たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

その時「わずかいっちょまえ」が教えてくれたんだ。

自分の人生において、指標となってくれたマンガがいくつかあります。
それは笑いだったり、勇気を奮い立たされることだったり、大泣きに泣いたことだったり。
そして、人に「あなたの思い出の本はなんですか?」といわれたとき、自分は「わずかいっちょまえ」と必ず答えています。
人生を変えた本、というと大げさですが、考え方そのもの動かし方を変えた本です。
 

●いつも笑顔で、いられるわけがない●

主人公の女の子の名前は「和好」と書いて、わずかちゃん。お母さんが仕事の都合でほとんど帰ってこなくて、一人で暮らす小学生(途中から中学生)です。
とてもいきいきと健やかに育った、はつらつとした子です。周りの人もみんなそう思っています。母親にも「いつも友人と楽しくやっている」と伝えます。
というのは、建て前。
一人で暮らしていて、笑顔でい続けられるわけないじゃない。
 

お母さんが悪いわけじゃない。
勉強もしなきゃいけない。塾も行かなきゃいけない。やることはたくさんある。
そんな中、かわいがっていた犬が死んだ。
でも泣いている姿は見せられない。誰かに心を打ち明けるわけにはいかない。
わずかちゃんは、声も出さずに泣く。
 

●受験戦争●

この作品のひとつの背景になっているのが、受験戦争です。
今でこそ使わない死語になってしまいましたが、この本が出版された1991年は受験戦争まっただ中でした。毎日塾に通い、テストの点数でクラスが決まり、詰め込み教育と批判されていた時期です。

理由なんてその頃はわかりませんでした。ただ点数が取れなければいい高校に受からない、大学に進学できない、就職が出来ない、それだけはわかっていました。
そしてその生活がなんだかわからないけれども虚しかったことも、だけど必死で他のことを考える余裕がなかったのも事実です。
がんばってもがんばっても取れない点数がありました。軽々といい大学に入る人に嫉妬をしました。
「点数で上下つけられるなんてやってられない」とは思いつつ、仕方ないんだよなあと妥協していました。
 
わずかちゃんはその中で別にムリをしなくても一番を取れます。
すごいことなのですが、だからといって気楽なわけじゃありません。それだけみんなが嫉妬の目で見るからです。
わずかちゃんは、それにも気を使い、自分を押し殺して生きています。
 
この生き方って、受験戦争の時期はもちろんですが、今も十分あることなんじゃないかと何度読んでも思うのです。
とりあえずなんとかしなきゃ。自分を出しちゃだめ、気を使ってわがままは言わずただガマン。今はガマンすれば過ぎていくから。
 

●辛いときに、マッハ号はそばにいた。●

この作品はそんな背景の中、ファンタジーコメディ仕立てで進んでいきます。
死んだ犬のマッハ号のかわりに、なぜかウォンバットのマッハ仮面があらわれたり、死んだマッハ号がわずかちゃんを思いやるあまり、彼女には見えない状態で下界したりして、どたばたと話は混乱していきます。
そのテンポは軽快で非常に楽しいのですが、楽しくなればなるほど彼女の中の苦痛も明らかになっていきます。

彼女をいつもいじめていた太一。普段はそのいじめもずっと耐えているのですが、わずかちゃんの中の風船はどんどんふくらんで、ちょっとしたはずみで割れてしまいます。
 
割れなきゃいけないんですよ。
どこかに思いっきりぶつける相手がいなければいけないんです。
太一はこれがいいヤツで、わずかちゃんにとって最初はわずらわしい存在なんですが、どんどん彼女の中の激しい感情を受け止める存在に変わっていきます。他の子が遠慮しすぎて彼女に近づかなかったのも、言ってみれば彼女がこもってしまった要因でもあるんです。
そして、もう一人…いや一匹…いや二匹。彼女を見守る存在が、死んだマッハ号と、なぞのマッハ仮面です。

といっても、別にマッハ号に何かを言うわけじゃありません。
ただそばにいてくれればいいんです。
 

死んだマッハ号は、わずかちゃんの前に姿を見せません。ただ見守るだけです。
このへんが非常にもどかしくもあります。だって、時間がたったらマッハ号はいなくなってしまうんですよ。そもそも死んでいるんです、そんなに長くいられるほど都合がよくないんです。
なのにマッハ号はわずかちゃんの前に顔を出すことが出来ません。タイミングもあるんですが、それ以上に…。
でもね、マッハ号はいつも苦悩するわずかちゃんを見ています。死ぬ前も、死んだあとも。
間違いなく、マッハ号はわずかちゃんにとってかけがえのない存在なのです。
 

●大人は汚い●

この作品でもう一人、彼女の心の扉をノックする存在がいます。
それは、中学校の先生です。

今まであまり自我を出さず、おとなしくしていた彼女にとってのはじめての「受け止めてくれる大人」でした。
彼女が先生に向けた感情は恋か憧れかはわかりませんが、圧迫されていた彼女の心を開放する人でした。
 
大人は汚い。
そうかもしれません。

学校において、理不尽なやりとりが行われ始めたのも90年代でした。
衝撃だったのは、「わずかちゃんが掃除をしようとしたことに対しての抗議があった」という描写。あまりにも理不尽極まりない理由ですが、今でもそのような抗議は確かにあるでしょう。
大人は汚いよ。時には平気で子供の心を踏みにじるよ。
このマンガはそれを奇麗事で終わらせません。世の中のひどい出来事も、そのまま描き出します。ムリが通って道理が引っ込むこともあるんです。
 
でもね、いい大人も確かにいるんだよ。
いるけど、道理はその世の中の無理を、貫き通せるの?
 

●笑顔でさようなら●

この作品に一貫して通っている一つ目は、「逃げられないことがある」ということです。
先生は言います。

「たぶん、どうすることもできないよ。誰のせいでもないんだ。それに勉強ができるからって幸せとはかぎらない。苦しむことだ。そのほうが人間は成長する。大切なのは逃げないことだよ。」

根性で乗り越えると幸せになる、とは言いません。
正義を貫け、とも言いません。
どうしようもないこともあるんです。どうあがいても抜け出せない世界もあるんです。それが受験戦争だったり、大人の社会の理不尽だったり、人間関係のトラブルだったりします。
逃げていいときもあります。がんばって幸せになることもあります。
でもね。がんばって幸せにならないこともある。でもがんばらないとどうしようもないこともある。
そんな時に世の中に呪詛を吐いて生きていくのは幸せなんだろうか?
 

このマンガには軍用機がたくさん登場します。
ちょうど冷戦が終わって、ぼんやりと平和なような危険なような、日本が膨れ上がるような変な景気と不安に包まれていた時期です。
じゃあどうする?逆らう?中学生が直談判にいく?
いえ、ただ見上げるだけです。どうしようもないんです。
 
この作品に一貫して通っている二つ目は、「その時笑顔でいよう」ということ。
絶対に傷つかずに生きていく方法なんてありません。傷つくんです。世の中の理不尽に敵わなくて、ただ歯噛みして涙を流すことだってあるんです。
でもその後、笑顔でいようとすれば、そして誰かを傷つけ傷つけられて立ち向かえば、次の瞬間また涙面になることは回避できます。いや、泣くかもしれません。しれませんが、少なくとも泣き続けるより少しだけ成長します。
そう、ちょっとだけなんです。一気になんて成長しません。
だから、この主人公の名前は「わずか」ちゃんなのです。
そのちょっとの中に、幸せを自分で見つけていこうよ。
 

●不満と嫌悪と不安に満ちていても●

自分もこれを初めて読んだ時期は、不満でパンパンの子でした。
いつも「くそ、世の中はずるい、大人はずるい」と思っていました。まあ実際思っているよりもずるいことの方が多いでしょう。いい人も間違いなくたくさんいるけれども。でもそんなことに気づくほど余裕ありませんでした。
勉強に追われて。高校に受かるかどうか不安で。周りが恨めしくて、嫉妬深くて。
そんな中で読んだこの作品は衝撃でした。
だってさ、たとえばこの作品の先生とかそうなんですが、がんばって正しいことしたら幸せになると思うじゃん。自分を貫けば幸せになれるって思うじゃん。
現実って、そうじゃないこともあるんだ、とたたきつけられるようでした。今読んでもその時のショックがよみがえります。
 
だけどこの作品は暗くない。明るく強くのびていきます。

自分たちはいったい何を見ているんだろう?
不満をのべ、自分を憂うこともときには必要ですが、今この瞬間を「わずかな幸せ」に変えるのは自分次第なんだなと、理屈ではなく物語で指し示されました。
ほんのちょっと。ほんのわずかなんです。
マッハ号と別れずにすむわけではありません。わずかちゃんは苦い思いをしてちょっとだけ成長するんです。
 
時代は変わったかもしれないけど本質は変わりません。今の子供たちに、かつて子供だった人に、読んでほしい傑作だと思います。
 
今は笑顔だろうか。明日は笑顔だろうか。
ううん、笑顔でいよう。