たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

知人妄想危険。でもネタは楽し。

WEB拍手に、面白い記事があったので紹介。

うあああー…!!ルナパ→ウテナ→どれみの流れが被り過ぎで死にたい…。ええ、確かに本編観てないのに買ってましたよ…。あーでも、ライジンオーやダガーンの時には既に脳内カップリング祭りしてた気もするです(小5くらい)。
なのでその頃には手遅れだった……というか、うわ、思い出した…。私、仲良さげなクラスメートの女子同士で百合妄想してましたよ…。うああ…。たまごまごさんもしてたらいいな…。

死ななくていいです。仲間!
それはともかく、問題は後半です。
解答からいうと、しましたね。クラスメイトのカップリング妄想。
 

●身近な人の「キャラクター付け」●

最近放映された「げんしけん2」の第五話がかなり話題になっていましたね。こっちでは放送されていないのですが、ノリノリっぷりがすばらしかったようで。さすがアニメ。
しかし、それを現実にやってますよ、という話題はなかなか普通しません。できません。できんわ!なんせその人本人が聞いたらショック受けちゃいますものね。
 
はて、んじゃはたしてそういう妄想がピョコっと生まれるのは100%おかしなことかというと、そうでもないと思うんですよ。
知人であろうとテレビの中の人であろうと、やはりそれを見ているときにはなんらかの「キャラクター付け」があります。
 
「例・Aさん→メガネ、元気、セミロング、誰にでも話しかける。」
もちろんAさんには他にも魅力も欠点もいっぱいあるのは、言われんでもわかってるわけです。
しかし、Aさんのそれらの特徴を見て、色眼鏡をかけて、瞬間的にその人の生い立ちとか、ストーリーを思い浮かべることが自分は結構あります。きっとAさんはその持ち前の明るさでがんばりつつ、コンタクトにはせずめがねでイキイキできるような人生だったんだ!とか。ええ、もちろん無関係ですが。
もちろんそれはそのAさんの人格をあえて見ないで、ステレオタイプな部分を引っこ抜いているので、非常に失礼な行為なので本人には言えません。
が、案外これって普通に人と接する際にやっていることではあります。
「○○くんてAさんと気が合いそうだよねー」
といったときにやっぱりキャラ付けしてしまう人間の目。無論それを回避する人もいるけど、自分は結構気づくとやってしまうほうです。
レッテルを貼るのとはちょっと違うんですよね。「Aさん」ではなく「Aさんというキャラ」が心のなかで誕生しているのかもしれません。
うーん、やっぱりいえないよね、本人には。自分がやられたらイヤですし。だけど心理の動きとしては、そういう発想が起きてしまうことは結構あると思います。
 

●BL・百合妄想って特殊なことなの?●

「誰かと誰かが付き合っていたら。」
というのは小学生高学年以降になればかなりの人がやったことあると思います。
それは極めて自然な感情で、「恋愛」に興味があるから。興味があったら身近なものに当てはめるってもんです。
んじゃあ、「BLや百合に興味がある」という意識がある人ならば?
「AくんとBくん仲いいよね?」「CさんとDさん手つないでるっ!」
うん、やはり自然にそんな発想は出てくると思います。なんてことはない、性別の違いだけです。
が、それに対してやっぱり「申し訳ない」「いえない」という気持ちがまれるのは、別に同性愛への偏見でもなんでもなくて、「誰かと誰かが付き合っていたら。」も強制したら人に嫌がられるのと同じように、相手の人格無視してキャラクターだけ抜き出した、別キャラだから。
もしそういうことがひらめいたとしても、それは決して悪いことじゃないし自然なことだと思いますが。
言っては、いけない。絶対に。
・・・絶対に?
 

●まず言っておこう、ネタであると。●

一番申し訳ないのは、その「現実の人からキャラクターを抜き出して遊んでいること」なので、やはりそれは言ってはいけないことだと思います。自分の楽しみのために相手を傷つけたらイケナイ。
けれど、根っこの部分の問題として、それが本気ではないことをおさえられるような仲なら、言っても平気なんですよねこれ。
そもそも、カップリング好きな人というのは、消しゴムとえんぴつで攻受交替したときに、どういう攻めをするかで1時間語り合えるっちゅうねん。人間ならもっとネタが広がるってもんです。
だから、それで興奮するかというとそんなことはなくて、あくまでもネタ、あくまでも「恋愛」「BL」「百合」という概念が好きだから、それに当てはめて「そんな妄想する自分が楽しい」って気持ちなんだと思うんですよ。
そりゃもうね、自分も街角で手つないで仲むつまじくしている女の子見たら、ときめいて、ものすごい勢いでそこにいたるストーリーを原稿用紙10枚分くらいわきあがります。
そして「こらこら、自重しろ!」といって、シメ。
この流れが楽しいんだもの、言えません言いません申し訳ございません。

らき☆すた」より。
なにがうまいって、「自重しろ!」で落としているところ、そうそう、やっているほうは一人であろうがみんなとであろうが、身近な人間ネタに関しては「こら、自重しろ!」でうまく落とす(べき)なんですよ。思いついっちゃったらしかたない、でも自重はしなさいよと。
そこを失敗してしまうと、「げんしけん」の荻上のような惨劇も生まれてしまうかもしれません。キャラ付けされるのは、あまり好まない人の方が断然多いです。
 
あくまで、冗談ってことで一つよろしくお願いいたしますよ、と苦笑してなかったことにする、そんなサバサバ感がまた楽しいわけです。
胸を張って差し出す趣味じゃないし肯定もできないです。しかし逆に言えばそれは人間に興味があるという視線でもあります。
ごめんね!と思いながら数秒だけそんなビジョンを見るのもまた、ありじゃないかなと思いました。
あくまでも「ごめんね」は最重要事項。これはナマモノカップリングに限らず、人の「萌え」探しも同じかなと思います。やっていけないんじゃなくて、「ごめんね」。
 
らき☆すた (5) げんしけん(6) (アフタヌーンKC)