たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

そしてコウモリは黙して語ることがなかったのであった。筋肉少女帯「サーカス団、パノラマ島へ帰る」

曲目
1、サーカスの来た日(inst)
2、ビッキー・ホリデーの唄
3、詩人オウムの世界
4、労働者 M
5、アメリカン・ショートヘアーの少年
6、23の瞳
7、電波Boogie
8、パノラマ島へ帰る
9、航海の日(inst)
10、また会えたらいいね
11、お別れの日(inst)
12、元祖 高木ブー伝説

すいません、レンタル落ちで買ったので、シールはがれませんでした。
おそらく筋少のアルバムではトップレベルの枚数をたたき出したのではないかと思われる今作。今まではカルトな歌手だったのが、「元祖高木ブー伝説」で一気にメジャー歌手として躍り出ます。その記念碑的作品です。


ブックレットも絵本になっていて、非常に豪華仕様です。アルバムのつくりとしては一番好き!という人も多いのではないでしょうか。
しかしこのアルバム、確かに名曲ぞろいなのですが、オーケン本人は「あまり好きではない」と言ってしまっていました。ちょっとそのへんもあわせて記しておきます。

まず基本的に、メタル系の曲がほとんどありません。どちらかというとゆったりしたテンポの曲が多く、インストゥルメンタルも入るため、暗い雰囲気が演出されています。
そして、ナゴム時代の曲が非常に多いのもポイント。橘高色はまだあまり表面に出ていません。だから今までのファンにはうれしいアルバムでも、新しく聞いたファンがさかのぼって聞くと物足りなさを感じるかもしれませんネ。逆に「サーカスの暗幕をあけるような気持ち」で偏見なくCDを聞けば、その怪しさに心酔できることでしょう。
3曲目「詩人オウムの世界」は某宗教とはまったく関係ありません。むしろそのシンクロ度合いにびっくりしていたくらいです。気が触れた詩人が詩を作り、風に乗せて流してこの世を燃やし尽くす。このテーマも後のさまざまなシーンに出てきます。時にはオーケン本人のどろどろした欲求だったり、時には「ノゾミカナエタマエ」の呪詛だったりするのかもしれません。
労働者M、23の瞳ナゴム時代の名曲。12人いるけれど、瞳が一人にごっているから23しかない、という曲。ナゴム版では「片目」ですが、どうもアウトだったようです。
眼といえば、オーケンの有名なエピソード。とある教師に「お前の目は死んだ魚のようだよ。」といわれたそうです。いやあ、すごいですねえ。そのへんの鬱屈と、他人とのカベが表現されているのかもしれません。
5曲目アメリカンショートヘアーの少年」もまた、オーケンお得意の猫の登場。演奏形態がちょっと特殊な曲です。間奏はキングクリムゾンの「21世紀の精神異常者」を彷彿とさせます。
7曲目がもっとも筋少っぽい、といえばそういう感じの曲です。なんせ「電波Boogie」ですからね。アリゾナ砂漠のタワーにピエロがいる、という絵柄は非常にシュールでオーケンらしさ全開。このピエロって某殺人鬼のポゴのことなでしょうかねえ。これが「自分の道化師の姿」をあらわすのか、「電波的で狂ったピエロ」をあらわすのかはわかりません。
参考・笑顔か、あるいは狂気か - 道化恐怖症とは
8曲目の「パノラマ島へ帰る」で、サーカスはゆっくりと帰っていきます。非常に短い歌なのですが、なかなか強烈な精神状態を思わせる歌です。無論元ネタは江戸川乱歩

誰も詩など聞いてはないし、この世界がみな作り物なら、港につながれたサーカス団のあの船に乗って流れていこう。

これがオーケンの心なのか、あるいは世界の希薄さを表すのかは聞く人次第でしょう。パノラマ島というユートピアへ逃避して、オウムのように世界を憎む詩を作る。今回のアルバムは全体を通してそのような絶望感と怒りに満ちているため、ゆったりとした暗さを抱え込んでいるのです。
 
そして10曲目「また会えたらいいね」では「結局僕らはだまされているんだ、一緒じゃないんだ。分かれた後はすれちがうんだろうね」と題名に反するようなネガティブな心のトラウマを暴露していきます。
逃避したかった「シスターストロベリー」、そこでの危険や逃げられなさを見つけた「猫のテブクロ」、そして大ヒットして「気がつかなきゃ。しかしどこかへ逃げたい、どうすればいいのだろう」という悩みを、サーカスの幻影とともに織り上げていく「サーカス団パノラマ島に帰る」。
 
ここで大ヒットを飛ばした名曲をラストにもってきます。

元祖高木ブー伝説
PVが面白いのですが、削除された様子。残念。こちら歌詞。
この曲もナゴム時代の作品ですが、高木ブーさんがすんなり許可をしてくれたという非常にふとっぱらな一曲。すばらしいですね。
決してコミックソングではなく、自分のいる存在価値はドリフのコントにおける高木ブーのように、居場所のないものなのではないのか?と問いかける、なんとも精神的に痛いところをつつく歌。ああ、あるよ、高木ブーになる瞬間があるよ!
結局愛する人とも別れ一人きりになり、高木ブーのような無力感に襲われ、アイデンティティを見失う。そんなところを赤裸々に、おかしな言葉でつづるものだからファン層が一気に広まったといえる一曲です。もっとも、コミックソング扱いの場合も多かったのは確か。微妙なラインですね。この後に続くCDで、筋少ファンは振り分けられることになります。
 
CD全体にぼんやりとした不安と重く暗い空気がただようことになった、そんな記念碑的アルバム。ちょっと特殊な感じがしてなりませんが、そのあたりがなんとも、暗闇にいて島に帰ろうとする、怪しいサーカス団的でなかなか酔わせてくれるのです。
 
次回は自分がもっとも好きなアルバム「月光蟲」。
 
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大槻ケンヂとマンガ家。関連リスト
ちょっとずつ追加してます。
「筋少のライブにいったまま、帰ってこなかった…」筋肉少女帯「仏陀L」
脳髄は人間の中の迷宮であるという観点からあえて許そう。筋肉少女帯「SISTER STRAWBERRY」
どんなにつらくともこれでいいのだ。筋肉少女帯「猫のテブクロ」