス症候群?
 
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