たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

大人の女性のための、とても厳しい童話「ちぃちゃんとおばけ図書館」

友人に勧められて買いました。
表紙を見るとものすごくほわほわファンタジーのにおいがするので、自分もそのつもりでページをめくりましたともさ。
いやあ、甘かった。
こいつぁ、子供の目を通して見た、あまりにも残酷でリアルな現実世界の話です。
 

●ちぃちゃん●

この話は「ちぃちゃん」という、極めて純朴で素直な少女の視点で描かれています。
そのちぃちゃんが、「のづち」という妖怪の一家に図書館で出会い…と、ここだけ抜き出すととても普通のファンタジーみたいですね。

ああ、癒される。
ちぃちゃんがとても喜怒哀楽がはっきりしていて、かつ世界を信じようと一生懸命生きているのでかわいくてしかたないのです。
特に注目すべきはその瞳。濁ることなく、しっかりとまなこを開いて世界を見ています。
だから読者はちぃちゃんをすんなり受け入れられるのですが、…かわりにちぃちゃんの目にはたくさんの「いやなこと」も入ってきてしまうのです。
 
たとえばこのクッキー。友人の男の子、修ちゃんのママにもらったクッキーです。
なんて嬉しそうな顔なんでしょう。裏も、影も、下心もない笑顔。
しかし、ちぃちゃんの目は一生懸命すべて見るために、つらいことも流れ込んできちゃうのです。

さっくりとクッキーをわざと落とし、粉々にするちぃちゃんのママ。
そしてママは、謝りもしません。
ちぃちゃんはただ、割れたクッキーを見つめるしかないのです。
 
…ちぃちゃんの周りのキナ臭い人間関係が、ちょっと見えてきたでしょうか。
ちぃちゃんは本当にとてもいい子なのです。大人の理想的な、という意味ではなく、ただ純粋に育ったという意味での「いい子」なのです。しかしそれゆえに気分屋の母親にはいじわるをされ、えこひいきの先生にはその権力で嫌がらせを受けます。
だけどちぃちゃんは怒りません。怒れないのです。
それでも世界はきっと、いいことがあるんだと信じているから。
…ああ、そんな目で見ないで。世界は思っているよりも汚れちゃってるんだよ。
 

●ママ●

ちぃちゃんが純粋であるほどに、ママとの関係が非常に複雑なものとして描かれます。
ものすごくそれが秀逸に描かれているシーンがあるので、引用します。

離婚したママが恋人をちぃちゃんに紹介するシーンです。
2コマ目のちぃちゃんの瞳と、表情をよく見てください。確かに笑顔です。ちょっと照れくさそうです。しっかりとママ達を見ようとしています。
しかしママがその「女」をむき出しにするにつれて、ちぃちゃんの瞳は伏せられてしまうのです。
 
ちぃちゃんは、ママが嫌いではありません。
正直自分は、序盤読んでいて胸くそが悪くなるくらいちぃちゃんのママに腹を立てていました。おいおいふざけるなと。お前にはこの娘の瞳が見えていないのかと。なんでちぃちゃんが笑おうとしているか分かっているのか!?と。
とにかく「ひどいこと」をしている母親ではないんですが、出てくる描写が毎回イライラを募らせます。特にちぃちゃん視点で、ちぃちゃんが母親を健気に慕っているからこそ、その妙に大人の都合で動くところが悔しくて仕方ない。抱きしめてやれよ、せめてちぃちゃんの話を聞けよ!と。えこひいき先生の描写とあいまって、どんどん大人不信になります。
 
しかし、怒りが募れば募るほど気づくのです。
子供から見た「リアル」と、大人から見た「リアル」のギャップに。
間違いなく、ママがちぃちゃんに取っている行動は褒められるものではありません。だからこそ「何故?」という疑問が徐々に首をもたげていきます。
きっとこれを「可愛いマンガだなあ」と思って読んだ子供は、中盤で挫折するかもしれません。あまりにも途中までは鬱憤がカタルシスを越えてしまうので。
しかし、大人の、特に女性は「ママ」の存在に疑問を感じて、一気に読まずにはいられなくなると思います。
 
「大人の都合」は何も悪いことばかりじゃない。どうしようもないこともある。それを知っている人の心にこそこの作品は重くのしかかります。
たとえばこのシーン。

「温泉行こ!」
待ったああああああ!それ死亡フラグですから!
 
それを笑顔で喜ぶ、ちぃちゃんを見るのがつらい。
目を合わせないママを見るのが、つらい。
 

●修ちゃん●

もちろんちぃちゃんにも救済はあります。それがこの作品のファンタジー部分である「のづち一家」ですし、もっとも仲のいい友人修ちゃんです。

ちょっと年上の男の子。自分が見えているのづち一家が見える、唯一の貴重な友人です。
何を言っても信じてくれない、受け取ってくれない大人達の中で、一人だけすべてを受け止めてくれる大切な大切な友達。これがあるからちぃちゃんは、しっかり立ち続けることが出来ます。
そして、淡い淡い恋心ともにつかないものも生まれて…うふふ。
 
閑話休題
修ちゃんは「妖怪と人間の世界の間」「大人と子供の世界の間」の橋渡しの役目も持っています。
やはりちぃちゃん視点は、あまりにも純粋であるが故にたくさんの取りこぼしもあるのです。ゆがんでいない視線であるがゆえに、情報が整理できないこともあるのです。
それを整え、導くのが修ちゃん。非常に重要なキャラクターです。
 
はて、そんなちぃちゃんと修ちゃん。一筋縄ではいかない、あまりにも重苦しく生々しい「大人の都合」に出会う時、何を考えるのでしょう。
 

●救われるのは子供だけではなく●

読んでいて、途中まではなんとかして「ちぃちゃんが救われればいい」と心から願いました。そのくらいこの作品はちぃちゃんに対してあまりにもつらいんです。
しかし、ママの言動のおかしさが後半、怒濤のようにたたみかけられます。
なぜママがここまでちぃちゃんに冷たいのか。本当に愛していなかったのか。
それは実際に読んでみてください。
ただ、一つだけ書いておきます。
母親になった人間にしか分からない苦しみもまた、存在するのだということを。
 
もしかしたら、一生自分には分からないのかもしれませんが、正論ではなく感情として「存在」はするんでしょうね。
ラストへの展開もすべて含めて、ある程度大人になった人にこそ読んで欲しい、ちょっぴりハートに厳しい童話なのです。
厳しいからこそ、優しいよ。
 

他の作品もよんでみよっと。白いバラの乙女は一見百合っぽいですが、百合じゃないので注意。