たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

さぁさぁお立会い「くるぐる使い」のショーの始まりだ

さぁさぁ寄ってらっしゃい見てらっしゃい。ショーの始まりだ。
お目にかけるは「くるぐる少女」。いかれた娘のお出ましだ。
おやおやお客さん、悪趣味だって?
何をおっしゃいますやら、こんな見世物小屋に来るくらいだろう。
あなたも見たいんだろう?あなたも見たいんだろう?
アンポンタンポカンのくるぐる少女を。
 

●キラキラ輝くまつげの雫●

くるぐる使い (眠れぬ夜の奇妙な話コミックス)
オーケンの傑作短編「くるぐる使い」が大橋薫先生によってマンガ化されました。
この小説余りにも怪作すぎて、マンガ化するなら高橋葉介先生くらいしかいないんじゃないかと思っていました。しかし、大橋薫先生の愛によって実った!楠桂先生と双子でファンということで、あふれんばかりの愛情を注いでいるのが感じられます。
 
「くるぐる」というのは、本文の表現を使うと「頭のいかれた娘」のこと。
年端もいかぬ幼い、気のふれた少女が語る言葉を見世物にするという、それはもうド外道の業です。

当然周囲の反応もよいものではないのですが、それでも見てしまうこの衆人観衆の心のゆがみ。それすらもスパイスになっていきます。
そう、外道はできるだけ外道の凶悪さを持ちながら、少しだけ魅力的に見えてしまうほうが心地よい。なんて思うこっちが外道だよね、そうなんだよね。
 
しかし、原作の面白いところはその気がふれたところを「シャーマン」を結び付けていったこと。
そう、中に描かれているのは「少女」という名前の特別な存在なのです。
時には蠱惑的にその瞳を輝かせ。時には道化のように人の笑いを買う。そんな少女という姿の何か異質なものです。
オーケン作品に出てくる少女のそんな特殊存在感は「ステーシー」でさらに昇華されていくのですが、悪趣味なものを見てほくそえむその感覚はこの「くるぐる使い」でもしっかり描写されています。
それをマンガにしていくには、少女は美しくあり、同時に滑稽でなければいけません。

笑う笑う笑う。少女はうつろな視線で笑う。
 

●くるぐる少女は膨らむ胸に●


こうして「くるぐる使い」に魅入られた青年が、極上の少女を探し始めます。このくだりのマンガ化にこもっている熱量、半端ではありません。最も原作の中でも濃いシーンなんですが、マンガでもかなり濃度が高いです。高すぎて色々ゲル状になってます。
 
それは、少女という存在を特殊な何かに変えていく作業。
自分の手の内の篭に収めてしまう作業。
なんだか妙に美しくて。でも個性とか人格とか全部奪い去る作業なわけですよ。みんなが憐憫の目で「かわいそうに」「やだわあ」といいながら、後ろめたさを持ちながら好奇の目で指の隙間から見るわけですよ。
外道外道と言いながら、男は軽やかに楽しんでいるし、周りは楽しそうに彼女の言葉を聞くわけですよ。

その様子も少女に化粧を施して、できるだけ見た目も滑稽にしていくことで、マンガを読むこちらもなんとなく飲み込めてきます。なんとなく受け入れられてきます。
ああ残酷なり残酷ナリ。しかしそれを酷いね酷いねというのも偽善的な感覚を受けてしまう泥沼地獄。
 
見世物小屋やサーカスは、そのきらびやかな世界に一滴の悪趣味が混じるからこそ楽しくなる、なんていう人も多いでしょう。
あのテントの中は華麗なる芸を見て目を輝かせると同時に、そこで何か起きないかと思ってしまう歪んだ心を映し出す万華鏡です。
もちろんそれは決して起きて欲しくないものなのですが、テレビでサーカスのハプニング集をやっていたら見てしまう人間よ。ああ醜い醜い。しかしこっそり見てしまう。
この「くるぐる使い」という作品は、それを隠しません。しかし「少女椿」ほどえげつなくは出しません。きらびやかでスポットライトを浴びてはいます。いつまでも続くかと思われるほどの時間を、残酷で、人の心の裏をつついて楽しむことを愉快に楽しんで過ごしていくのです。
もちろん、永遠になんて続かないよ?
 

●踊った二人、夢なんかじゃない●

物語は男性の一人称視点で進んでいきます。年老いた彼が語る物語の体裁なので、なおのこと少女は男性の視点から描かれていく事になります。
男性は少女のあらゆるものを切り捨てさせてアンポンタンのポカンにしてしまうのですから、そりゃもうどうしようもないド外道なんですが、物語が変化を見せた時に少女は、道化ではなくなっていきます。


アンポンタンのポカンにされた少女は文字もなにも書けないのですが、手紙を書こうとします。無論書けません。
思考と感情を奪われ、ただ人の時間を怪奇な言葉で語る一人の少女がどうなっていくのかは、実際に読んでみてください。
このへんの少女の特殊な存在感が原作の鬼気迫るところ。マンガでも彼女の姿は確実に、そしてちょっとだけ角度を変えながら描かれていきます。
色っぽいようで、時に醜悪にすら描かれる彼女。人形のようで、時に体臭までしてきそうな彼女。そんな彼女はほらさ、くるぐるだから。くるぐるだから…。
あれ?なんだこのきらびやかな世界は?なんだこのドロリとしたにごった世界は?
なんだこの、耽美な心地よさは。なんだこの下水をあさるような嫌な感覚は?
なんだ、この…。

妄想だよ。
 

●彼からの電波受信機●

原作を読んでいる人、オーケン筋少ファンなら楽しめる内容がしっかり詰まっているのもこのマンガの、ファンアート的な楽しみ方。
コマの隅のセリフなんかを見ていると、オーケンファンならニヤリがたっぷりです。

両方ネタ分かった人はみんな友達!
本の中を探してみたら「ノゾミ・カナエ・タマエ」もどこかに隠れてますヨ。
くるぐる使い (眠れぬ夜の奇妙な話コミックス) くるぐる使い (角川文庫) 大公式2
原作を読んだ事ない人は、マンガから入るのもありだと思うくらいしっかりマンガとして楽しめるつくりになっています。ただ、できれば原作もゼヒ読んでほしいのです。オーケンの独特な言語感覚と残虐な少女像が煮凝りのようにブヨブヨしているんだもの。
しかし改めてこうしてみると、オーケンの描く少女像が現代のアニメ・マンガ文化に及ぼした影響は大きいなあと感じます。そんな思想に対しての崇敬の念がこもった作品として見るのも面白い作品かもしれません。
あと、今回の副題はアルバム「UFOと恋人」の「くるくる少女」から引用しました。
 
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