たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

はいずりまわる少女たちを再び殺しに行こう。マンガ版「ステーシー」

なんか他のマンガのこと書こうと思ってたんですが、オーケンのことしか考えられない状態なので、そのままの脳みそでいきます。
大槻ケンヂ作品のマンガ化は昨日書いたとおりですが、その中でも異彩を放ってグロテスクで美しいのが長田ノオト版「ステーシー」です。1巻完結な上に、マンガとしてもかなり面白いので紹介してみます。
とはいっても、グロが苦手な人にはオススメできません。文庫の方は買ってないのですが、表紙からしてえらいことに。

とてもじゃないけど本棚に表紙を向けては飾って置けません。しかし逆にこれで「キレイ!」と思った人なら間違いなく内容は楽しめるのではないかと思います。表紙をあえてこうしたのは、ちょっとした試金石なんでしょうね。
 

●はいずりまわる少女たちの屍を再び殺そう。●

15歳から17歳の少女たちが突然死に、さらに数時間後「歩き回る屍(ステーシー)」と化す現象が世界中で起こっているだろう。

そう、動き回る死体となった少女に語りかける主人公。この設定を文字で読んだときはあまりのシュールっぷりと、少女至上主義に感激したものですが、それが絵となるとさらに強烈になります。
処理するために集められたステーシー(ちょいグロ注意)
鼻フックとギャグボール(口にはめて拘束具にするやつの正式名称はこれらしいですヨ奥さん)をつけた少女たちを暴れないようにしばりつけ、太ももには識別のためにカッターで名前を掘り込む。もちろん死んでいるから痛くも苦しくもありません。
そんな姿の少女たちが大量に登場し、とにかくびしばし殺されていきます。しかもただ撃って死ぬわけではなく、「165分割くらい」にしないといけません。このへん、大槻ケンヂの言葉のセンスが光りすぎなのですが、それをマンガとして表現しきった長田ノオト先生もすごい。主人公は淡々とばらし、淡々と片付けます。その仕事っぷりに「パズル屋」と呼ばれるほどに。
各地でステーシー現象は続出し、色々なキャラが色々な思いを持って「少女だったもの」を片付ける様は壮絶。

これが日常風景としてナチュラルに長田ノオト先生は描きます。もちろんそれが自然な光景として描きこまれてはいても、彼らは決して自然な心では「もう一度殺す」ことはできるわけがない。その部分がいかに狂った状態なのかをものすごい勢いで描写されています。
かなりグロテスクなシーンの連続なのですが、だんだん読んでいると慣れてくるのが恐ろしいんだこれが。

少女たちはステーシー化しているので、性欲は男同士で満たす。そして鬼畜攻めデス。
そのシチュエーションがまた強烈で、ゴミ箱の中でバタバタ少女の切り落とした首が動いてる横でコトをいたすわけですよ「俺に抱かれているとき声出すよな」とかいいながら。このへんの歪みをテンポよく描き、その世界観を叩き込む描写力は長田ノオト節だと思います。
 

●少女=崇高な物=オブジェ●

マンガ版では少女だったものの体をばらし、それで遊ぶ様子が非常に凄惨に、同時に美しく描かれています。破壊されるステーシーたちは断末魔もあげず、のどの奥からぐげげと空気をもらしながらバラバラにされても動き続けるのですが、そのへんがオーケン長田ノオトの「少女美学」なんだろうなと思います。

それを象徴する存在であるモモ。他のステーシーが知能のないただ動く物体なのに対し、彼女は非常に美しく、そして気高くあります。でもちゃんとした死体です。物語は彼女の存在が軸になって展開していきます。
 
マンガ版で描かれている少女たちは、手を伸ばしても決して男性には手の届かない偶像でありながら、同時に思い通りにできるペットやオモチャです。

原作の挿絵。オーケンの「飼いならされた少女という名前の何か」というイメージが、マンガ版ではさらに強調されていきます。ステーシーは「愛した」存在で、「歯向かう」存在で、「美しい」存在で、「手に入る」存在。
このへんマンガ版でも十分に楽しめます。しかしやはり原作と読み比べて、それぞれの持つ少女像のイメージを比較してみたり、その末路の印象の再現度を読むと何倍にも印象に残る作品になります。絶対。
 

●その他のオーケン詩集マンガ●

この本には、ステーシーのほか、詩集「リンウッドテラスの心霊フィルム」からのマンガ化「なつみさん」「モンブラン」「電波虫」が掲載されています。
マンガも単発でも十分楽しめますが、筋肉少女帯楽曲を知っていると100倍楽しめますヨ。詩集のショートストーリーを独自解釈して味付け。「あー、筋少ってこういう風にも受け取れるのか」という見方も提示してくれます。
 
電波ばりばり。トラウマの表現も、読んでいるこっちが軽く「なんちゃってトラウマ」になりそうなくらいです。特に「モンブラン」は思い切り「ヤンデル(レではない)」なので、好きな人は必見。あ、ネコ好きは見たらダメ絶対。
 
そういえば「電波」って言葉、もともとあったようですが、間違いなくオーケンの影響で浸透した気がします。今のオタク業界で電波・毒電波の用語を見るのは、確実にオーケンの影響力なんでしょうねえ。すごいぜ電波とアンテナ。
 
不条理と電波と少女(とちょっと鬼畜BL)が詰まった長田版ステーシー。何度も書きますが、グロいのや精神的不安定な作品がダメな人にはオススメできません。逆を言えばそれだけの要素が「面白い」わけですヨ!
ただなんというか、「捨てステーシー」をちょっとでも「飼いたいなあ」と思った自分はかなりダメな気がして自己嫌悪。いや、かわいいんだって。でもねえ。うん。
 
〜関連記事〜
大槻ケンヂとマンガ家。関連リスト
 
ステーシー まずはオーケン原作をオススメ。そこまで長編でもないので、割と一気に読めます。文庫も出ているようです。「臨死遊戯状態(ニアデスハピネス)」「ライダーマンの右手」など名言揃いすぎ。
 
ステーシー コミック版 (角川ホラー文庫)コミック(AA)
リンウッド・テラスの心霊フィルム―大槻ケンヂ詩集 (角川文庫―ニュースタンダード・コレクション)(AA)
(リンク先は文庫版です。注意。)