たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

モテない恐怖とコンプレックス。「電波の男よ」

●モテたくて。●

モテない。
それは悪魔のキーワード。
この4文字のために、どれだけの人間が、古代から悩み苦しんできたことか。
まあ、モテるモテないの話をしてもキリはないです。答もないです。だから解答だけを求めても仕方ないんですが、モテたいですよ、そりゃもう。山のように。いや、山のようにはウソ。一人でいい。ちょっとでいい。1mgでいい。モテたいよね。
とはいえ、好きなものが多すぎて、それほどモテることを考える余裕がないのもまたしかり。やりたいことが多すぎる。
なんて生活をしていると、いざ周囲でモテるモテないの話になったとき、びゅおーっとものすごい勢いでカベが発生します。そんなん誰も気にしていないはずなんだけれども、なんだこの心にわきあがる鋼鉄の壁は。
「はー」「そうっすねー」そんなことを言う自分の中に湧き上がる、嫉妬、悔しさ、…いや違う、これは自己嫌悪だ。自分に自信がなくて「どうせ自分はもてないよ、君たちはモテ会話をすればいいよ」とひねくれる自分への、自己嫌悪だ。
気がつけば、モテるかどうかで悩むと言うよりも、得たいのしれないモンスターのような「不安」に押しつぶされて、頭を抱え込むのです。
本当に心の中にわだかまっているものは、一体なんなんだろう?
 

●モテないから、高望みしない。●

西炯子先生の「電波の男よ」の前半二つの短編は、ブスと呼ばれる女性教師と、アマチュア無線オタの後ろ指指される男性の物語になっています。

短編「波のむこうに」より。
もっさりした髪型、笑顔の浮かばない顔、うつむき加減の視点。
個人的には彼女はかわいい気がするんですが、彼女はひたすら自虐的です。今まで美人の人と比較されるがゆえに「ブス」と言われ、自分でも「ブス」と思ってしまうのです。
こうなると、辛いわけですよ。トラウマがどうのこうの、ではない。ときめきや恋が生まれても、希望や未来を夢見ても、気持ちは沈みこみます。なんでかって。ブスだから。
でも、そもそもブスってなによ、って話です。それは相対的なもの?客観的なもの?いやいや、最終的には「自分がどう思っているか」に跳ね返ってきます。自分の理想像から乖離してしまうときに、ふと自分に絶望してしまうのです。
あるときはそれは、過去の耐え難い経験のせいかも、しれません。ああいやだいやだ。
ならそんなときにどうするか。人によっては前向きに開き直る力がある人もいます。別に顔でどうこうなるセカイじゃないじゃん、と自分をさらに見つけて進む人もいます。そして、自分をひたすら押し殺す人もいます。

わかってるんですよ、わかってるんだよ。別にほんとに「モテたい」なんて思っているわけじゃない。
なあに大丈夫大丈夫、わきまえてるから。そんな高望みしないから。大丈夫、そのコンパの日は私仕事の予定だから。ないけど。
なになに?あなたずいぶんやさしいんですね。それは私があまりかわいくないから、かっこよくないから同情なんでしょう。それならいっそほっといても大丈夫、私強いから。
そんなことを、言ってしまう自分に自己嫌悪。
だれも、そんなことを言っていないのに。

このヒロインは、わかっているんです。
人の視線を気にしている自分が、恐怖に、不安に、おびえていることを。美貌だけがすべてじゃないのに、美人に憧れ、安心できるセカイにいきたい自分がいることを。
美貌なんて時代がかわればかわるし、人によって大きく見た目は変わるもの。コピーした美しさに意味なんてないんだけれども、ふと自分の容姿にコンプレックスを抱いたとき、それに憧れてしまうのは人によっては避けられない本心なのかもしれません。
 

●人の言葉とコンプレックス、私の心を切り裂いて●


短編「電波の男よ」より。
アマチュア無線が趣味で、人付き合いが苦手で、キモいと言われる彼。
言葉の暴力って恐ろしいものです。3文字で簡単に、人の心を破壊します。言っている本人は意味なんてこめていないんですけれどもね。ウザい、キモい、ダサい、クサい。
恐ろしいね。実際は大人になったら、そういうことばかり言う方が蔑まれるのも分かるんだけれども。
しかしそれが人の心に刻んだ傷はそうそう簡単にはいやされません。

まわりにいる人間なんてくだらない。そんな思いがわきあがり、「死ね」という言葉が意味もなく空回りします。3文字よりも短いよ。二文字だよ。でもまあ、口に出さないんだけどね。

だからってイヤじゃないわけがない。ああ辛い辛い。結局自分は、どうせキモいですよはいはい。
実際彼は、自殺未遂にまで至ります。といっても西先生はそのへんを明るくさらっと描きます。
 
そんなところこそが、西先生の描写の温かいところ。先ほどの女性も、この青年も、両方とも容姿や外見のことで、心の底から傷ついているんです。モテない、ということがひいては人を恨むことや不信感へ、そして自己不信へとシフトして、どんどん転がり落ちるように苦しみ痛み続ける。
そこで「前向きになれ」というのは簡単ですが、そーんな簡単なものじゃないのよね。
辛いんだって。努力しろ、と言われたらその通りだけど、時には逃げ出したいことだってあるし、寄りかかりたい時だってあるんだって。

「ブスは期待しちゃいけない。」「やめとこう、美しい過去の思い出にしておいたほうが」
容姿が決してその人の価値を決めるものではないのは、分かってはいても。やはりそれがコンプレックスになることはあるし、それは痛く苦しいんです。
そして、西先生のマンガは「そんな気持ちもあるよね」と添えます。
 

●人を好きになるということ●

しかし、結婚する相手が超美人・美男子とは限りません。好きになる相手を顔で選ぶわけではなく「なんか好きになっちゃったんだよなあ」ということは結構あると思います。

「電波の男よ」では、アマチュア無線の会話相手という、なんともコアなターゲットで描かれています。しかし、やはり言葉のかわしあい、ふれあいの絆はあるんです。
いまだと、スカイプやメッセなど便利なコミュニケーションアイテムがあります。その時に友情やほのかな恋を抱くことは、やっぱりあるわけです。不思議だよね。顔も分からないのに。でも顔がたとえ好みでなくても、きっとその人を好きになるだろうな、という確信を抱くこともあります。

心無い言葉でコンプレックスを簡単に抱かされる人間。それはつらいよね。
そして、そんなコンプレックスと関係ないところで癒されることもあります。それは人の言葉かもしれない、誰かの作品かもしれない。温かい声かもしれない。
色々な形で好きになり、そして「それでいいんだよ」という言葉が、一番の励ましになります。
意外と、今この瞬間自分も誰かに癒され、そして誰かを癒しているかも、しれないのかもね。ほんと、意外とね。
 
この2つのマンガの流れや締めくくりに関しては、色々な見方があると思います。ある人は「容姿も関係あるんじゃない?」と思うかもしれません。ある人は「恋愛ばっかりじゃないから」と思うかもしれません。そしてある人は「そんなペースで誰かに寄りかかってみたいなあ」と憧れるかもしれません。
自分は、コンプレックスはやはり色々あります。いわゆる美形になりたいと、淡く思うこともあります。っていう告白をするのが一番恥ずかしいですねこれ。でもあるよ、ありますよ。
でも、「それでいいんだよ」。ただ、人はそんなところでは見ていないよ、と言うのが、キャラ同士じゃなくて読者側の視点でそれを感じさせてくれるから、この作品が好きです。ほっとします。
だって、出てくる二人のキャラクターは、読んでいてもかわいいのだもの。見た目じゃなくて。コンプレックスに悩みながらも、あがいて右往左往して。そしてまっすぐで。
 
モテるモテないは、永遠の悩み。哲学者だってそこで悩みます。分かっちゃいるけどしかたない。
しかし、時々は寄りかかれる相手のことを夢見ながら、「それでいいんじゃない?」と言ってくれるこんな作品が、自分は好きです。

でもこんな鬱鬱とした状態を見るのも好きです。「どうせモテねーよ!」の負のパワーを観るのもまたオモシロイんだものなあ。
電波の男よ (フラワーコミックス) 双子座の女―Stayリバース (フラワーコミックス) 女王様ナナカ (リュウコミックス)
えー、なんだかんだで「電波の男よ」の主人公のメガネ君、コンプレックスメガネキャラのよさを存分に生かしているので、相当に萌えます。すげこま君をはじめ、自分に自信がなく何かにのめりこむメガネさんは、いいよね!と、サイエンティスト喫茶に一度行ってみたい自分が言ってみます。ルサンチマン的なあがきを見るのも大好きですが、時にはこんなふわっとあったかい語り口調も、心地よいものです。
にしても。この表紙のセンスのよさはお見事。
あと、なんとなく「STAYリバース 双子座の女」もはってみます。
オーケン原作の「女王様ナナカ」はどこまで収録されるのかな、同人誌分ははいるのかな。