たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

「ガンスリンガーガール」が「ガンスリンガーガイ」だったら僕はどう受け止めたのだろう。

GUNSLINGER GIRL」の9巻を読んだのですが、これがもうすごくてね!
んでつらつらと感想を書きたいのですが、この巻あまりにもネタバレが致命的すぎるので、ここでは書けません。とはいえ、もうもやもやと一日中ガンスリの話*1を妄想せずにはいられない日々が続いているので、その中でぼんやりと思っていた、ガンスリ像について書いてみようと思います。
 

ガンスリという、残酷な童話●

まず、「そもそもガンスリってなに?つうかジョゼ山?」っていう人もいると思うので、超大雑把に説明します。知っている人はとばしてください。
 
公益法人社会福祉公社、という会社があります。ここが恐ろしいもので、国中から集めた障害者に人工の体を与え、洗脳することで忠実な僕を作っちゃうんです。
政府のために殺人をもいとわない少女集団。それを管理する年長の男性。その少女と男性の関係を「フラテッロ」と呼びます。強烈なまでに人道的にネジがはずれた空間です。
別に、少女じゃなくてもいいんです。ただ、若い女性であるほど、義体にしやすいだけなのです。
ここで「ひどい話だ」で終われないのがこの作品のすさまじいところ。義体になっているのは、強盗に殺害されかけた少女や、幼女惨殺事件に巻き込まれた少女、親にひき殺されかけた少女や自殺未遂の少女など、みんな死にかけた経験…いや、死んだ方がましだったとすら思える経験を持っているのです。欺瞞に満ちた言葉で言えば、一度死んだ少女を救っている、・・・のかしら?

一巻より。第一話からこれなんだもの、驚愕でした。
絵的なショッキングさもそうですが、彼女が家族の死体の横で暴行を受けており、子宮もこの後失い、そして洗脳ですべて記憶を失って新たな人生を踏み出す、という設定に得体の知れない怯えを感じました。
うん、ニコニコしてるんですよ。楽しそうに人を殺しますよ。そして「がんばりました!」って微笑むんですよ。
  
少女に対して極めてサディスティックな物語を与えながらも、この作品が愛されるのは「作者が少女たちに対してこよなく愛を注いでいる」からでもあります。ここが作者、相田裕先生の描写が強烈に秀でているところだと思います。
逆を返せば、虐げることができるから、愛することができる、のかもしれません。
 

●もし、ガンスリンガーが少女じゃなかったら。●

担当官と少女の関係はそれぞれかなりばらばらで、特に9巻ではそれが顕著に出ています。
メインになるジョゼとヘンリエッタは、兄妹のようです。ヒルシャーはトリエラを守る父親のようです。ジャンはリコを道具として扱います。サンドロはペトラを恋人のように感じつつあります。
たまたま少女義体が使いやすいから、という理由で選ばれて、組んでいるだけなんです。しかし、少女たちであるということは、この作品の巨大なテーマにかかわってくるように思えてならないわけです。

少女トリエラと担当官ヒルシャーの関係は非常に微妙で、自分が最も好きな組み合わせでもあります。
もうー、ヒルシャーが不器用でね!どう娘に接すればいいか分からない父親のように空回りしています。でも彼の義体少女への愛情はものすごく深くて、トリエラに対して「条件付け(洗脳)をゆるく」「出来るだけ死なないように」と、かなり甘々な選択をします。それゆえに苦労をしつつ、トリエラと、洗脳ではない人間関係を築いていくのが魅力なんです。
 
はて、ここで表題にもある疑問。
ではこれが、少女でなかったらどうなんだろう。
正反対のキャラクター。たとえば屈強な男子だったらどうなんだろう。
筋肉隆々の兵士が、死にかけた体をサイボーグ化し、洗脳を受けて主人のために半不死身の体で、戦う!
うん、あんまり悲壮感がないです。
もちろん描写的に深まり、関係が描かれ、人間性が突き詰められるほどにその悲惨さや悲しさがびしびし伝わってくると思いますが、もし戦死してもターミネーターのように悲しさと同時に敬服の念が沸きそうなんです。

しかし、少女が傷を負い敵を殺していく様は、読者に波のような恐怖感と嫌悪感を呼びます。戦う様はそのギャップゆえに極めてかっこいいのですが、傷を負い無邪気に「ほめてください!」と笑顔を見せる少女を見るとき、担当官の心とシンクロして、耐えられないほどの苦痛を感じます。
 
これが大人の姿だったら、洗脳を受けていてもまだ比較的、絵的に受け止めやすかったかもしれません。それは「自らの意思で戦っているように」見えるから。実際は違うんだけれど。
しかし、少女の姿だと明らかにすべてを奪い去ってしまっている罪悪感と、そこにいる少女に対する得体の知れない恐怖が先にたちます。自分よりも幼く、本人にはいえない過去があり、全くの別人格をこちらの都合で植え付け、死への恐怖感を一切切り取ってしまう。
そこにいる少女は、一度一人の「人間」ではなくなっているわけです。
大人の男子ならば、不死身のサイボーグとして熱く燃えているかもしれないけれど、人間の生理的な不安感をこの作品はえぐります。踏み越えてはいけないラインを超えた、恐ろしさか、自己防衛の気持ちか。
ええ、ヘンリエッタはかわいらしいです。しかしその「かわいらしい」は、元の人格に対するものではない、作られたもの。奪い去ったもの。
そして自分は、彼女たちを見て、「萌える」ことが、怖い。
 

●奪い去りきっていない、二期生●

ヘンリエッタたち一期生はかなり投薬量が多く、体にも脳にもムチャをさせている少女たちです。薬のせいで忠実な僕すぎて、恐ろしくなることすらあります。そこが悲惨な物語の始まりでもありますが、このへんは読んでいただいた方がよいでしょう。
一方、興味深いのが二期生。ペトラをはじめとしたこちらのメンツは、薬の量が極めて少なくなっており、記憶は失うものの感情はかなり安定しており、一見普通の少女のようです。

9巻より。
一期生でいえばトリエラがそれに近かったのですが、こんなに明るく普通のやりとりをしていること自体がびっくりしましたよ。
妙な表現ですが「人間的」なんです。もともと人間じゃん、って言われたまさしくそのとおり。だけど一期生はある意味人間的ではないです。だから少女たちもカベに当たったときに戸迷いますし、それを見て担当官と読者は気が狂わんばかりに苦悩させられることになります。そこで読み進むのが辛くて挫折した人も多いかもしれません。
 
9巻は一期生と二期生の対比が非常に顕著です。もっとも二期生はほんのちょっとしか出てこないのですが、それによって一期の少女が浮かび上がります。うまい。

担当官が一期の少女たちとどう接するかは、開き直りでどうなるものではないです。読者側もそこにかわいらしさを感じますし、ええ、実際とても萌えます。
そしてそれを突き放すかのように、物語はどんどん進んでいきます。
最初から分かっていた結末。明るい二期生ですら、その結末のレール上にいます。
 
これが大人の男性だったら、ともう一度置き換えてみます。
きっとその場合、共に歩む戦友としての甘えが出るんじゃないかと思うのですよ。頼れるじゃないですか、安心できるじゃないですか。まだ、同等の存在として受け止められるじゃないですか。そう思っている時点で、きっと何かに怯えているんだと思います。
しかし目の前にいるのは、か弱そうな体をした幼い少女なのです。湧き上がる保護欲、自分がやっていることの残酷さ、なんとかしてあげなければいけないという使命感。無垢な瞳に答えることのできない後ろめたさ。
少女であり、少女でないものと共にいること。それがこの作品の最も残酷なところで、最も慈愛に満ちたところなのかもしれません。非人道的だ、の一言では片付けられない大人から見た「何か」に対する感覚を、その姿が少女であるがゆえに、読者は受け止めることになるのです。
 

●その瞳が、なにを見ているのだろう●

ちょっと話変わります。
自分はジャンという男が1巻のころ、すごく嫌いでした。

他の担当官はまだ少女達にやさしいんです。気を使ってあげているんです。しかしジャンは「道具」と言い切り、リコを過激な戦場に放り込み、時には殴り、時にはけなし、もくもくと作業のように使います。リコはかなり完全に洗脳されているので、ただひたすらに従い、ジャンのほめ言葉や抱擁を純粋に喜びます。

彼女の瞳が恐ろしいんです。リコが怖いんじゃなくて、こちら側の見ている視線の裏をえぐりだすから。
 
しかし、ここまでずっと読み続けて来て思いました。
もし自分が担当官だったら、きっとジャンになっていたと。
いや、ならざるを得なかった、それしか出来ないと。
本心ではヒルシャーのように愛情を注ぎたいです。しかしこの環境にとても耐えられません。やはり、そこにある擬似人格は、すでに本物の少女のものではないのです。それを愛して、いずれ失うことを考えるだけで発狂してしまいそうです。
ならば、きっと自分を殺して、その目的のためにジャンと同じ行動を選択してしまいます。とてもじゃないけれどジョゼのような覚悟はない。
そんなジャンも心が時には揺れます。今後ジャン・リコの道具としての扱いと、ヒルシャー・トリエラの愛情たっぷりの組み合わせがどう対比されていくのか、見ものではありながら、見たときにこちら側の心の裏が暴かれそうで恐ろしくてならないです。
しかし、もしかしたらこの作品に対して「何かを感じた人間」である自分は目をそむけてはいけないのかもしれない。途中きっと、辛くなると思うけれど。
 
そんなことを9巻を読んで思いました。
もうあらゆる方向から自分に跳ね返ってきて、共感しつつ悲しくなり、耐えられなくて悲しくなっちゃって。そんな風に思ってしまう自分が、ずるいのかなと思ってしまったりして。
しかし1巻の1話の時点でもうこうなるのは分かっていた部分でもあります。相田裕先生は、もう一つの答に向かって歩み始めている、そんなことをこの1冊でかなり感じさせられました。
相田先生。今後ともよろしくお願いします。色々な思いを込めて。
 
GUNSLINGER GIRL 1 (電撃コミックス)GUNSLINGER GIRL 9 (電撃コミックス)
GUNSLINGER GIRL DVD-BOXGUNSLINGER GIRL ヘンリエッタ (1/8スケール PVC塗装済み完成品)
だがしかし、フィギュアのヘンリエッタを飾っている自分がいて、へこむ。
ごめんなさいごめんなさい。でも少女たちのことがいとおしいのだもの。愛をこめてそう描かれているのだもの。
ガンスリって重そうだし難しそうだなあ、という人も、これからアニメ版二期が始まるので今読み始めるのはいいチャンスかも。途中ちょっと難解な部分もありますが、それを楽しむもヨシ、それをスルーして楽しむもよしだと思います。テレビ版一期も名作なので是非見て欲しいところ。エルザが動いていたのは感激しました。
 
〜関連リンク〜
一つの曲がり角を迎えたこの物語、『GUNSLINGER GIRL』9巻 (DAIさん帝国)
最期に、彼女は救われていただろうか - GUNSLINGER GIRL(9)(真・業魔伝書庫)
 
〜あんまり関係ないリンク〜
ジョゼ山
ゴリラパワー
ガンスリ保育園は名作。
 
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