自分独自の、武器がほしい。
お嬢様はHがお好き 初回限定版 (WANI MAGAZINE COMICS SPECIAL)
posted with amazlet at 08.12.29
何が面白いかって、同梱されてる小冊子。
普通だったらエロゲとかで「エロ差分」として、全裸だったりぶっかけだったりなんてのがあるわけですが、こちらは逆。
元は全裸だったものに、水着を着せているという差分の漫画が収録されてます。
露出度的に逆じゃん!!!!!
とはいえ、ぼっしぃ先生ファンならだれもが納得。
というのも、ぼっしぃ先生の描く水着のフェチっぷりはあまりにも定評があるからです。
通常であれば露出度の下がる差分なんてそうそうお得感がないのですが、ぼっしぃ先生なら逆にお得に見えるという。びっくりだね。
漫画にしても、文章にしても、音楽にしても、何かを作るときに「武器」がほしくなることがあります。
その武器とは、テクニックなどの基本の上にある、「この人ならこれ」というもの。
早弾きなら誰々、パンツ描写なら誰々、寝取られなら誰々・・・のような。
この「●●といえば○○」があるのは非常においしいです。トランプのジョーカーのように切り出すことができるからです。
無論、そういわれるようになるまでには苦難の道のりがあります。
常にそれを求め続ける探究心。あくなき向上欲。そしてそれを魅力的に見せるテクニック。
たとえば分かりやすいところだと、「ローレグといえば朝木貴行先生」。描き続け、技術を磨き続けた成果です。
もっと分かりやすい超大御所だと、妖怪といえば水木しげる先生とか。あの域に達するのは至難の業ですが。
同時に欠点もあります。
武器が目立ちすぎると、一発芸人のようにそればかり求められて、他のバリエーションを増やす余裕がなくなります。また新しい道に進むときに、その武器がでかく肥大しすぎて前に進めなくなることも。
それでもほしい、武器。だが怖い武器。
最終的にはその武器が「もの」ではなく「雰囲気」に変わっていくのが目標かもしれません。
この雰囲気を描けるのはこの人しかいない。
この描写はこの人としか思えない。
個性といえば個性なのかもしれませんが、個性ってすごく曖昧なので意識して「武器」と置き換えて考えたほうが分かりやすそうです。
実はもう武器って、文章書きも漫画家もミュージシャンも、それぞれすでにもっているかもしれません。
それを磨くか、別の武器を選ぶか、あえて武器を隠すか。
そんな思惑のやりとりと意思の交錯が、新たなその人の独自性を作っていくのかなあ、なんておもいました。
今回のぼっしぃ先生のように、それがプラス要素につながって、読者層の需要と一致するのが一番理想的かもしれません。