たまごまごごはん

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空間の魔術的コミック「連人」

マガジンZで、心待ちにしていた吉富先生の新作マンガが始まりました。
題名は「連人」(ツレビト)
まだ「RAY」は読んでいないのですが、「BLUE DROP」で激ホレしたので鼻血を撒き散らしながら楽しみにしてました。
今回の作品、とにかく空間描写が異常です。その巧みの技にあまりにも感動したので、色々書いてみたいと思います。
 

●その視線が、不安感を煽りまくる●


物語は少女が、ある少年に告白するシーンからはじまります。
はじまる…のですが、いきなりそこから構図が大回転します。
ありえないくらいカメラは少女の周りを回転し、めぐるましく角度を変えます。はっきりいって、2ページで酔う。すごい幸せあふれるシーンのはずなんです。なのにあんまりにも変わるから、不安で仕方なくなります。
誰かの視点、にならないんですよ。第三者の視点にしても明らかにおかしい。
こんなにラブラブで幸福なシーンをそのまま描きながら、落ち着かない感じにさせるのは技巧だと思いました。

そして、何気なく気づいたら自分の部屋に。
しかしやはり視線はおかしな方向へ。
ここでみんな一斉に「これはおかしい」と感じさせる強烈さを光らせます。見た目的には全く持って普通なんですよ。だけどその心をおかしな方向に導くのを、アングルだけでやってのけるところにホレます。
ホラーの手法、かもしれません。ホラーマンガ詳しくないんですが。
この一連の流れが絶妙なのでぜひ本を手にとっていただきたいです。
 

●ゆがみは、突然に訪れる。●

実際にストーリーを味わってほしいので、なるべくネタバレしない方向でいきます。

気が付くと世界は一気に歪みへと向かい始めます。その歪み方1コマ1コマの完成度が、イラスト的な繊細さも背景の書き込みの攻撃性も強烈です。全てのコマに見る価値があるんじゃないかと思うほど。
いくらなんでもべたほめすぎだと思うかもしれませんが、いや、まじほめるって!今月は見開きが多いんですが、その一つ一つの持つパワーが、物語的にも情報量が異常で、あらゆる角度から見た町の姿を一枚のイラストにつめこんでいるんですよ。
この人の作品は他の作品も、背景と空間へのこだわりが特別なのですが、今回はそれを特に生かしている感じです。
空間の歪みで、その心情と環境の狂い方を描写していくんですが、この歪みには美学があると思いました。
大友克洋的…うーん、ちょっと違うんだよなあ。押井守風…でもなんだか終わらない日常というよりは何もかも終わってしまった虚無感が、こみいった中にあるし。うーん。うーん。
・・・はっ!これだ!

アニメ「迷宮物語」の第一話「ラビリンス・ラビリントス」
これだ!個人的にこの終末観にぐっさりきた!
迷宮物語 [DVD]
さて、このアニメ自体は物語があるかないかというと、ほとんど物語に意味がない話なんですよネ。
いや、あるんだけど、映像の「懐かしい」はずなのに「もう戻れない」終末観があまりにも美しく楽しい。その場所にいたいという感覚と逃げ去りたいという感覚とが両立する。子供視点から、ばしっと止まった視点、ぐるぐる回る視点が人を酔わせながら、終わっていく夕暮れの世界に導きます。
抜けられない路地裏と少女のいる空間は、何かを消失していきます。そう、少女だからいい。
 

●狂った空間に、ただよう少女●


「連人」は青年、老人、少女がなにやらストーリーテラー的な役割を果たす立場として現れますが、個人的には少女ミヨを強烈にプッシュしたいです。
彼女の動きの一つ一つは、「少女」ではない、「少女的」です。その少女的エッセンスをぎゅうぎゅうに濃縮して自由気ままに動き回っているんだこれが。
まったくセリフはないんですよ。目も全く変わらないんですよ。ポーズも明らかにおかしいんですよ。
だけど、空間の歪みの描き方が特殊だから、そこにたたずむ少女もまた特殊でなければバランスが取れない、というか、溶け込んでいるんですよね。
加えて、黒いセーラー服がおかしな郷愁を誘います。おかしいって言い方もアレですね。でも「おかしい」郷愁なんですよ。ただの懐かしいじゃない。うーん。
夕暮れの町で、味噌汁の匂いが家々から流れて、もう帰らないと誰かにさらわれるのではないかという不安感に襲われながら家路を急いでいたのを思い出すとき、その不気味さと懐かしさが噴出すような感覚。
彼女の存在そのものが世界をこれから作っていくのだろうな、という予想をしつつ、うちのサイトらしく「ミヨの脚に注目したほうがいいよ!」と声を高らかにして言いたいんですヨ。
いやいや、なんか今のでだいなしになったとか言わないで。
 

●「はだし」の魔術師、吉富先生。●


吉富昭仁先生の描く少女の魅力は、絶対「はだし」です。心の底からこれは言いたい。
靴をはいていて、脱げるシーン、普通なら部屋の中で靴下じゃないですか。制服着たままなんだしさ。でもはだしになるんですよ。靴と靴下いっぺんなんですよ。どうよ!…ふうふう、興奮しすぎです。
吉富作品の少女のはだしって、足の指がちょっと長いんですよね。だからこそ、脚のラインから指先にかけてがものすごくきれいなんです。
いずれじっくり時間をかけて「はだし」について書きたいのですが、吉富先生はほんと外せません。
先ほど書いた「ミヨ」も、革靴にはだしですよ。革靴なのに。革靴なのにですよ。
この脚とはだしの美しさはほんとうにすばらしいです。トーンなどで陰影がまったくつかないんです。彼の描く少女は服にどんなに影が入ろうとも、脚は白いんです。男性は影が入るのに。
なぜか。「少女的」だからです。
男性も非常に魅力的ですが、徹底して「少女性」を描こうという姿勢が感じられます。これは本当に少しでも多くの人に見ていただきたいのです。
 
題名で「空間の魔術師」とか書いてありますが、もう一つ見るべきところははだしです。
絶賛しすぎな気がしますが、「少女性」が好きな人ならゆがんだ空間とともに心底楽しめる新連載です。毎月このはだしを楽しめれば最高なんだけど・・・!いや、毎回はだしはないか。
 
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