たまごまごごはん

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「『苺ましまろ』美羽の横っ腹をどう捉えるか問題」とオタクの視点

●動かない美羽●

世の中の人間は二つに分けることができる。
美羽の横っ腹を笑える人間と、理解しようとする人間だ。
 
昨日の記事にも書いたんですが、どうしても理解できんのですよ。
苺ましまろ」なんぞ知らん、という人もいると思うので、適当に関係あるとこだけ説明。

1、基本的に大きなストーリーはなく、一人の女子高生と数人の女子小学生達のまったりライフを描くマンガ。
2、キャラクターの一人、美羽が異彩を放って目立つ。
3、かわいいは正義

大切なとこ省きまくりですが、こんなとこでしょうか。
 

とにかく美羽の行動が突飛で、この作品を動かすエンジンになっています。
ところがですよ。とある回で、彼女がずっと、微動だにしない回があるわけです。
 

横っ腹が痛い美羽。
普段は縦横無尽に駆け回る彼女ですが、この回に至ってはまったく動かないわけですよ。
 
ここで、「本当におなかが痛い」という選択肢も出るわけですが。

動いてる。ちょっとだけ。
んー?なんかあるような気がしてきました。
 
しかし、最後の最後まで、彼女は動きませんでした。

ひたすら無視され続ける美羽。でもチョコは、ちゃんと置いてるんですよね。
んで、これが電撃大王で読んだときから謎で謎でしかたなかったんですよ。
これはどういうこと?
 

●これには何らかの意味があるのではないか派●

まあ、自分なんですが。
ウケねらいの美羽の行動だとすると、アクティブではない上に周りからはなんの理解も得られない彼女の行動には、何らかの意味があるんじゃないかなあ、と思ったわけです。
イメージに浮かんでいたこと一覧。

・美羽は伸恵姉ちゃんが好きだが、話題が「バレンタインに誰か好きな人にあげるか」になっているので、どうにも気になって仕方ない。でも騒げる元気はない。
・千佳と一緒にチョコを作ったものの、自分は伸恵に渡す分を準備しておらず、いたたまれない気持ちになった。
・バレンタインということで伸恵に注目がいっているが、自分にも注目してほしいので(主に伸恵に)奇抜な行動を取った。
・チョコを渡せない状態であったけど、ホワイトデーに伸恵に何かもらえることに気づき、しまった!と思いつつも一旦はじめたネタを中断できずにいる。
・千佳と一緒に作ったチョコが壮絶なくらいまずい。けど言えない。

なんか次々と出てくるのですが、確証たる証拠がないのでなんともいえません。
WEB拍手より。

23:28 ましまろ5巻の美羽の横っ腹いたいは いわゆる 女性特有のアレが 美羽にきたのかと思ってたんだけど

これ、ちょっとありうると思いました。
この回、ものすごくいろいろな捉え方ができそうな気がするんですよ。それこそ、「苺ましまろ」っていう作品がゆらゆらした人間関係を保ったまま、オタク文化の象徴のような作品にまでなったその一因が美羽にあるとさえ自分は思っているので、美羽の行動やネタは一つ一つ気になって仕方ないのですヨ。言葉遊び、行動、ギャグ、空気の作り方。なんかこの独自のテンポにこそオタク的な「正義」があるんじゃないかと考えたら、えらく美羽の「横っ腹が痛い」は気になりませんか?なりませんかそうですか。
 

●いやいや、「何もしない」のが面白いんじゃないか●

しかし、何人かに「これわかんないんだよ!どうだとおもう?」と聞いたところ「いや、これは横っ腹が痛いってのが面白いんじゃないか」との反応。
へっ?

なんの意図もなく横っ腹痛いっていうのが、
いちばん面白いパターンじゃないかと思うのですが
(コメント欄より)

「とにかく横っ腹が痛い」「ずっと痛くて動かないのが面白い」
正直眼からうろこでした。
ものすごくそこに「意図」を見出そうと躍起になっていたのですが、普通にギャグマンガとしてみた場合、これ確かに「動かないのが面白い」なんですよね。
苺ましまろ」の人間関係に何らかの思い入れや意義を感じている、そんな自分の色眼鏡を感じた瞬間でした。
 

●「苺ましまろ」と、オタクのぬるま湯と●

作品に対する初期の捉え方でこういう差異が出るのかなあと思いました。
どうも、自分は「苺ましまろ」に対して「百合風味を持ったマンガ」としてとらえているのかもしれません。そうなるとそれぞれの動きの機微や、キャラ間の距離感とかすっごい気になるじゃないですか。
その視点で改めて読み直すと、すべてのキャラ同士の配置に意味があるような気がしてならなくなります。実際あると思うんですよ。


一つの部屋の中で、それぞれ一定の距離を保ってるのがこのマンガの特徴だと思います。密着するシーンも多いのですが、どちらかというと人と人の間に空間があるんですよね。しかも、二人きりとかがほとんどなくて、いっぺんにたくさんのキャラが同じ小さな部屋でごちゃごちゃやっているから、なお距離を感じます。1人称視点ではなく、部屋全体を見渡すからかもしれません。
この距離感や、同じことやってるようでバラバラに個々が動いているキャラの感覚に、なんだかぬるま湯のような心地よさを感じます。
そのぬるま湯っぽさこそ、オタク的な「正義」を自分は感じました。ほかにあげるなら、「ぱにぽに」「らき☆すた」あたりでしょうか。それぞれ好みは人によって大きくわかれる作品だと思いますが。「あずまんが大王」はちゃんと時間が経過するのでちょっと違うかも。
あと、「涼宮ハルヒの憂鬱」のSOS団。これもぬるま湯で心地よいんですよね。
「かわいい」→「少女像に自分を溶かし込んだ世界」→「萌えの感覚」
よって「この時間のとまったようなぬるま湯感は、正義」。オタク的に。
 
苺ましまろの空間」はとにかく時間が流れていないような感すらあります。美羽が引っ掻き回すので、そこそこ濁流的に流れを感じることもありますが、その美羽がぞんざいに扱われて、ほかのキャラたちがぽやぽやと、やっぱり距離を保ったまま過ごしているから、妙な安定感あるんですよネ。
んで、ここでオタクっぽいことを言っておくと。
「この空間に混ざりたい。」
少女になって。
 

●まあ待て、これはギャグマンガだ。●

そこまで思い入れが強く、自分のような温泉で一服したいようなオタ視点で先ほどの美羽を見ると、急に動きをとめた彼女にとてつもなく不安を感じるわけですよ。よくコメディで、普段元気な子が静かにしていたら「えっ!何事!ひょっとして病気!?」っていうパターンギャグあるじゃないですか。そのパターンで騒いでいるキャラが自分、という具合に。
だって、動いてるのがその空間の「当たり前」だから。
だから彼女の心に何か動きがあったのかな、とかいろいろ考えてしまうわけです。
 
しかし、これは「ギャグマンガ」。
美羽が意味のない行動をするのが面白いってのもまた事実。全体の流れとしての彼女の行動ととらえたら、単に「面白いことをしている美羽」がそこにいるだけなんですよね。自分はそう考えられない、自分内「苺ましまろゾーン」を作ってしまっているのですが、改めてそれに気づくとものっそい新鮮な気持ちになります。
どちらが正しいとかはないですが、その最初の「読み方の入り口」で、見え方ってものすごい変化する気がするのです。非常にオタクな意味で。苺ましまろ空間が、「終わりのないユートピア」とみるか、「子供がわいわいやってるほほえましいとこ」と見るかだけでもずいぶんこの作品の見え方は変わってきそうです。
 
・マンガのキャラの行動に一つ一つ意味を考えて楽しむ。
・マンガの流れを重視して、感覚で楽しむ。

どっちも、楽しいんですよね。
はて、あなたはどちら?
 
んで…美羽のこれは結局なんなのでしょう(永久ループ)
 
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踏み込んだオタクが見えるものと、見失うもの。
まあ、わかったところで自己満足でしかないのですが、それでも気になっちゃうんですよねェ。
苺ましまろ 5 (電撃コミックス)