たまごまごごはん

たまごまごのたまごなひとことメモ

「一番好きなキャラはだれ?」症候群

よく、mixiやブログ系のバトンで「好きなキャラをあげていけ」なんてのがあります。
自分も大好きでついやるんですが、ようは色々な雑多なジャンルのアニメやマンガをずらーっと並べて、その中で一番好きなキャラをあげていくわけです。
自分だとこんな感じ。

ヱヴァ:アスカ
とらドラ!みのりん
ささめきこと:キョリちゃん
みつどもえ:宮なんとかさん
けいおん!:律。
マリみて乃梨子×瞳子

みたいな。
キョリちゃんは最高にかわいいですよ。ローソンはいますぐキョリちゃんのカレーパンを出すべき。

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こういうのは人のを見ていているだけでも、その人の趣味嗜好の方向が分かるので非常に面白いです。
ところが、一番がない作品もあるわけです。知らなかったり、一つに絞れなかったり。
そんなこんなでうんうんと悩んだりするんですが、あれ、なんかそもそもの楽しみ方から逸脱しているような?
「一番好きなキャラ」ってなくちゃいけないんだろうか?
 

●好きな作品≠好きなキャラ●

あらゆる物語全般に言えることですが、好きな作品に好きなキャラがいる、とは決して言い切ることはできません。
そもそも物語を作る際にはキャラクター性を持たせないものも当然あるわけですし、あくまでも物語を演じていくために設けられた役回りにしかすぎない位置付けな場合もあります。作品のパーツです。
 
また、キャラクター性が重視される作品でも、魅力が別の文体や作画や雰囲気にあることだってあるわけです。「好き」という念がノスタルジックな懐古を含むと、作品外の部分の魅力も増量されてカロリー多めに早変わり。一概に「好き」の原因をまとめることは非常に困難です。
だから、何度見ても心に染みる作品があるからといって「どのキャラが好き?」と聞かれても、必ず答えがでるとは限りません。
 
特に昨今のアニメ・マンガ界隈に絞っていくなら、関係性重視の作品の場合は「特定のキャラが好き」にはならないです。
二人の関係がいい、であって、その個人が好きなのとは別な場合もあります。自分で言うと…「年上が年下に参ってしまう関係」が好きなんです男女とも。だからそういう記号を作品で見るとピクリとレーダーが立ちますが、そのキャラが好きとは限らない、ということです。
 

●一番●

それらを踏まえた上にしても、どうしても自分は何か作品を見る際、好きなキャラ探しをはじめる癖があります。
新番組のアニメをチェックしながら、「どのキャラが好みかなあ」と品定めしちゃうんですよ。
当然、好きなキャラが出来た方が視聴はスムーズになります。客観的な視点でもなんでもないんですが、ある一定の自分の立ち位置があると、物語に入り込みやすいんです。一旦入り込めれば、その後は客観的でも主観的でも楽しめます。
 
たとえて言えば、野球で好きなチームがあるのとないのでは見ていて面白さが格段二違うのと似ているんじゃないかと。
オリンピックで日本を応援するかしないかで楽しさが変わるかのごとく。
もちろん野球自体は面白いんですが、お気に入りがあるかどうかで感情移入度は全く変わります。
 
逆を返せばそれは欠点でもあります。
好きなキャラが出来ない場合、作品に入るハードルが段違いに跳ね上がってしまうからです。
 

●キャラクターの底力●

もっとも、受け手側がそのへんを意識して「キャラから入るか」「物語を見るか」で大きく変わる部分なんですが、アニメ・マンガ・ラノベなどのジャンルで言えばキャラクター性は明確に最初に重視されることの方が多いはずです。
キャラクターが練りに練り込まれていけば物語が面白くなるのも当然のことですし。
加えて、商業的な売り上げを考えれば「キャラクターの魅力」は必須条件。グッズ展開を考えているなら、深みをいかにもたせるかに全力を注ぐ必要があるでしょう。作品の人気はキャラクターの人気と比例するのもまたしかり。
そして、多少あざといくらいの明確さも欠かせません。
だってほら、金髪ツインテールかわいいじゃない!みたいな。
しかたないんです。金髪ツインテールと黒髪ロング好きはきっと遺伝子レベルで組み込まれているんですよ。しかたないんです。
 

●「自分内キャラクターランキング」●

個人的には、キャラクターの好き嫌いを定めてから作品に飛び込むのは「アリ」なんじゃないかなあ、と思っています。
そもそも作品にハードルを感じそうな時捨ててしまうより、無理にでも好きなキャラ作って飛び込んでから面白さを探った方がお得な気がして。特にきらら系の4コママンガなんかは物語性がそんなにあるとは限らないので、好きなキャラがいるかいないかで全然見え方が変わります。
文学作品でも、好きなキャラがいるとすごくすんなり読めてしまったりします。だってほら、春琴とかめちゃめちゃときめくじゃないですか。本質は…まあ読んだ後でもいいんじゃないかしら。
邪道と言われるかもしれませんが、「萌えの消費」というよりは「読むための自分なりの道作り」に近いです。
自分の中で「好き」に順位を付ける意味なんて何も無いんですが、順位をつけて日記に書いたり、友達と誰が好きかで激しく語り合ったりするのも、整理して物語に一層はまりこむための経路になるかもしれません。
 
もちろんそこに無理に依存してしまうと、作品の本質を見失う危険があるんですが。
形骸化したキャラクターの群れだけに囲まれてしまうと、視界を見失ってしまいそうです。
「好きなキャラクター探し」の手探りと、「期待を裏切るかのような深みのあるキャラ作り」の供給が、カチッと音をたててはまった時に、かけがえのない作品が生まれる気がします。というか、それを望んでいます。
 

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関係性が重視されてキャラクターは記号でしかない、というので端的なのはエロ漫画ジャンルじゃないかなーと。全部ではなく一部ですが、プレイ内容や恋仲の関係が重要なのであって、キャラはそれを補助するもの、というのを突き詰めた名作もたくさんあります。逆に「エロ漫画でどのキャラが好き?」と聞かれても非常に困ります。キャノン先生や小宮山さんくらい濃いと別なんですが。
 
個人的にキャラクターの面白さを、萌えに偏りすぎず、かつ魅力的に保って面白いところに着地しているなあと感じるのが「暴れん坊少納言」。
暴れん坊少納言1 (ガムコミックスプラス) 暴れん坊少納言(2) (ガムコミックスプラス) 暴れん坊少納言(3) (ガムコミックスプラス)
暴れん坊少納言(4) (ガムコミックスプラス) 暴れん坊少納言(5) (ガムコミックスプラス)
最初の頃は「ツンデレ」というのがキャッチコピー的に掲げられていましたが、それはほんと導入にすぎず、今はいい具合に視点の位置を変えながら平安日本を駆け回るキャラクターをイキイキと描いていて魅力満載だと思います。マンガ好きなオタク層はもちろん、キャラの造型も記号的で明解かつ個性たっぷりなので、子供達でも楽しめるように描かれているのがいいなーと。
 
これは個人的な話ですが、自分には「立ち位置萌え」みたいなのがあります。
「第三者的な位置で明るく元気に過ごしている子」や「ヒロインに限りなく近いのにヒロインになれない子」に滅法弱い!
なので、そういう「におい」がする作品は評判の有無は別としてすぐ飛びつきます。条件反射というか病気ですねこれ。
でも10買ったうち、ツボにはまるのが1でもあれば幸せだと思うんだ。