たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

レッツプレイ、深読み&邪道読み。

●トトロ死神説とのび太植物人間説●

「トトロは死神」「影がない、メイは死んでる」等の都市伝説を信じた視聴者から問い合わせが殺到…スタジオジブリ(痛いニュース)
昨日も紹介したのですが、コレを見て「面白いねー」と感じる人と「なんでそんなゆがんだ見方なの?」と感じる人に分かれるんだろうなあ、と思ってました。
ちなみに自分は前者です。
とはいえ「となりのトトロ」に安らぎとあたたかさを感じたファンからしたら、メイが死んでいたとか、お母さんの妄想だったとかって話は気分が悪くなるだろうな、というのも分からんでもないです。
 
この手の都市伝説で真っ先に思い出すのは、ドラえもん最終回説でしょうか。
バリエーションは非常に多く、感動的なものも多いのですが、自分が小学生の時に聞いたのは後味のなんとも悪いものでした。
実はドラえもんは存在せず、すべては交通事故でのび太の見ていた妄想だったという最終回、という話。聞いたことある人も多いのではないでしょうか。
今聞いてもあんまり気持ちのいいものではないですネ。
しかし、そういう話が生まれてくる背景が興味深くてなりません。
 

●オタが作品を愛しつくしたときに、次に出る行動は?●

特にマンガ・アニメに興味ない人は、トトロ死神説なんかは考えもしないだろうな、とは思います。んじゃ死神説を唱える人はアンチなのか?というと、全く逆でそこには作品愛すらありますよね。
オタク生活送ってきた自分や周りの経験からの話ですが、一つの作品にどっぷりのめりこんで好きで好きで仕方なくなると、見たり読んだりする次のステップに踏み出すようになります。
そのステップの方向性が、個性の分かれ道。

1、その作品を、できるだけ原型のままとどめて自分の中で補完する。メディアミックスとかはあまり好まず、原作至上主義。
2、できるだけ多くの人に布教しはじめる。共通の話題で盛り上がることをも好む。
3、作品について徹底的に調べたり、関連作品や作者について知らないことがないようにするくらいまで掘り下げる
4、その作品を別の角度から見たり、二次作品でキャラクターに別の動きをさせてみたりして楽しむ。

1のタイプの人は、人がどういおうと気にせず、自分だけで楽しめればいいという感じで宝石箱にしまいこみます。特に自分からアピールすることもないので、人から見たらわからないのですが、まぎれもなくその作品を愛しています。
 
2の人は結構多いですよね。アニメ化やCD化も一喜一憂しながら盛り上がったり、好きな同志を集めて話し合ったり。コミュニケーションそのものが好きな人かもしれません。作品の率直な感想を語り合うのって、ほんっとに楽しいですよネ。
 
3の人は学者タイプ。深く深く知識を掘り下げてためていく人。アニメ一本好きなのあったら、その会社の作品全部みるとか、関連している人について調べるとか、元ネタになってる歴史や科学にも手をのばすとか。これもまた作品への愛。そして、そういう人の話は聞いていて本当に面白い。
 
そして、斜めでうがったファンである4番。
これがまた楽しいから困っちゃう!同人誌のほとんどはこの欲求があるから楽しいのですし、「そんな読み方もあるのか!」とニヤニヤしたりできます。
例えば、「らき☆すた」で「攻め」になるのはだれかなあとか、「こなたがチョココロネが好きなのは本当は何でだと思う?」とかどうでもいいことを理由付けて考えてみたり。
こういう楽しみ方をするのが好きなオタクはものすごく多いと思います。だからこそ難解で色々な見方のできそうな含みを持った作品が出たり、「ぱにぽにだっしゅ!」のようにオタク的なパロディを死ぬほど詰めあわせてネタのオンパレードにする作品が受けたりするんだと思います。
また、作品に魅力があるからこそ、そのキャラクターの「特に存在していない設定」を考えるのも楽しい!ちょっとした1動作から話を発展させて、そのキャラの恋愛関係について妄想するのは至上の楽しみの一つです。
その1形態が801なのかもしれませんよネ。百合もネ。公式になんらかの設定があるわけじゃないところで、勝手に妄想するから、楽しいのです。
 

●自分の妄想は、時には人を傷つける●

とはいえ、斜め視点で読んで特殊な突っ込みをする話は、時として他のファンを傷つけることになりえます。
例えば最初のトトロ死神説。もちろんネタとして話しているわけですが、コレを見てショックを受ける人も少なからずいるでしょう。また、801ネタは面白いしカップリング遊びが好きな人(たとえば自分)にはたまらんのですし、全然設定を変えてギャグ化したり原作にない設定をしてしまうことで「作者には見せられない…」「他のファンが見たら怒るよな…」というのもまた分かります。だからおおっぴらに胸張りずらいのも確か。第三者が見ると一見それがキャラクター達を傷つけているような妄想の場合(エロだったり、残酷だったり)なおのことです、が、それも歪んだ愛の形だったりするんですよね、実のところ。ニヤニヤっとしながら、後ろめたさでこそこそしてしまいますヨ。
だけど…斜め視点読みの楽しさって何者にも変えがたいんですよねえ…。決して作品を大切にしていないわけじゃないんですが、好きだからちょっかいかけたくなる気持ちと、こうだったらいいなという希望を挟み込む気持ちが交じり合って「ありえない設定」作りをするこの楽しさ。一度はまったらずっと抜け出せなくなるから困る。いや楽しい。どっちだ。
 
それが人を傷つけるならどうする?どうする?やめる?
いや、自分一人の中か、仲間内だけで楽しもう!ピコーン。
こうして、今日もまた妄想仲間の輪はクローズドな物になっていくのです。むしろ、クローズドだからこそ外側も安心、という感はあります。
 

●でも、楽しいんだヨ●

そんな住み分けをした上でお互いが共存できれば最高ですよね。
そこまでしてやるのか、隠れキリシタンか?と言われたらグゥの音も出ませんが、しょうがないもんよ、そういう曲がった見方をする楽しさを知ってしまったんだもんヨ。もう戻れない。
そして、それをみんなに「オレの妄想を認めろ!」なーんて思う人もほとんどいません。「妄想してゴメンネ」という気持ちです。それをお互い見あって、あとは「アハハ」と笑って通り過ぎてくれたらそれでヨイですよー、というのがオタクの望む柔らかなクッションな気がします。
 
現実的には男女とも、オタク妄想には風当たりの強い部分も今はあるかもしれません。まあ、分かってもらえるわけはないし、ムリに分かってもらおうとも思ってないし、仕方ないところ。特にそれがゆがんだ形であることがわかっていたらなおのこと。こればっかりはお互いスルーする力を身につけた方が安泰かもしれません。
「いい加減そんな妄想あきらめたら?」と言われるかもしれません。が、だって楽しいんだもの!その妄想を捨てるってことを体がしてくれません。気が付けば脳の中は、キャラクターを見たら自動的にいろいろ余計な設定を考えてしまうオートメーション工場。俗に言う腐り脳。
そして、それは悪いことでもなんでもないからこそ、マナーと容量を守って地下でこそこそやるのです。
 
このへんの嗜好は個々でバラバラなのでかみ合うことは永遠にないだろうなあと思いました。
ただ、たまには余計な見方や妄想をするのも、面白いっていう人もいるんだヨ、やってみたらハマルかもヨ?くらいの布教はしたくなるのも、またオタク道。ああなんと業の深いことよ。
気が付けばその業から解脱する人もいるし、一生そのままの人も。
いずれにしても、今どういう見方をして作品を見たら楽しいかを分かっている人は、どういう形であれ、ちょっとお得だと思うのでした。
 
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