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無気力男子と「新しい世界」への序章 〜『オネアミスの翼』の閉じた世界〜(「はてなダイアラー映画百選」)

はてなダイアラー映画百選 - karimikarimi
はてなダイアラー映画百選とは - はてなキーワード
karimiさんから映画オススメバトンが回ってきたお。
「映画薦めろ!」と言われたらそりゃ薦めるよ!オゥ。
つうかこの100選て、2004年から始まってまだ終わってないのですか! 一気に回して終わらせちゃいたいね!
 
色々悩んだんですが、好きな岩井俊二監督はもう山ほど出ているし、「プリティ・ベビー」とか「青い珊瑚礁」って書いたら太眉ロリコンと言われるだろうし(ブルック・シールズ最高!)、「エコール」の話は何回も書いてるし、「紅の豚」のフィオがいいって話も散々してきたので、ここは自分が若い頃に衝撃を受けて今もトラウマってる感じのオネアミスの翼を選ぼうと思います。
 

幼い時に見て、衝撃を受けて、今も引きずっているアニメ映画です。1987年ですって。もう20年以上前じゃん。
エヴァを越えているこの時代だからこそ。「オネアミスの翼」が作った強烈な土壌について改めて考えて見たいと思います
 

●無気力諦念プロパガンダ

主人公シロツグが、少女リイクニと出会って宇宙飛行士になる話…なんて書いたら全然つまらないんですが、とにかく今のオタク文化の根っこになるものがやけくそなまでに詰まりまくっている、先見の明の塊みたいな作品でした。
 
なんといっても主人公シロツグのやる気のなさ。
今のアニメ文化、特にラノベ文化圏において、「こんなにつまらない日常」「楽しいことの見つからない日々」「退屈な生活」というのはかなりメジャーなテーマでもあります。
男子はいつも暇をもてあますもの。斜めな視点で「ああ、つまらないな」とつぶやくもの。
 
いやいや、最初からいつもそうだったわけじゃあないんだ。熱血に生きて力強く前に進んだり…あるいは悲しんだりへこんだりとマイナス思考におぼれたり。
ですが、ぼんやりと形は見えていたんだ。
不安に怯えるでもない、未来に希望を抱くでもない。ただ生きて、何も考えないで過ごす自分達の姿が。生きているか死んでいるか自分でも分からないような漠然としたビジョンが。そもそも、自分だって明日小便袋に漏電して死ぬかもしれない。なんかもうどうでもいいや。


AKIRA」が「健康優良不良少年」だとしたら、「オネアミスの翼」は「無気力無感動公務員」です。ほんと最初の時点では何も無い。絶望も希望も何も持つ気が起きていない。でも仕事をさぼるわけでもない。適当にやることやって、適当に遊んで、適当に過ごす。まして自分達は少年ですらない。悪い遊びをしようと思えばいくらでもできる。
遊ぶ事すらもいい加減なシロツグの半端っぷりが、坂本龍一の作る不協和音とあい重なって、得体のしれない居心地の悪さを作ります。
 
昔から「無気力な人間」像というのは映画でも描かれていたと思いますが、さらに輪をかけて、明確に「目標のない人間」を描いたのはこの作品の功績でもあると思います。言うなれば、これから起きる「何か」は、そんな目標のない人間が動き出すことによって手が入るものだからです。
無気力で倦怠感溢れる男を動かすのは…冒険…夢…ロマン…女の子だ。
今となっては「日常ブレイカー」としての女の子は当たり前の記号の一つになっていますが、1987年の時点でそれをあえてメタ視点で捉え、女の子のつかみ所の無さをぶつけてくるからこの作品はすごい。
 

●女の子は分からない。●

今まで色々映画を見た中でも、未だにその行動心理がさっぱりわからないのがヒロインのリイクニ・ノンデライコです。

かわいいかと言われると微妙なルックスでわざとデザインされた彼女(モブにもっとかわいい女の子が出てきているし)、緻密に計算された雑多さの中で、神にひたすら仕えるという、いわゆる「無垢」の権化としてシロツグの目に映ります。
そりゃまあ、すさんだ生活とゴミゴミした世界の中に咲いた一輪の花みたいなもんですよ。可憐に映って当然です。
 
しかしこの作品、別にシロツグの一人称視点で進むわけじゃないので、リイクニの奇妙なところがいっぱい描かれているわけです。
まさに、この後ガイナックス作品に沢山出てくる面倒臭い女の子像の走りと言っていいでしょう。
最初やってきた時にシロツグを見る怪訝な目、なぜか靴の中にしまっていた貨幣、なんでも宗教絡みで終わらせてしまう言動、自分が悪いと言って話を聞かない言葉のやりとり…とにかく面倒臭い!
かといって「ナディア」ほど明解なワガママでもないし、「綾波レイ」ほどミステリアスでもない。やたら人間臭いし変な所で俗っぽいです。全然手の届かない存在としての少女じゃなくて、すぐ側で呼吸をしている女の子の姿そのまま、汗のにおいすらしそう。でも拒絶の壁が彼女を激しく覆っています。
彼女に惹かれる気持ちはとても分かります。享楽的で刹那的な生活しか送っていなかった人間にとって、自分を律して生きている彼女の姿は異世界人です。
本当は自分が「宇宙飛行士になる」という、一般人から見たら異世界な場所で生活しているんですが、日々の倦怠と希望の無さが感覚を完全に狂わせてしまうんです。
 
子供心ながらに、えらくシロツグの環境に飲み込まれた記憶があります。
恵まれていて、でもやる気とか起こらなくて。自分は特別な気がするのに、世間の現実は恐ろしい。
小中学生の時に漠然と感じる、今の言葉で言うところの「中二病」や「高二病」的な斜め視線は、現実が怖いから、きちんと見据える勇気が起こらないから逃げているだけです。
 
逃げたいんだよ。「夢は必ず叶う」なんて夢みたいなこと言うなよ!叶わないことなんていっぱいあるじゃないか。嘘つき!大人は汚い!
そこにふっと、純白の心を持った少女が来たら…そりゃ惹かれるわ。暗闇の中の小さなろうそくの焔ですよ、蛾みたいにふらふら飛んでいきますよ。
でも「純白の心」なんて本当にあるのかい?
 
神の言葉を聞いて下さい。この世界は汚れています。
「宗教」という背もたれにもたれかかった少女リイクニの本性は一切描かれていません。しかし、確実に何かを隠し、押し殺し生きているのだけは明確に描かれています。
人間は汚い。なんでも何かに責任転嫁して、自虐しながら自分の罪を本当の意味では認められない。そりゃそうだ、みんなそうなんだ。
あまり清潔感もない、おしゃれっけもない、田舎っぽさが強いリイクニの生活が詳細に描かれることで、彼女のいい人間くささも悪い人間くささも描かれます。人間って、そうそう「分かる」ものじゃない。

映画を見た後に極端にリイクニを受け付けない人の方が多いと思います。
シロツグはいいんです。だらしないし中途半端だけど、動機は不純だけど、彼は一歩踏み出して、どうしようもない方向に凍結してしまった世界を打ち破って前に進んだから。
しかしリイクニは何も変わってないです。変わることを望んでいないのか、変わると盲信するがゆえに自分の殻を作ってしまっているのか。
 
「日常を打ち破る」ためにやってきた日常ブレイカー少女は、たいていの場合男の子のカタパルトになります。実際リイクニもそうでした。
しかし飛び込んできた少女が、どうしようもなく面倒な殻に閉じこもっていることで生まれるディスコミュニケーションもまた存在します。
この当時はまだ言われていなかった、しかし確実にあった「萌え」をはねのけて、リイクニは今も奇妙なヒロインとして自分の中に君臨し続けています。
彼女の気持ちは分からないし、きっとこれからも分からないと思います。それが、男の人の見た「女性像」だから。
 

●もう一つの世界●

この映画、世界をまるまる全部1から作っているという、とんでもなく無駄な努力は賞賛に値すると思います。
無駄どころの騒ぎじゃないのですよ!
文字は全然別物だし、日常品の形状も全て異なっている。町の作りは当然現実の作りと違う秩序に基づいていますし、交通・経済・科学・ファッション…何から何まで、0から違います。同じなのは女絡みの商売くらいです。
新聞紙が全部つながっていたり、貨幣が点棒みたいな形だったりするのには痺れました。そんなところまで変えなくていいのに…!
全てのキャラの裏設定も豊富に用意されているのにも関わらず、本編ではその欠片も出てきません。なんという無駄遣い。

これが巨大演算コンピューター。20世紀初頭のにおいがぷんぷんします。シビレルー。
21世紀の今見ても色あせないレトロフューチャーな世界観には本当にわくわくした…!小説版や色々な資料を見れば見るほど、「ばかじゃないの!」と言いたくなるくらい出てくる設定の数々。
 
「無駄だ」とは書きましたが、実際はそれらの膨大な設定が土台になってこの世界を構築しています。一つとしてかけることがあってはならないもの、なのです。
難解な用語の数々も、子供の心には刺激が大きすぎました。その世界の緻密な作りが、この後の「エヴァンゲリオン」に引き継がれていくわけですが、それはまた別のお話。
 
人間関係的にも、シロツグの未来的にも、すっきりしない後味が残る作品ではあります。何がハッピーエンドなのか、分からない。宇宙に行って本当によかったのか?リイクニは幸せなのか?多大な犠牲を払ったロケットは何だったのか?
答えなんてないです。
でも、宇宙に飛びたつロケットのアニメーションは、それだけで見る価値があったと言い切ります。

CGなんて使ってない時代に、ロケットがあらゆる科学的な法則に則って飛び立つこのシーンは、自分が「映画の名シーン」で挙げたいカットの一つです。
宗教とか、戦争とか、悩みとか、平和とか、貧富とか。
どうでもいい。
飛んだじゃないか。
 
宇宙へ飛び出すシロツグの世界観も、神の平和を祈るリイクニの世界観も、巨大なものを対象にして見ているにも関わらず非常に狭いです。とてつもなくでかい話を、まるで押し入れの中でしているかのようです。だから黙々とロケットを作り続けていた老人に目を向けることはないし、戦争で死んだ人間や貧しくて餓えている人間のことが視界に入ると避けて通りたいと願います。町が緻密な設定で作られているが故に、そこに二人とも閉じ込められてしまうのです。
この状況が、苦しみ悶えるオタクの視点と被って見えたのが大学時代。エヴァショックを高校時代に受けて、改めて見直した「王立宇宙軍」は、やっぱり難解な迷路をぐるぐる回って出られてないネズミのようでした。
でも、それでいいんです。
ロケットは飛んだんだ。そこになんの付加価値を求めるかなんて、よその人間が勝手にやればいい。
人類の大きな一歩よりも、一個人の小さな一歩の方が価値があることだって、あるんだ。
それはまるで、これを作ったスタッフの「アニメを作ることに価値はあるのか?」「あるさ、やってやるとも」と血眼になって作り上げた意地と同じように。
 

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多分「もっと大きな視点で捉えて努力しろ!」と感じる層にはうざったいだろうし、「人生って結構明るくて楽しいと思う」という層には受け入れづらい映画だと思います。非常にすっきりしない映画です。
だからこそ、今もずるずると引きずり続けている映画です。多分一生引きずると思います。
アメリカンニューシネマほど反逆心もない、ちんまりした殻に閉じこもったまま出るのを面倒がる人間とスケールのでかい話のかみ合わせは、20世紀後半から見た21世紀人間像だったような気もします。
 
おまけ。

色々「わからん」とは言う物の、リイクニのかわいさは半端じゃないです。すごくかわいい。なんだこの感覚。
おっぱいきれいですしね。
 

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さてはて、これ次の人にまわすのですねえ。はてなユーザーじゃないとだめなのかな。こんなに長引いているなら他の人でもいいような。
とりあえず小島アジコさんid:orangestar)に振ってみます。だめだったら別の人にー。