たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

いつもそこに君がいた〜萌え学園物にある、経験していないノスタルジー〜

WEB拍手で教えてもらった律澪動画が最高にいいのでご紹介。

YAWARA!のその曲を選びますか!「いつもそこに君がいた」ですね。
律澪動画としても素晴らしいんですが、それ以上にこのノスタルジーはあまりにも泣けてくる。
 
けいおん!はマンガもアニメも、「楽しい高校時代」の一瞬を描いた作品です。
マンガは「楽しい」寄り、アニメは「不安を含んだ楽しい」寄りです。どちらもすごく高校生の描写としては秀逸だと思います。
重要なのは「楽しい」という現在進行形だということ、そして見ている今は過去形だということです。
 

●終わりの鐘が鳴って。●


自分が「けいおん!」という作品に強く惹かれたのは、音楽をネタにしながらみんなが高校生活を楽しんでいたからに他なりません。
マンガもアニメも、見ている最中はそれはもう、楽しい、永遠に終わらないんじゃないかと感じさせられる高校時代の瞬間に入り込めるわけです。
ぼくは軽音部じゃないけど。女の子じゃないけど。見ている一瞬だけは5人+さわ子と一緒に楽しく過ごせたのです。
しかし、本を閉じたら。アニメが終わったら。
時間は一気に今に引き戻されます。
ああ、あれは過去の出来事だったんだ。
切ないほどの懐かしさに変化して、心が締め付けられます。
 
イヤ待てよ。
そもそもお前はそんな「けいおん!」みたいな高校生活を送ったというのか?
 

●気がつけばいつも君だけを見つめてた●

けいおん!」も「らき☆すた」も「ひだまりスケッチ」も「GA」も「ふおんコネクト」も…、その他のいわゆるきらら系・萌え系4コマもそうなんですが、自分がどうしようもなくそれらが好きなのは「過ぎ去った日々」だからです。
もっとも自分は女子高生ではないので、実体験なんてありません。高校時代はむしろ思い出したくないくらい灰色でした。
しかし、追体験しつつ、卒業した人の目線でどうにも手の届かない憧れの視線でそれらの作品を見ているんです。
多分、その瞬間は「萌え」ていないと思います。
マンガの中では自分の分まで、理想的な高校時代を楽しんで欲しい。めいっぱい楽しんで欲しい。
時にケンカしたり悩んだり苦しんだりもすればいい。友情を深めたり、誰かを好きになって泣いたり笑ったりすればいい。
 
自分が今の京アニで一番好きなのは、そのノスタルジック補正を理解して増幅しているところです。
原作にはないシーンも多くなってしまうため賛否両論だと思いますが、それらの作品に高校時代の輝きや憧れを求めている人には非常にこれは眩しすぎます。
らき☆すた」のDVD1巻のジャケットにはほんとやられました。泣きそうになりました。

僕は、あの4人の輪の中にはいない。
ただ、それを夕日と共に眺めるだけ。
それでいい。
 

●思わず僕は足をすくめてしまったね●

自分は一切経験していないのに、そこまで強烈にノスタルジックを感じるのは、紛れもなくすり込まれた感情に他なりません。
現実じゃないんです。
友人がDASH村のナレーションで「初めて見る、懐かしい景色」という表現をしていた、と言っていましたが、まさにそれです。
もちろん女の子同士である必要はない。男の子でもいいでしょう。ただ女の子がわいわいやって手をつないでいる方が男性は受け入れやすいだけの話です。
だから、萌えじゃないのですよ。性的なものとか二の次ですよ。
 
もちろん「萌える」のは楽しみかたの一つ。思う存分萌えるつもりなら萌えまくります。「蕩れ」まくりです。
しかし、自分は過ぎ去りし日々の追体験的な意味合いがものすごく強いです。体験していないけど「こういうノスタルジック」という定型文をがむしゃらに追い求めている気がします。その定型文に、アニメ「けいおん!」のような葛藤も入ると自分にとっては至上の宝物のように感じられます。
でもその宝物って、絶対に手に入らないんですよね。これからも。

ただダラダラしているのを見ているだけで泣けてくる。
そこに夕日が差してくる。一瞬のスナップ写真の山。ノートのラクガキ。
 

●いつもそこに君がいた●

いつもそこに君がいた、そんな経験はないけど、あったんだという幻覚を追い求めて届かない。
永遠の懐かしさは、永遠に手に入らない。だから悲しいけど、すごく目映くて仕方ないんです。
やっていることは愚かかもしれません。体験してもいないことを、手には入らないことを、必死に追い求めてしまう。
だけどその一瞬に感じた感動や喜びは、新しい記憶になるからやめられません。

年齢差を超えて、リアルタイム中高生の人と感動を共有して、擬似的に新たな高校生活を送れるから、自分にとってかけがえのないものなんです。
「高校生」という時代の魔力ではないです。「高校時代に誰かとすごした」という絆の魔力です。内容が無いこともあるかもしれないけど、そこに「高校生活」はあります。
擬似的でもいい。感じたい。
 
百合的なのとかやおい的(BLではない)なのも、そんな中に見えるまぶしい仲の良さや、いつもそこに君がいることへのほのかなノスタルジックなんじゃないかとふと思いました。
だから、女の子同士、男の子同士がキャッキャウフフするのを見て「きゃー!」となりつつも、実はそこには自分達の憧れを映し出しているんじゃないでしょうか。
今、自分は猛烈に律と澪が笑顔をかわす、それだけでいいからずっと眺めていたい。
 
…そしておっさんになった自分だけ、その時間の中に置いて行かれる。
少女達ははるか高く遠くへ。
少年・少女達がもつ輝きは、通り過ぎてしまう一瞬だから、こんなにも眩しい。
 

YAWARA! エンディングテーマ いつもそこに君がいた
レイジー・ルーズ・ブギー LAZY LOU’S BOOGIE
キティ (1992-04-22)
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YAWARA!の曲はいいものが多かったですねえ。ミラクルガールとか。
90年代アニメの曲はストレートでまっすぐに突き刺さる物が多くて好きです。
あと、関係ないですが自分が律を見る視線は「高校時代に一緒にいたかった」「ただひたすらに好き」「娘を見ているよう」「澪との関係を見ているだけでいい」と色々なものがごたまぜになってしまって、一言では言えません。