たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

「ひらひらひゅ〜ん」に見る、コンプレックスや自意識過剰へのやさしい視点

●鬱憤、劣等感、コンプレックス●

幼い頃は、コンプレックスというものをあまり感じませんでした。
高校・大学となって、世界が見えはじめたとき、猛烈なコンプレックスに襲われ始めました。
今はちょこっとだけ視野も広がり、それほどまでコンプレックスに負けなくなりましたが、いやあもう、コンプレックスに苦しんでいた頃の自分がもし目の前に現れたら、なんと言って慰めればいいのかいまだにわかりません。
 
きっと「がんばれ!」って言ったら「がんばって何か変わるの?」と言ったでしょう。
きっと「いいこともあるよ」って言ったら「失うものも多いんだ」と言ったでしょう。
我ながらひねくれていたなあと思いますよこれ。しかしその時「なぜそういうのか」「どうしてそんなに思いつめるのか」と言われても、解答なんてなうんですよこれが。もう瞬間的にコンプレックスに責めさいなまれていて、その感情のパニックについては自分でも理解できません。
ちょっと一言言われた「きもちわるい」風なこと*1が妙に心に引っかかってしまったり、覚えてもいない幼い頃の心のキズが残っていたり、なのかもしれませんが、もっともっと混沌としていたような気がします。
そんな視界の中でもがいて壁にぶち当たる。「青春」って言葉の7割はそんなカッコワルイものでできている気がします。
 

●どうせ俺は「キモい」から。●

以前「電波の男よ」でコンプレックスを受け入れられることについてちらっと書いたのですが、改めて西先生のひらひらひゅ〜んについてちょっと雑感を書いてみようと思います。

このマンガ、基本的には弓道部員たちのどたばた恋愛劇なので、一見表紙のとおり極めてさわやかで「お前らモテモテかよ」と言う世界を想像してしまいそうですが、そこは作者西炯子先生の華麗な動きで、ひらひらとおかしな方向に物語は飛んでいきます。
そもそもココに出てくる少年少女の頭の中にあるのは、勝ちたいとか的に当てたいとかじゃありません。かといって「モテたい」でもない。んじゃなにが優先されているかというと「なんだかよく分からないけどイライラする」とか、「どうせオレなんてダメなんだ」という感情です。
いやあ、「モテたい」はまだポジティブなわけです。それで切り開いて前に進もうとする人もいるわけです。しかしもっと根幹の部分で、人間はウジウジしてしまうもの。その視界が狭まったときの負の感情のエネルギーは半端じゃない。泥沼に片足突っ込んでしまい、引き込まれて抜け出せなくなります。
 
ちょっとここで、「ひらひらひゅ〜ん」の二話に出てくる宝代君を見てみます。
名前が「ほうだい」ということで、時々名前の前に「飲み」とつけられたりと、いたずらをされる日々。容姿は悪くないのに、時々「キモい」と言われます。
この「キモい」という言葉がなかなか強烈な暴力。言っている側は全然気にしていなかったり、他の言葉の代わりにとりあえず言ってみた、という場合のほうがたいてい多いのですが、言われた側としてはずるずると心の傷をひきずるハメになります。
「気にしすぎ」と言われたらまったく持ってそのとおりなのですが、そんな余裕がない時だって人間あります。劣等感があって、そこに「キモい」と言われる鬱屈がたまれば、強烈なコンプレックスに変貌していきます。
宝代君もそれを薄々自覚していて「お前らも死ね」と心の中でつぶやき続けます。
鬱屈としているなあと笑うのは簡単ですが、決して言葉にして口に出さずモンモンとしている彼はとても愛しいんです。

そんな宝代君も、川畑さんと言う少女を好きになるわけですが、彼の好き方は一風変わっています。彼の心情は、川畑さんの心の声を代弁する、という日課で表現されるのです。これが面白いところで、確かに一見やりすぎなんですが、同時に多くの男性が経験していることでもあります。好きなあの子が何を考えてるのか、妄想して「ああ、何を考えているんだ!」ってやっちゃいますって。
そしてしまいには…ここは本作を読んでみてください。
この彼の行為を本当に「キモくないか」と言われると、それは個々に判断を仰がれるところだと思います。少なくとも宝代君本人は自分の行為を、相当キモいと思っているようです。
分かってるんだよそんなこと!
分かってるんだけど、泣きたくなるけどそれでも、手の届かないその子への思いを言いたいことだってあるんだよ。
言えないんだけどさ。言えないから心の中にしまっておくんだけどさ。
そんな俺キモい。どうせどうせどうせどうせ。

西先生はいろいろな作品で、コンプレックスを抱えた人間をコメディタッチで軽快に描いてくれます。
ここに出てくる宝代君も、確かにネガティブで、多少やりすぎの感がある青年ではありますが、そんな彼がたまらなく愛しいのですよ。これは描き方の妙。
見た目が割といいから、という容姿の問題でもないでしょう。彼のコンプレックスはそれだけ、嘘偽りのない純粋なもので、周りを傷つけず自分だけ傷つけるから。
「死ね」と思うほど相手に腹を立てても、彼は言わない。言えない。
純朴であるがゆえのコンプレックスが自らを責めさいなむとき、周りはそれをどう見るのか、大人から見たられはどう映るのかを、西先生はやさしく描きます。
基本的に「がんばれ」って言いません。
 

●今、どれだけ踏ん張っても、的に狙いが定まっているとは限らない●

他の子たちも、それぞれ何かしらの、得体の知れない不安やコンプレックスを抱えています。考えすぎなのは分かってるんです、でも考えてしまうのが若さ。余計なことや、周りの視線への自意識過剰で夜も寝れないっつーの。

レギュラー出演の、長尾智和君。珍味好きでわりと明るく元気なムードメーカーです。顔が「極めてかもしだ」みたいなので一発で覚えます。
こいつがまたかわいいんだ。とにかくひねくれもので、調子がよくて、ふざけてばかりのヤツなんだけれども、やっぱり時々道を見失ってしまって困惑してしまうのです。
 
そうなんですよね、突然あっけにとられるような出来事が生じて、キョトンとして戸惑うことは誰にでもある。大人びた(?)だらしなさただよう彼ですが、ふとした瞬間に自分も周囲も見えなくなってしまう幼さが残っています。
明らかに、弓道で言えば的をはずしています。必死に矢を射て、射て、射て。でもまったく的には当たらない。
「がんばれ」って?がんばっているさ、的を狙って、重い弓を引いて、一生懸命汗水流して・・・でも当たらないんです。当たらないんだよ。
だって、自分が見ている的すら、定かじゃないんだから。

四話に出てくる、弓道オタクで小姑気質の堀口君。かなりうっとうしいキャラとして描かれているんですが、西先生はそんな彼を冷たくあしらいません。彼自身自分が煙たいのを自覚しているんです。だからちょっとしたことに動揺し、ちょっとした発言に振り回されます。
ああ、あるある、というレベルではない痛々しさ。みんな理屈ではない部分で迷いこむんです。迷って迷って、ああもうだめかもしれないな、と挫折だってします。
 
でもね。「それでもいいんじゃない?」と西先生の描く女の子たちは言います。
これを「ありえねー」と思うか「それもありかな」と思うかは読む人それぞれなんですが、案外人って、その人があがいているのを見て真摯に受け止めるものなんだよ、とこの作品は語ります。
いやね。もちろん時には滑稽かもしれないし、自分は苦しくて大変なんだけど、第三者は「そんなところもいいんじゃない?」と冷静に見ているものなんだなあと、ほっとするんですよ。
なんてことはない。「そういうこともあるよ」「それでいいんだよ」
 
コンプレックスに対しては「がんばれ」は必ずしも効果的じゃないですが、やはり受け入れてもらえること、進む場所がぼんやり開けてくることはものすごい安心感を生んでくれるのですよ。
西炯子先生や川原泉先生はそのへんが非常に巧みで、ある意味スローです。押し付けることなく、受け入れてくれる場所を提供してくれます。
なんてこたあない。案外世の中って「そんなものだよ」で出来ている気がします。
 
つっても、好きな人できたらやっぱり世界は閉じてしまって、「うわあ、あんなことしたら嫌われるかも!」って思うのは、いつになっても変わらないんですが。
そんなときに、西先生の作品を傍らに置いておきたいなあ。
女性から見てどう映るのかはもっと聞いてみたいのですが、男性側としてはコンプレックスメガネ君たちが苦しむ様と救われる様は、とてつもなくいとおしいんですよ。
 
ひらひらひゅ〜ん (1) (WINGS COMICS) 電波の男よ (フラワーコミックス) 女王様ナナカ (リュウコミックス)
弓道はやったことないのであまり分からないのですが、あの的に当たる瞬間の感覚って、きっと特別なんでしょうね。その感覚と、当たらない時のいらだちが、この作品に出てくる男の子の感情そのものなんじゃないかなあ?
狙って狙って、必死に弓引いている場所が実はちょっとずれている。そんな感覚。
 
〜関連記事〜
現実から、この一瞬だけは夢の世界に逃げていたい。「女王様ナナカ」
モテない恐怖とコンプレックス。「電波の男よ」

〜関連リンク〜
恋という字は変に似ている、『ひらひらひゅ〜ん』1巻 (DAIさん帝国)
西炯子/ひらひらひゅ〜ん(マンガ一巻読破)
ひらひらひゅ〜ん 1巻(どらまん。)
☆『ひらひらひゅ〜ん』(※恋)(本うらら)
ひらひらひゅ〜ん : 西炯子(好きなことだけしていたい…)
「最近は青春の汗だって、ちゃんとデオドラントスプレーでニオイを抑えてあるのだ!」ああ、これはすごい感じます。気を使いすぎてスプレーくさかったりとか。

*1:しかも自分に言われていないかもしれない上に、誰が言ったのかも、なんて言ったのかもわからない思い込みの時もあるんだこれが